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カバ(母)が我が子に教える呼吸法から学べる理想の子育て
※本書"インナーゲーム"を消化しきれてなくて、文章雑です。。
親と子供の距離感をどう取ればいいのか。つい、言い過ぎてしまう、やり過ぎてしまう。悩んでいる親御さんは多いのではないだろうか。
突然だが、カバの母親が子供にどうやって呼吸の仕方を教えているか、下記の文章を読んでほしい
私は、サンディエゴの動物園を散歩している最中に、カバの母親が自分の子供に生まれて初めて泳ぐことを教える場面に遭遇したことがあった。プールの深い側に、別の1匹のカバが、鼻面だけを水面に出して浮かんでいた。
そのカバは、じきに水面下に潜り、水中で休憩した後、20秒ほどして後ろ足で底を蹴って浮き上がってきた。カバの呼吸運動は、通常このようにして行われている。さて母親のカバは、子供を日向ぼっこさせながらあやしていたが、やおら立ち上がると、鼻先で子供を水際まで押していった。子供は押されるままにプールに落ちて、そのまま底に沈んでしまった。浮いてこない。しかし母親はぶらぶらと、いかにも落ち着いた様子で自分はゆっくりと浅瀬の方からプールに入り、沈んでいる子供の側に行くと、鼻先を器用に使ってそれを押し上げ、浮かせ、水面に出してやった。その間、20秒。
子供は大きく息をしてまた沈んでしまったが、母親はまた同じように、同じ時間経過で、鼻先で子供を水面に上げた。しかし、その後はプールの深い川の方に泳いで行ってしまい、子供の事はもう構わなかった。幼いカバは、しばらく水面に漂い、そのまま水面から沈んだが、やがて自力で後ろ足でそこを蹴りながら、再び浮上してきた。カバ親子の水泳練習はこれで終わり、成功したのである。子カバは、何度も何度も、今できたばかりのテクニックを繰り返していた。
母カバは、子供に水遊びの仕方を教えるためには、どこまで面倒を見て、どこまで以上は不要かを、実に正確にわきまえているように見えた。子供の本能は、一旦きっかけさえ与えられれば、偉大な信頼に値するものなのだ。
子供の誰もが持っている本能を、をいかにして活かすか。
考えすぎをやめて、行動量を、試行回数(思考ではない)を増やすには、どうしたらいいか。人間は、1日1万回自分と話すと言われているが、では自分とどのように対話したらいいのか。そのヒントが、本書インナーゲームには、書かれている。
人には、セルフ1(自我の部分、マイセルフ)と、セルフ2(自分自身の本能の部分.精神の無意識部分. 神経システム含む.一度経験すると再現できる力)があると著者はいう。セルフ1をいかに黙らせて(なだめて)、いかにセルフ2を解放させるか。それが本書のキーになっている。テニスを例にした説明が多いが、他のどの分野にもそれは適応できる。自分との対話は、死ぬまで一生続くからだ。
インナーゲームの目的
あらゆるレベルの競技者が直面している問題点を解析し、その原因と結果を明らかにするだけでなく、いかに人が強く、誰もが素晴らしい能力を持ち合わせているか、どのように考え実践すれば、それを発揮できるのかを証明し、その過程を斬新な発想と例話て提示する。
インナーゲームの根幹は、極めて単純で古典的な心と肉体の調和を確立するためのプロセスに過ぎない。近道や速修法は無い。
この本は、人間の能力の究極の可能性を探るためのものではないと言いたい。これは単に、誰もが、今既に持ち合わせるっているある種の内側の能力を開発して、自由に外側のゲームに適応するための本なのだ。
あらゆる活動は、外側と内側の両方のゲームを内包している。外側のゲームとは、例えば富や教育や名声、地球の平和、あるいは夕食に何を食べるかといった事柄だ。目的と我々の間には常に外側の障害が存在するが、内側にも同じように常に障害が発生する。外側の目的を達成しようとすると、その心の中に心配や後悔、困惑が起きるのが普通で、要らざるトラブルを内側に湧き起こしてしまうのである。
Inner Stability(内側の安定性)、いわゆる心の強さは、危機に際して砂の中に顔をうずめていては体得できない。現実を直視して、何が起きているのか、どう対処すればいいのかを見極める事で初めてこの能力を自分のものにできる。そうなったとき、セルフ1は内側のバランスと明確さを邪魔することができなくなる。
スポーツのすばらしさ
あらゆるスポーツは、人生の密度を高め、生きていることの素晴らしさを、より直接的に体験させてくる力強い活動である。
①困難に挑む真の勇気 ②全力を尽くしきることの喜びを、私たちに教えてくれる。
Saying less, noticing more.
自分を1つにするためには、心の活動をSlow Downさせることが必要なのだ。Quieting mind(静かなる心)とは、思考、計算、判断、心配、恐れ、希望、頑張り、後悔、焦りに気を取られる。こういった活動を検索させ、沈める作業だ。
精神的な部分で、開発すべき内側の能力は、
①自分が望む結果のできる限り、明確な視覚的イメージを得る方法を習得する。
②セルフ2を信頼することで、ベストな能力を発揮する方法を習得する。失敗と成功の両方から学ぶ。
③感情を交えずに「見る」ことを習得する。今のショットがよかった、悪かったと価値判断するのではなく、今何が起きたのか、したのかを客観的にとらえることを学ぶ。
人は何かをすると、必ずいいか悪いかを自分自身の中で判断し、評価する。インナーゲームにとっての最大の障害がこれだ。
褒めることも潜在的な否定のひとつ。
ノイズのない生データを体内に記憶する。
makeではない、letだ。
初心者がテニスを練習する時、1つ1つのプレイについてこれはいい、これができてないと自分で診断したり、自分で自身を指導することを排除し、自身に自然発生的な習得作業を行わせること。
セルフ2にとっては、視覚イメージは、言葉の何千倍もの価値がある。セルフ2 =他人の動作を中止することと、自身がそれを体験することで物事を習得する。何も考えずにセルフ2にイメージを追い続けさせた結果、セルフ2は無意識のうちに貴重なデータが収納される。次に、プレイした時、タイミングや予測、あるいは、自信ある態度といった重要な局面で、自分が特別に移動した努力をしなくても、格段に進歩した感じを抱くことになる。
集中力を上げる(Now and Here)
心と争っても何の効果も得られない。
最も効果を上げるのは、心を何かに集中させることなのだ。
セルフ1をどこかに追いやり、妨害作業を止めさせることは、実は決して容易ではない。仕組みを明確に理解することは一助にはなるが、その実例に接し実際に体験して練習することの方がはるかに有効だ。
心を静かにさせるためには、それを追い払うのではなく、どこかに置くことを体得しなければならない。
注意のピントを絞り込んでいくに従って、心は静かになる。
心を、「今」に留めておけば、それは静けさをキープする。集中するとは、今ここに、心を保つことなのだ。
心は、一つの対象物にそう長い時間連続して焦点を合わせる事は苦手なのだ。
① バウンス・ヒットと声を出す。②ボールを聴く。➂呼吸に意識を集中
何かに注意の焦点を当てるとは、何かを見つめるという意味ではない。注意力を絞り込めと、自分を強制するものでもない。心が興味を抱いたとき、自然に注意の焦点が絞りこまれていく。この状態になると、心は必然的に対象物そのものにひかれてしまう。頑張るわけでもなくリラックスして、緊張も自分自身の過剰コントロールもなしに、心が引き寄せられていく。
意識・・見る、聞く、感じるといった感覚から取り入れる。それ以外は体験にならない。
最後の最後には・・・
p.236 0-6,0-6で負ける事。その最悪の結果になった場合を、私は出来うる限り正直に想像した。楽しくはなさそうだが、だからといって耐えられないというほどでもない。では、最良の結果は?6-0,6-0. その後は?よくやったと何人かは背中を叩いてくれるかもしれないが、数日経てば、人生は元通りになる。じゃあ、本当は何がしたいのだ?本当に欲していたのは、自分のベストのプレイをし、エンジョイすることを妨げているこの神経質さを克服することだった。人生を通して、私の体内にずっと埋め込まれていた、内なる障害に打ち勝つことだった。私は、インナーゲームの勝利者になりたかったのだ。
(中略)結果的に4-6,4-6で負けたが、コートを去る時は勝利者の気分だった。外側のゲームでは負けた。しかし私が望んだ自分自身のゲームでは勝ったのだ。そして幸福だった。事実友人が駆け寄ってどうだった?と聞いた時は、もう少しで勝ったよと答えるところだった。この時私ははじめてインナーゲームの存在を私は認識した。それが私にとっていかに重要かも理解した。このゲームのルールがどうなっているかも、その正確な目的分からなかったが、このゲームには、トロフィを勝ち取る事以上の要素が含まれていると、感じたのだった。
こうした価値観で育てられた子供たちは、他のことを顧みずに、サクセスだけのために人生を走る大人になりやすい。この場合の悲劇は、彼らが求めるサクセスストーリーが得られないという結果ではなく、サクセスすれば得られると思っていた愛や、自分の理想のイメージが努力の暁にも十分には得られない点にある。
サーファーが波を待つのは、いまここでの挑戦に価値を見出しているからだ。彼にとっての波とは、自分と、浜まで波乗りするという目的の間に介在する、価値ある障害なのだ。なぜなら、波の大きさと、内側に秘める強力なエネルギーこそが、サーファ自身の最大能力を引き出してくれる存在だからだ。単に、隠れた自分の可能性を探るために、波に挑むのだ。
勝つとは、ゴールに到達するための障害に打ち勝つことだ。この勝利の価値は、到達するゴールの価値と同じである。ゴールに到達すること自体の価値は、障害と戦うために努力を重ねた体験の価値と比べれば、むしろ小さいかもしれない。過程の方が、本来の結果より多くをもたらしてくれる。
力が拮抗すればするほど、協力者になる。
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