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サイレントマジョリティの声は聞こえてるか

 自分が享受している幸せを、人は実感しづらい。

 外国に住んだことがある人は、日本社会に住むことの治安の良さを、そうでない人よりも感じるだろう。日本において突然街で襲われたり、対面で非難を浴びることは稀であり、法を順守して生活している限り、身の危険を感じる事は少ない。比較できる負の体験があれば、有難みの感情が自分に生じる。

 失ったもの/持っていないモノに対して顕在意識が働きがちだが、今持っているモノには感謝の気持ちが湧きにくいという事象は考えてみると面白い。

 メディアやSNSを見ると、耳目を引くような出来事・発言が取り上げられることがほとんどだが、最近自分は、「目に見えないもの」を意識するようにしている。例えば、声になっていない世間一般の多くの人の声。メディア報道に隠された、サイレントマジョリティ(世の中の"声"を上げない多くの人とここでは定義)の声。種々のアンケートやデータの裏側にある、人の本音。

 また、日本の世間の声、サイレントマジョリティの良識に期待している自分がいる。話は少々ズレるが、メルカリの取引が成立するのは、多くの日本人が持っている良識が一定程度のレベルを保っているからだと自分は思っている。他人"様"に対価をもらって売却していいモノか、例え本1冊であろうと丁寧な梱包をし、ありがとうのメッセージまで付ける人もいる。これが他の国で成り立つとは思えない。

 世の中の声を上げない多くの人は、良識に従って真っ当に生きており、彼らが注目されることはない。でも世の中の構成員の大半は、彼らであり、私たちである。ささやかでよく注意しないと気づかないような見知らぬ他人の小さな配慮、心配り。そういったものに、注意を払える常識人でせめてありたいと、我が物顔で振る舞う高齢者を散見するようになったこの国に暮らしながら、思う。

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