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恩師

今まで生きてきた中で一番闇が深かったのが高校時代だろう
 
幼いころは自分がなぜこの世界に生を受けているのか不思議で小中学生の頃は宇宙やUFO、超常現象に惹かれていた。しかし、高校生頃から世の中の不条理に納得できず神や仏の存在を否定しこの世は目に見える物しか信用できない世界だと思うようになった

それからの高校生活は完全に闇だった
とにかく毎日がイライラしていて自分以外の全てが敵にみえ世間で凶悪事件を起こす少年の寂しさ、虚しさ、孤独、妬み、嫉妬からくる反社会的な気持が理解できた

そんな高校生活を送る中で転機が訪れた
それは足の複雑骨折による数ヶ月の入院
体育の授業でジャンプした拍子に折れ骨折原因を調べるために精密検査を受けたが原因は分からずじまい

ベッドから動く事が出来ない絶対安静の状態が二ヶ月続くと五体満足で生きていられるだけで奇跡的な事だと実感し、自分は生かされているんだとうい感じがした。入院で強制的に思考をリセットさせられたような気がした。それから再度、目に見えない物の存在について考えるようになった。

ベッドから動く事が出来ない絶対安静の状態が二ヶ月続くと五体満足で生きていられるだけで奇跡的な事だと実感し、自分は生かされているんだとうい感じがした。入院で強制的に思考をリセットさせられたような気がした。それから再度、目に見えない物の存在について考えるようになった。

それから数十年目に見えない世界についての本を読んだり興味が湧いた人の話を聞きに行ったりして、この世に生を受ける意味を文字や言葉として理解する事はできたが、実感として自分の中に落とし込むことは出来なかった

それを落とし込む事が出来たのが故人の恩師である五井野正博士の生命論だった
その生命論は某宗教団体のトップから盗用されてしまいその団体の教義となってしまったが、恩師が当時執筆した生命論を読んで目から鱗状態だった。博士は国を超えて芸術活動や環境活動を実践していたが、それも全て生命論を説くための土台づくりだった。

恩師は、十界互具(畜生、餓鬼、地獄、修羅、天、人、声聞、縁覚、菩薩、仏の十の生命が互いに在している)、十如是(相、性、力、体、作、因、縁、果、報、本末究境等)、三世間(五陰世間、衆生世間、国土世間)を掛け合わせた三千の生命の差別を表し、その生命は一念に帰して又一念より生まれるという差別のない生命を説いた

何よりこの生命論を自分の中に落とし込むことが出来たのは、五井野博士の慈愛に満ちた行動による実績だった




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