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問いは、私たちを自由にする。

以前の記事で、学びの成果は答えられる問いの量で図られるという記事を書きました。

でも、私が本当に大事なのは、問いに答えることよりも、問いを立てることだと思っています。なぜなら、問いは私たちを自由にし、新しい世界へ連れて行ってくれるからです。一方で、問いはその場に留まり、深くに入っていくことだと思っています。前回はビジネス寄りの内容でしたが、今回はプライベートに寄せた内容です。

問いは、私たちを自由にする。

古代ギリシアでは自由人の教養としてLiberal Arts(リベラルアーツ)が重視されました。文字通り、リベラルアーツとは自由になる技術です。でも彼らは、奴隷とは違い、肉体的自由は手にしていました。では、彼らは何から自由になりたかったのか?

それは、精神的に自由になることだったのではないかと思っています。実は、私たちは多くの精神的なしがらみに無意識のうちにとらわれているのです。

中学を出たら高校にいくのが普通である。
女性は結婚したら家に入り、男性は外で働くのが普通である。
学校を出たら働くのが普通である。そして、いい年になったら結婚し、子どもを設ける。
良い学校を出て、良い会社に入り、出世する。

果たしてこれらは普通なのでしょうか?今の時代であれば、時代遅れと思う人は多いことかもしれません。でもそれは30年前、紛れもなく普通でした。

そこに心地よさを感じているのであれば問題はありません。むしろ心地よければこんな問いすら立てないでしょう。

でも、そこに居心地の悪さやもやもやを感じるのであれば、一度立ち止まって見てください。それは、誰にとっての普通なのかを。そして、その普通に応える必要はあるのかを。

しがらみから抜け出すのは、自分が何にとらわれているかをまず自覚することから始まります。

問いは、私たちを新しい世界へ連れて行ってくれる。

問いは、上記のように新しい地平を切りひらきます。その中で、自分がいる位置(=どのように考えているのか)を教えてくれるのが教養です。多様な見方があるから問いは生まれ、自分の位置が明確になるのです。情報の空白地帯では迷子になってしまいます。

あなたにとって幸せとは何でしょうか?
その問いの世界で、あなたはどこにいますか?(何を幸せと思いますか?)

きっと色々な考えがあることと思います。
その世界が広がれば、あとは自分でそこまで歩いていけば良いのです。

もしかしたら、他人の目が怖い人もいるかもしれません。
でも、他人の目を気にして生きる必要はありますか?

ここに正解はありませんし、精神的な自由は奪われることがありません。
ただ、Follow your heartに進めばよいのです。


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