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世代には、思想が宿っている。

最近、仕事に転換期を迎え、幾つか新しいプロジェクトが立ち上がろうとしている。どれも今の時代にしかできないチャレンジだと思う。それは、テクノロジーの進化に依拠しているという意味ではなく、社会的な流れとして必然という意味で。

何かを興すためには、仲間が必要だ。1人でできることなんて限られている。(1人のほうが短期的には稼げるが、ソーシャルインパクトという意味では大したことがない)

じゃあ、それは誰なのか。もし新しい価値観をつくりたいなら、立ち上げメンバーは同世代でやりたいと思っている。(浸透させるフェーズになれば、多様性は必要になるだろうが)

世代というと、世代間格差といった言葉を想起させ、対立を煽るなと言われがちだが、僕は世代には思想が宿っていると思う。何に苛立つか、何がかっこいいか、何が大事か、は同じ時間軸を生きてきた人にしか共有できないものがある。理屈や数字ではコンセンサスが取れない領域だ。

たとえば、国や政治に期待しないとか、大きな規模の仕事に憧れないとか、ローカルに刺激を感じるとか、ニュース見ないとか、Facebookはもうダサいとか、そういう感覚。

または、消費よりも生産体験に価値感じるとか、ワークライフバランスよりも生きる=働くとか、ハードよりコミュニティだとか、現実と虚構で複数のアイデンティティを並行させるとか、そういう価値観。

上記はあくまで例だが、そういった歪みみたいなものが社会にはあって、そこに既存の境界線というか常識を突破していくチャンスがあると思っている。

今の日本は残念ながら、少子高齢化ゆえに若い人の人口が相対的に少ない。一方で、若者が過半数のアジア各国は、変化を許容する力が強く、進化のスピードが速い。残念ながら、日本は完全に取り残されていると思う。

だけど、僕らの世代はソーシャルを通じて、いつでも横でつながることができる。国境も軽々と超えて連帯することができる。国や地域よりも世代の断絶のほうが大きいのではないか。

目には見えないしまだ形にはなっていない、けれど確実に存在する世代の思想に向き合いたい。それこそが新しい仕事をつくる上で大事にしたいものなんだと、最近よく思っている。