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すべては好奇心から始まる。

子育てについて書こう。僕はいま一児の父である。(今年の11月には2人目が生まれる予定だ)正直、イクメンではない。平日の家族との関わりは、8時に朝ごはんを食べるだけだ。子育てについて意識も高くなければ、まともな知識もない。ただ週末は、PCを家に持ち帰らず、基本全力で子どもと遊ぶことにしている。

子育てをしていると仕事では得られない学びがある。その1つが、好奇心についてだ。僕自身、99%好奇心でできたような人間だが、子どもができるまでは、人の好奇心とどう向き合うかなんて考えたことなかった。

僕はよく嫁に怒られる。人の話を聞いてないとか、酔うとウザいし臭いとか、毎日ウンコしすぎとか、そういう類のことだ。ただ、一番まずかったと反省するのは、子どもへのリアクションを忘れたことだ。それは「パパ、パパ」と分かりやすく呼んできたときだけじゃない。もっと独り言のように言ってることに対しても。

これは嫁の受け売りだが、子どもは毎日、人生初の体験をしている。見たことないモノとか色とか、やばい触感とか音とか。またはシールをうまく貼れたとか、いつもよりもジャンプできたとか、英語を発音したとか。

それに大人がどれだけ感動できるか、共感のリアクションを取れるかで、「次またやろう」「もっとやろう」という気持ちは大きく変わる。好奇心の芽が育つ。もしも誰もリアクションしなければ、何かにつながる初体験も、「大したことないんだ」と自分の中で殺してしまう。

もちろん、それダメ!あれダメ!と何かやる前に止めてしまうのは論外。大体、やっちゃダメというのは、大人がラクしようとしているだけなのだ。たとえそれが失敗しそうなことでも、その事故という経験に付き合い、発見を分かち合うのが親の役割なんだ、と。

だから我が家では、いけないことは教えるけど、壁や床に絵を描くのも、外で裸足になって怪我するのも、対象年齢じゃないことでも、挑戦オーケーにしている。「好奇心を否定しない」というのが、唯一の子育ての指針だから。

正直、最初は僕も「大変な付き合いしたところで子ども的にそんな変わるのかな」と疑っていた。実際に、疲れが残った土日はよくスマホを見せてサボっていた。ただ、僕がリアクションしたものは好きになり、どんどん深掘っていくのは明らかだった。僕が子どもに意識的に驚くようになってから、歌もプールもお絵かきも驚くほどのスピードで身につけてるようになった。以前はすぐ退屈していた家の前の小さな公園でも、遊具だけではなく、人との会話や小さな虫でも楽しめるようになってきた。(直近では、みんな砂場でケーキつくるなか、アリ3匹を身体の上を歩かせてくすぐったい、という謎のプレーをしている)

これが、好奇心の力なんだと思った。どんな遊びも仕事も好奇心から始まるのだと、子どもから学んだ。

僕らはいまインターネットのおかげで、簡単に世界とつながれる世界を生きている。世界は広い。いろんな人やコンテンツがある。しかし、ほとんどのコミュニケーションは、数百人の知り合いの範囲に閉じてしまっている。結局、どんなに素晴らしい環境があっても、それを開拓する好奇心がなければ、知ることすらもできない。逆に言えば、好奇心を持った者は、自由に世界を遊びつくせる時代だ。目の前のことに驚くだけで、毎日はもっと驚きに溢れ始めるかもしれない。