食べることは最高のコミュニケーション
海外出張する中で、「カレーにはラーメン以上のポテンシャルがある」と思い立ち、実験的に始めた『6curry』。店舗を持たないゴーストレストランとして、UberEATSやフードトラック、ケータリングなどの配送型のカレー屋として立ち上げた。(客席なしの「ゴーストレストラン」。オンラインデリバリー専門店が続々)
しかしやっていくうちに生産拠点が必要になり、昨年10月頃『6curry Kitchen』をつくった。レストランに厨房があるのではなく、あえてキッチンのカウンターに客席を置いた。消費の場ではなく共創の場。カレーは自由な食べ物だから、作っている場に遊びに来て、一緒に作ったりそのプロセスのなかで仲良くなろうよ、というコンセプトだ。店ではないので、月額会員制でやっていて、頻繁にコラボイベントもやっている。(ちなみに会員と一緒なら友人も入れます)
その6curry Kitchenが、最近どんどん会員増えて、コミュニティ化していってるのを感じる。もはやカレーを食べに来ているというよりも、この場に来ている感じだ。この状況についてメンバーに聞いたら「全然いいんじゃないですか。カレーは混ざり合うための最高の手段でしかないから」と言っていた。それはすごく面白い話だと思う。
たしかに自分自身の経験から考えても、多くの場合、食事はそれ自体が美味い不味いよりも、人と人をつなぐ最高の媒体。仲良くなりたい初対面の人がいて、その人と何もない会議室で打ち解けるのは難しい。無駄にカフェや食事にいくのは、食事がコミュニケーションのリズムや会話のきっかけを作ってくれるからだ。ジブリの映画でも、人間関係を描く場面では決まって食事のシーンが出てくるのはそういうことだと思った。
最近、食事にしかお金を使ってないのは必然な流れだ。SNSとも相性がいい。出会いや会話は、飽きることないコンテンツだから。一方でモノ欲求そのものが満たされる中で服が売れなくなっているのは、それがコミュニケーションの媒体になっていないからだと感じる。(逆に何かコミュニティがあるなかでの証としての服は、ユニフォームとして売れるんだと思う)
そう考えると、6curryの次の展開が見えてきた。デリバリービジネスは立ち上げやすいが、効率性のビジネスだからその先にあるのは血の海だ。そうじゃなくて僕らが作らなきゃいけないのは、いかに豊かな消費経験をつくるか。つまり愛すべき無駄の創造。そんな観点から飲食店のネクストモデル、カレーの可能性を追求してみたい。