子どもの不安に大人ができる(かもしれない)こと

臨床心理士会、公認心理師協会、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンが、新型コロナウイルスの流行を受けて、共同で「感染症対策下における子どもの安心・安全を高めるために」という案内を出しました。これからいくつかの団体から、同様の案内が出てくるかもしれません。

少し、アタッチメントの観点から言えそうなことを記しておきたいと思います。

はじめに、以下の動画をご覧ください(10分ごろまで)。

有名なハーロウの実験です。怖いおもちゃにさらされた仔ザルが、いつもミルクをくれる針金でできた代理養育人形ではなく、布でできた代理養育人形に逃げ込む、というとても有名なあれです。今では倫理的に許されない研究かもしれません。

今回取り上げたいのは、以下の部分です。怖いおもちゃにさらされて、仔ザルは布でできた代理養育人形の元に逃げ込みます。これがアタッチメント行動で、逃げ込む先が安全な避難所です。

スクリーンショット 2020-03-03 10.51.47

時間が経つと、仔ザルは怖いおもちゃに向き合います。分かりにくいかもしれませんが、手には布を握っています。これが探索における安心の基地の利用です。

スクリーンショット 2020-03-03 10.56.25

もう1場面見ていただきましょう(13分ごろまで)。

見知らぬ部屋に仔ザルは(文字通り)放り込まれます。ひどい話です。初めのうちは怖がって、びくびくした様子で部屋の中を動き回ることもできません。これが恐れが強く、探索ができない状態です。

スクリーンショット 2020-03-03 11.05.20

置いてある布にくっつきます。これがアタッチメント行動です。けれども、それは探索を可能にするほどの安心感を仔ザルに与えてはいません。

スクリーンショット 2020-03-03 11.05.52

布でできた代理養育人形があるとより身体を密着させ、先ほどよりもくつろいで見えます(アタッチメントの観点から言えば、実のところ、布も人形も応答性がないという点ではアタッチメント対象として全く不適切なのですが、それでも人形に対して、より安心感のあるアタッチメント行動を示すということは「見た目」も重要であるということなのかもしれません)。

スクリーンショット 2020-03-03 11.10.02

さらに重要なことに、ここから仔ザルは探索を始めることができます。外界の探索をしては代理養育人形の元に戻ってきて、また探索に出るという行動が見られます。

スクリーンショット 2020-03-03 11.11.00

このような安全な避難所へ向けたアタッチメント行動と安心の基地からの探索行動の連鎖を、ある研究者たちは「安心基地行動」と呼んでいます(余談ですが、この実験がストレンジ・シチュエーション法の起源のようです、というようなことも含めて、今度出る本の中で解説をしています)。「安心感の輪」もこれと似ています。

子どもの心をケアするということは、この安心基地行動が取れるようになること、つまり恐れが和らぎ、外界への探索を始められる状態になることへとケアすることを指しています。そしてそれは、今の日本のように、社会が落ち着かない状況であっても同じです。

もしも子どもが、学校が休みになり、社会全体が落ち着かず、大人たちが感染のリスクに警戒感を高めている状況で遊べているのであれば、子どもは身近な大人を安心の基地として利用しているのだと考えることができます。その場合、遊べることは、子どもの心が不安や恐れに圧倒されていないことを示しています。

もしも子どもが不安そうな様子を見せたり、怖がっているようであれば、安心感のケアが求められます。その場合、いくつかのやり方が考えられるでしょう。

1.遊びに誘う

身近な大人が遊びに誘ってみることは、子どもの中の探索システムを刺激します。怖がって避難するアタッチメントシステムと、安心して探索を進める探索システムとは、一方が活性化すれば一方は沈静化する関係にあります。大人が遊びに誘って、あるいは子どもたち同士で誘い合って遊びに入れるのであれば、そのようにして怖さを和らげることはできるでしょう。

遊びでなくとも、勉強が好きな子どもであれば勉強でもいいし、テレビを見るのが好きな子どもであればテレビでもいいかもしれません(ただしテレビやゲーム、ケータイは、恐れに対する防衛的で嗜癖的な、あまり肯定できない種類の活動となることがあるため注意が必要です。健康な視聴とそうでないものとの区別はやっかいな問題ですが、1つの目安は、楽しさを大人と共有できるかどうかでしょう)。

この時に、無理に遊ばせないことは重要です。遊ぶこと(探索)と怖がること(アタッチメント)は互い違いとはいえ、遊べば怖くないわけではないのです。むしろ怖くないから遊べるのであって、遊びと怖さのバランスの中で、遊びに押してみて大丈夫そうであればそれで良し、そうでなければ押さない、という節度は大事です。

遊びがすぎる子どもについては後述します。

2.いつもの生活をする

不安や恐れが高まり、広がることは、世界が揺らぐ感覚をもたらします。このような時、いつもの生活をすること、たとえば、朝起きること、着替えること、食事を取ること、片づけること、挨拶をすること、日の光を浴びること、遊ぶこと、勉強すること、話をすること、トイレに行くこと、掃除をすること、犬の散歩に行くこと、魚に餌をやること、おやつの写真を撮ること、料理すること、洗濯物を畳むこと、風呂に入ること、夜には寝ること、といったことは、心に枠をつけてくれます。枠のない心からは感情があふれてしまいます。いつもの生活によって足場を作ることは、不安や恐れを支える大切な作業です。

とはいえ、これも同じことの繰り返しですが、無理にいつもの生活をさせる必要はありません。不安や恐れが高まれば子どもは退行しやすくなるものです。大人であってもそうでしょう。いつもできていることができなくなる、ということは珍しいことではありません。むしろ、そのような子ども返りが見られた時には、怖い思いをしてるんだなと理解することが必要です。その場合には、大人の行うケアは安心させることになるでしょう。

3.安心させる

探索が行えない、あるいはいつもの生活が行えないようであれば、今必要なのは気持ちを落ち着かせる働きかけであるといえます。身体接触は有効な方法の1つです。幼児や小学校低学年であれば、ぎゅっと抱きしめてあげたり、ひざの上に乗せてお話しすることは不安や恐れを和らげるのに役立つでしょう。思春期を過ぎた子ども、あるいは思春期にさしかかる子どもの場合には、そうした身体接触は心地よさと居心地の悪さをもたらすでしょう。その場合でも手を握って話すとか、床やソファーに隣り合って座るとか、頭をなでるといったことが、いくらか気持ちを落ち着かせることになるかもしれません。

話をすることはもう1つの有効な方法です。楽しい話をすることは遊びと同じ効果を持ち、遊びと同じように不安や恐れがある時には楽しめません。むしろ、不安なこと、心配なこと、気持ちが落ち着かないことについて話をする方が帰って落ち着くことがあるでしょう。遊びの場合と同じように、これも無理に話をさせないことはとても重要です。子どもが自分で扱える以上の不安は引き出さない、という節度は大切なことです。

話をしながら不安や恐れを和らげる1つのやり方は、感情に焦点を当てることよりも、今何が起きているのか、なぜこのようなことになっているのか、これから何が起きるのか、その時に大人はどうするか(もちろん子どもの味方をします)、を子どもが理解できるように説明をすることです。子どもが状況を理解できるようになることは、感情の高ぶりや揺れ動きを静めるのに役立ちます。

ただし、不安や恐れが高まっている時には理解し考える力が落ちます。そのため、あまり難しい説明をする必要はありません。新型コロナウイルスであれば、病気がはやっていること、感染を防ぐために外に出ないようになっていること、手洗いうがいをきちんとすることで十分防げること、心配になったら病院に行ってみること、大人がついていること、などを話すことかもしれません(もちろん何を話すかは、子どもがどのような不安や恐れを抱えているかによって違います)。終業式や卒業式などができなくなって怒っているのであれば、それは全くその通りだと同意を示し、大人としても残念だと伝えることも重要でしょう。怒りはそれを受け止めてくれる他者を必要としています。

感情を抑えることよりも、感情を表現できることが、感情が和らぐ王道です。しかし、そうであっても大人が行うケアは、感情を引き出すことよりも子どもが状況を扱えるように手助けをすることです。一般に怒りの持続期間はそれほど長くありません。怒っていても収め方が分からない時は、楽しいことやおいしいものを食べること、映画やテレビを見ることなどに誘ってみて良いかもしれません。

場合によっては、子どもが怖い情報に触れるのを制限することで、子どもの不安や恐れを外的に調整する、ということが必要なこともあるかもしれません。ニュースに触れること、大人が病気の流行について(噂)はなしをすること、などが子どもの不安や恐れを高めるようであれば、そうした情報から子どもを遠ざけ、保護することも必要です。

もしも話を聞いて、感情が和らがないのであれば、もともと感情を収めるのが苦手な子どもであるか、もっと語られていない不安や恐れが別のところにあることのシグナルかもしれません。後者の可能性を考えながら、何を言えないでいるのか、と考えてみてもいいかもしれません(大人が死んでしまうのではないかと心配していたりする可能性があったりします。その場合、死なないことを保証することは大事なことです)。

4.遊びがすぎる

子どもによっては、このような危機状態にあって、興奮が高まることがあります。それは不安や恐れに対する反動的な反応であり、ある意味では興奮することで不安や恐れを散らしているものかもしれません。このことは、子どもの騒々しさ、落ち着きのなさ、興奮、場合によっては挑発的になること、を簡単には止められないことを意味しています。なぜなら、それだけ不安や恐れが圧倒的であることの裏返しであるからです。興奮にしがみつくことで不安や恐れから逃げている、とも言えるでしょう。興奮を手放すことは不安や恐れに落ちていくことを意味します。これはそれ自体とても怖いことなのです。

ある程度は野放しにしておくことも必要かもしれません。不安や恐れという感情を、興奮という運動に転換して消費させている、と考えることもできるからです。けれども、夕方のふとした時に、入浴の際に、あるいは寝る前に(いずれにしても夜間が多いのではないかと思います)、落ち着いて不安や恐れについて話し始める時がでてくるかもしれません。昼間の騒々しさに腹を立て、かわいげがなくなっているとしても、このような瞬間こそ子どもにケアの届く時なので、忙しかったり、時間がなかったりしても、手を止めて話を聞く時間を持つことは、とても大切です。

そのようなときに、これ幸いと子どもの否定的な行動を批判するようなことは言わない方がいいでしょう。子どもはしばしば批判に敏感で、すぐに騒々しさに逆戻りしてしまいます。もしも何か言いたくなったとすれば、どんなふうに行動してくれたら、いま話しているような不安や恐れが伝わるか、ということを伝える、というようなやり方が望ましいかもしれません。子どものことを理解したがっているという姿勢はそれなりに子どもに伝わります。それで次の日から落ち着いてくれるほど世界はシンプルにできてはいませんが、子どもの中に大人が助けになるものとして蓄積はされていきます。

5.大人のこと

こうした関わり方をすることが大人にとって難しい時、もしかしたら、困っているのは大人の方かもしれません。大人にもアタッチメントシステムは存在しています。自分の不安や恐れが高まっている時に、子どものケアに注意は向きません。あるいは子どものケアが敏感なものとはなりません。子どもを慰めることにくつろいでいられないとき、大人自身が自分をどのようにして慰めるか、ということを考えることが必要になるでしょう。

自分が頼れるのは誰だろう、何をすると気持ちが落ち着くだろうか、落ち着くためにどのような情報がほしいだろう、自分がいまの状況を扱えるようになるためにはどんな助けが必要だろう、そういったことを考えることになるでしょう。頼れる相手が身近にいなければ、支援機関を頼ってもいいかもしれません。

子どもがのんきに思えて憎らしくなったり、不安や恐れを表す子どもにじれったさを感じたり、強く言って言う事を聞かせたくなったり、子どもを置いて逃げ出したくなったりするようなことがあれば、それは助けを必要としているシグナルです。そのような自分を怖がる必要もありません。どんな大人にもありうる反応です。特に危機的状況にあってはそうなりがちです。残り少ない心のリソースを、誰に頼ればいいかを探すことに割り振るのは、大人自身にとっても、子どものためにも、とても大切なことです。

子どもは大人にケアをされて、大人は別の大人にケアされて、みんなで少しずつ支えることを持ち寄って、難しい局面を乗り越えていくことになります。穏やかな春の陽気のように、少しでも世相が落ち着いてくるといいですよね。頑張って生き残っていきましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?