アタッチメントのモデル3

ここまでに2つのモデルを紹介しました。どちらも言おうとすることや考え方に大きな違いはないのですが、説明をしようとする現象やその文脈によってモデルの描き方を変えています。けれども、どちらのモデルでも今一つ扱いきれていないものがありました。それが何かということは結局、今回のモデルを思いつくまで分からなかったのですが、不思議なことですね。問いが形を成していないのに答えが提示され、それからようやく問いが何であったのかが分かるということが時々起こります。問題になっていたのは、児童期以降の行動問題について語りにくいということでした。

児童期以降のアタッチメントの発達と行動問題との関連はそれほど発展していません。理由の1つは、アタッチメント行動が明確でなくなり、安心感を得るための行動のバリエーションが増えるためで、もう1つは、これと関連して、どのようにアタッチメントを測定するか、という方法論上の困難があるためです。その他にもあるかもしれません。青年期後期になるとAAIを用いることで表象水準のアタッチメントを測定することが可能となるのですが、乳幼児期から青年期後期の間の、児童期、青年期早期(思春期)の知見というものは、あまり整っていないのです。

しかし、臨床上、問題が複雑化していくのは行動にバリエーションが出てくる児童期以降であるのです。それがモデルの中でどのように扱われるのか、ということも含めて、説明を試みたいと思います。

モデル3

モデル1で提示したいくつかの要素を凝縮します。危険な状況におかれると恐怖が喚起され、アタッチメントのニードが高まります。そのことはアタッチメント行動を引き起こします。それが以下の図です。

スライド.001

養育者の応答が敏感なものである時、つまり子どもの示すシグナルを適切に知覚し、その意味を適切に理解し、素早く適切に応答できる時、子どもは安心感を経験することができます。しかし、そうでない場合、子どもは養育者との間で最低限の(あるいはその環境でできうる限りの)安心感を得るために、養育者に適応します。そのための方略を発展させます。これを仮に防衛的方略と呼ぶことにしましょう。それを示しているのが以下の図です。

スライド.002

恐怖を経験し、アタッチメントのニードが高まっても、養育者からの拒絶が予想されるのであれば、アタッチメント行動は抑制されます。その代わりに防衛的に機嫌よく過ごすことや、養育者の動向を防衛的に気にしないかもしれません。あるいは養育者が不規則で不安定な応答の仕方をするのであれば、養育者に気付いてもらうために防衛的に不機嫌さを増したり、強くアピールすることがあるかもしれません。前者が回避型と呼ばれ、後者がアンビバレント型と呼ばれるアタッチメントのパターンです。

しかし、子どもが示す行動はそれだけではありません。つまり、アタッチメント研究が焦点を当てる、近接を図る(もしくは図らない)ことに限定されない、多彩な行動を子どもたちは危険な状況(もしくは危機的状況)で示します。たとえば、潜在的なアタッチメント対象に嘘をつくかもしれません。現実を否認するように騒がしく行動するかもしれません。他の子どもに攻撃を向けるかもしれません。恐怖が強まれば抜毛や爪噛みなどの自傷が見られるかもしれません。二者の間での近接を巡る様式だけではない、パーソナリティの機能の仕方が、多彩な行動に現われます。

モデル3では、モデル1の時系列を個人の内部から外部への空間的な配列へと変更し、要素を圧縮することで簡略化しました。それによって、図の上に多くの要素を並べる余白を作ることができました。ここに多彩な行動と、それに対応する防衛的方略を書き込むことができます。

ところで、矢印が若干目につきます。ですので、これを省略します。

スライド2.001

シンプルになりました。名前を付けてみます。

第一階層:行動
第二階層:防衛的方略
第三階層:恐怖とニード

嘘について説明をしてみます。子どもが嘘をつく時、これを個人内の属性と捉えることは可能です。しかし、むしろこの傾向は関係的な属性と見なした方がよいと私は思っています。つまり、「怒られたくない」から嘘をつくことを選択するという属性です。たとえば物を壊したとします。そうすると怒られることを予感するのでしょう。そうでなければ嘘をつく必要はありません。モデル1で説明をした、危険な状況の2つめ、周囲が安全でない状態に相当します。アタッチメント対象から怒られることを想像しているとすれば、対象が利用不可能になる状態を引き起こしかねない状況でもあります。心の中に恐怖が喚起されます。けれどもここでは近接を図って安心するという方略は取れません。

小さい子どもであれば怒られることを予感して、怖くなって、アタッチメント対象の足にしがみつく、というようなことはあるかもしれません。それはくっついて安心すると同時に、怒られることから、あるいは物を壊したことから目をそらすことを目指した行動と考えることもできるかもしれません。上手な子どもであれば「ママ、大好き」とにこやかに笑うくらいのごまかし方ができるかもしれません(1万リツイートくらいされそうなエピソードです)。しかし、年長になれば、むしろ嘘をつくことで追求を退けます。「嘘をつくこと」が「行動」であり、「ごまかそうとすること」が「防衛的な方略」です。これを動機づけているのは「恐怖」です。

日常生活や支援の場で、しばしば見かけるのは、この時に、「ごまかそうとすること」「嘘をつくこと」をやめさせようとする大人の対応です。これは、第一階層(行動)と第二階層(防衛)に取り組んでいることになります。しかし、防衛的方略は恐怖によって動機づけられているのです。言葉を換えれば、その子どもにとっては身を守るために必要な方略として無意識的に選択されているのです。これを奪い取ろうとする大人の対応は、したがって子どもの恐怖を強めます。その結果防衛への傾倒はより強固になります。そうすると大人の対応も強硬になります。結果としてお互いにエスカレートしがちです。

忘れられているのは第三階層の恐怖(やニード)です。これを和らげることが、結果的に「ごまかそうとして」「嘘をつく」ことを緩めます。それがこのモデルによる説明であり、支援への示唆となります。

この防衛的方略と行動に、非行・犯罪の様々なリスク因子を通して身についた諸要素を当てはめれば、モデル2を簡略化したものともなります。非行・犯罪はしばしば安心感が得られないところで安定を図るための(社会的に逸脱した)解決の試みであると考えることができます。そのため、アタッチメントのニードをすっかり覆い隠して見えなくすることも少なくありません。たとえば、遊ぶ金欲しさに窃盗をするというような行為です。なぜそれほど遊ぶ金が必要であるのか、というところに遊びで落ち着かない内的状態の安定化を図る動機を見いだすことができそうです。しかし、それはそうと見なければ見つけられないものでしょう。

モデル3はこのことを(あるいは上記の嘘をつくことも)、以下のように示すことができます。

スライド3.001

モデル2の右の輪に移行した、非行・犯罪性の発展した図にも相当します。しばしば、防衛的方略が動機そのものであると誤解されています。そして治療者や支援者はこれに取り組んでしまいます。このことは多大なエネルギーを注ぎながら(そしてしばしば強硬な介入に発展しながら)、得るものの少ない作業となるでしょう。むしろ、治療者や支援者の仕事とは、一見すると第二階層までしか存在しないように見える子ども(あるいは大人)の世界に、第三階層を想定し、それを読み取ることにあります。それを専門性と呼ぶのです。

もう一段階、発展させてみます。

不適切な養育、虐待、あるいは逆境的な経験を重ねてきた子どもは、強い恐怖を継続的に、あるいは断続的に経験することになります。経験するのは恐怖だけではありません。長じれば助けにならない、あるいは虐待的な養育者への敵意も生まれてくるでしょう。他方で、アタッチメントの方略が何の意味も持たない無力さも感じるかもしれません。そうした子ども(もしくは大人)の中に、私は、恐怖、ニード、敵意の3つ組、もしくは無力感を加えた4つ組を想定することができるのではないかと思っています。

虐待的な経験をしてきた子どもたちにはこの3つ組、ないしは4つ組があり、一見するとそれがランダムに現われるために、さっきまでべたべた甘えていた子どもが突然かみついてきたり、昨日まで機嫌よく接していた子どもが突然疎遠になったりすることがあるのだと、そのような子どもの不意の行動を、とりあえず3つ組や4つ組のランダムな現われと見なしてみれば、戸惑うことなく対応がしやすくなるのではないかと思っています。

これを第三階層に置いてみます。そして、子どもの様々な行動問題と、それに結びつきそうな方略を並べてみます。

モデル3.001

雑然としていますし、この並びに深い意味があるわけではありません。現実の正確な反映とも言えないでしょう。けれども、このように考えてみることで、表に現われている行動が、どのような動機によって、そしてどのような方法によって、選択されているかを思い描くことが可能になります。

支援の方針は、モデル2で説明した通りです。第一階層の行動が破壊的なものであれば、これを止める必要があります。このことは内側から外側に向かう矢印(を図からは消してしまいましたが)の動きを抑えることになります。そのため、内的な圧力が高まります。これ自体、リスクであると同時に、それによって第三階層が見えやすくなるという利点もあります。その調整が、臨床家の手腕が問われるところでしょう。

とりわけ過酷な虐待的な背景を持っている時に、私が有用であると思う方法は、第一階層を抑える主体(治療者や支援者、機関)と第三階層にアプローチする主体(治療者や支援者、機関)を分けることです。これは敵意を減らすための工夫であり、ニードの表出を促す工夫でもあります。養育者の支援においても同じことが言えるかもしれません。

この図を「動機から行動」へのレイヤーと名付け、これに「関係性」のレイヤーを重ねてみれば、ある動機からある行動への推移が、特定の関係性の経験の内在化と連動していることを考えることができたり、

スライド4.001

「無意識」と「意識」のレイヤーを分けてみれば、メンタライゼーションについて考えることができたりもしますが、

スライド4.002

それを図示すると複雑になっていくので、観念的に思い浮かべるくらいがちょうどよいのではないかと思っています。

モデル3は、モデル1とモデル2を表現しながら、時系列の要素を減らし、これを空間的に、個人の内部から外部への動きとして表現したものであり、また行動の多様性を書き込む余地を持たせたものでもあります。支援上の示唆はこれまで他のモデルで述べてきたものと代わりがありませんので省略しますが、これらのモデルはいずれも、もともとは二者のダイナミズムであるはずのアタッチメントの組織化を、一者のダイナミズムで表現したものとなります。その利点は、とりわけモデル3は、二者関係を重ね合わせるのがそれほど困難ではない一方、複数の二者関係を1つのモデルの中で扱うことができる点にあります。そのことを、近いうちに施設養護や家庭養護の文脈で書いてみたいと思います。

ひとまず今回は、これで3つのモデルの説明を終えたいと思います。

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