失われた日々を悼む

この数ヶ月のうちに起きたことを記しておきたいと思います。きっと忘れてしまうので。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が私たちの生活にとって現実的な脅威となったのはいつごろでしょうか。誰を代表するようなこともないので、私にとっての風景を書いていきますが、2月の初旬から中旬にかけて、クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号での感染が話題になった頃、まだそれは対岸(というよりも水際)のことでした。船内の状況が思わしくないことは漏れ出ていましたが、感染症の専門家によって船内の様子が明かされたことによって、その危機感は一気に高まったように思います。厚労大臣の危機感のない発言が火に油を注いだところもありました。でもそれは、ダイヤモンド・プリンセス号の中で起きていることについての危機感であり、その乗客が帰っていくこともまだ個別の事象として考えられているように思いました。

しかし、同じ頃日本国内における屋形船での感染、北海道での感染の広がりが見られており、その頃から風向きが変わったのかもしれません。2月半ば、中国や韓国の状況が大きく取り上げられ、爆発的な感染と死亡者の累積が数字の上でも、ニュースにおいても目に映るようになってくると、だんだんとその恐怖は広がりを見せました。ウィルスよりも前に、恐怖の感染が広がっていき、店頭からマスクやアルコール消毒液とともにティッシュペーパーやトイレットペーパーがなくなっていきます。オイルショックの名残なのでしょうね。トラウマはくり返し立ち現れます。

こうした混乱には、目的のない休校要請が一役買っていたようにも思います。国民にとっても感染症対策の専門家にとっても行政府にとっても突然のこの要請によって、なし崩しに私たちの社会は混乱の中に放り込まれました。それが2月29日のことです。この日は土曜日でした。いつものように週末を迎えた子どもたちは、そのまま学校に行くことができずに終業を迎えます。そのまま卒業を迎えた子どもたちもいました。子どもを持った保護者は何の準備もないままにこの事態に巻き込まれました。失われていく関係を失うこともできずにそれは失われました。

翌週3月5日になって水際対策をしていたはずの政府は中国、韓国からの入国を禁止します。順次入国禁止の対象国は増えますが、この遅れは習主席の来日を控えていたからだという報道もありました。

この間、主立った欧米の国々で都市封鎖が行われていきました。諸外国はこれを戦争状態になぞらえ、今ではsocial distancingと呼ばれるキャンペーンを行っていきます。同時に企業や個人に対して大規模な財政出動を行い、経済的な救済措置をとっていきます。医療崩壊の危機が叫ばれ、同時に医療従事者への感謝を示す行動が各地で起こりました。stay home。家の中にとどまる間、インターネットを通じたコミュニケーションやコラボレーション、ユーモアのある発信がいくつも生まれています。それぞれが個々に、けれども同じ意識のもとで連帯していく様子が窺えました。

その裏で、ホームレス、移民、低賃金や日雇いの労働者たちが、こうした社会的連帯の輪からこぼれ、多くの感染者を出し、あるいは、人々が家の中にとどまることを下支えしている社会構造が明らかになってきます。いうまでもなく、もっとずっと前から明らかであった問題が、感染症の流行によって改めて明らかになった形です。そして、それまでと同じように、取り立てて手当てをされないままに今に至っています。stay homeと言う時、私たちは誰を踏みにじっているのかを忘れることはできません。

日本ではライブハウスでのクラスターが確認されたこともあって、大規模イベントや密閉された空間での集会が自粛されました。後に有名人の死を通して夜の街の活動が自粛されました。自粛されるという他律的な言葉の響き。自粛の要請という奇妙な日本語とともに、補償なき休業が広がっていきます。フリーランスの活動が大幅に制限され、この時期に多くの収入を得る予定であった人々が苦しむことにもなります。国会では当然、このことへの補償が話題になりますが、フリーランスとフリーターとを取り違えているのではないかというような答弁とともに、補償は拒否されます。それは今に至っても変わりません。

3月半ば、街の中から人が消えていきました。私は新幹線を利用しますが、いつもは満車の新幹線から観光客が減り、出張者が減り、2人掛けの席に1人、3人掛けの席にも1人と、いつもの5分の2にまで人が減りました。京都駅には忘れ去られた都市の名残のような虚ろなコンコースが横たわっていて、足早に通り過ぎる数人の人影が、この世界が現実に属していることを思い起こさせてくれました。

けれども小康状態が保たれ、月末の連休を迎える頃にはまた観光客が戻ってきました。都市のロックダウンが都知事によってほのめかされた後のことです。結局のところ、危機感にふさわしい対策がどこにも見出されないのでした。3蜜が言い出されたのはこの後です。一説にはこの頃にヨーロッパから帰国した人々が、中国や韓国とは異なるタイプのコロナウイルスを持ち帰り、それが後の感染拡大を引き起こすことになったとも言われています。クラスターの追跡では把握できな個人の感染が目立ってきました。

休校要請は解除されるのか、都市は封鎖されるのか、水際対策とクラスター潰しに終始していた状況は変化するのか、PCR検査が抑制されているのは合理的なことなのか、これから感染爆発が起きないのか、オーバーシュートという言葉は日本国内のジャーゴンになっていないのか、経済対策ではなく感染対策としての財政出動が必要なのではないか、いったい日本はどうやって感染拡大防止策を取っていくのか、何1つ明確にならないままに新年度を迎えます。

大学は散発的に卒業式、入学式を中止し、授業開始を遅らせ、授業のオンライン化を進めていきます。けれどもそこに統一された指針はなく、授業のオンライン化によって単位取得は可能なのか、テキストなどを使用する際の著作権の問題はどうするのか、学生間のデジタルデバイドの問題に対処できるのか、対応がまばらなままでした。経済的な支援については一定の指針が出たものの、2019年度後期の授業料を滞納し、後期の間バイトをして自分で生活費と学費を稼ぎ、何とか支払いをしようとした学生が、バイト代が支払われ得なくなったことで除籍となるようなことも発生しました。世界が混乱する時、常に社会的な弱者がまず被害を受けていきます。

再び街の中から人が消えていきました。感染拡大は止まりません。そんな中、アベノマスクが発表されます。日本中が落胆しました。絶望的なことに、これは感染防止対策ではなく、経済対策でした。私たちが想像する対策のはるか上空を漂い、風にあおられて急降下して地面に叩きつけられたにもかかわらず、嬉々として荒れ荒び粉塵とともに花粉をまき散らす、はた迷惑な布きれのような政策でした。まさかそれから2週間もたたないうちに、人気歌手にフリーライドした、パンがなければケーキを食べればいいじゃない21世紀バージョン au Japonを見せられるとは思いもしませんでした。何だこれは。

私たちは何を経験してきたのでしょうか。

少なくとも私は、いつものように専門家の軽視を目撃しています。いつものように虚飾だらけの政権を見ています。その政権によって舵取りをされた迷走する国に暮らしています。権威への信頼を持てないことは、困難な状況に立ち向かう気力をそぎます。いったい「あの」動画にどれほどの人が心から絶望したでしょうか。

私たちは今、恐怖の状態にあります。感染の恐怖にさらされています。誰かを、とりわけ大事な誰かを感染させるかもしれない恐怖にさらされています。検査が行われないことは実務的な事柄であるだけではありません。これは私たちがケアされないことを伝えるメッセージになっています。感染が分かった時に助けてもらえるという確信が持てないことの恐怖が潜在しています。そうではない、という専門家の否定は通用しません。なぜなら現に通用していないからです。情報を提供するということは、単に情報を提供するという意味を持つだけではありません。それによって恐怖を和らげる必要があり、情報とはそのように発せられる必要のあるものです。

感情もまた現実であり、この現実を抜きにした対策は功を奏しません。

考えてみれば、古来から続く天皇の仕事は祈ることでした。バチカン市国で祈る教皇の絵が話題になりましたが、誰かが私のために祈るということの慰めを天皇は引き受けてきたはずです。天皇制が続くということは、人々が自らのために祈りがなされることを必要としていたことを意味しています。もしも、天皇制が存続するのであれば、今こそ祈りを見せる時であり、逆に祈りが伝わらないのであれば天皇制の存在する理由はありません。飛ばない豚はただの豚です。ただの豚で何も悪くないのですが。

少なくとも私たちは、人から離れるというsocial distancingによって、社会的な活動も、人間の存在のありも、大きなダメージを受けています。それは、私たちのアタッチメントシステムを機能不全にするからです。人は、恐れに際して他者との近接によって慰めを得るシステムを携えて生まれてきています。近接が危機を生み出し、危機が近接を喚起するとすれば、それは解決のない葛藤状態です。

そのことは親密な関係における暴力を増大させるでしょう。もともとあやうい絆をなおさらダメにするでしょう。リスクを抱えた人たちの体力を奪っていくでしょう。人々がかたずを呑んで見守る感染対策のその日陰にも、光が必要です。

もっと平穏に、家の中で過ごせているのだとすれば、それは幸福で幸運なことですが、だからといってこの災禍での慰めになるわけではありません。解決のない葛藤はここでも生じているからです。物理的に近づくことの許されない環境の中で、インターネットを介して私たちはつながることを選択しており、誰かを思うことを通じてつながることを選択しており、そのようなやり方でしかつながれない状況を強要されています。

そこには身体がありません。ある意味で、幸福で幸運な人生というものは、身体を失うことができるものなのかもしれません。もちろんそれは、長続きしませんが。

身体とは心を入れる器であると同時に、身体もまた心です。私たちは心を失いながら、つながりを維持する、そのような境遇を生きています。

多分、私は日常を失っているのでしょうね。積み重ねてきた毎日を、当たり前に過ごしてきた日々を、朝が来れば迎えると思っていた明日を、失い続けているのでしょう。手のひらからこぼれ落ちていく日常を、為す術もなく嘆いているのかもしれません。

それは、異常な状態に対する正常な反応なのでしょうか。そうなのかもしれません。でもそのような形でnormalizeされることを私は望みません。あまりにもリアリティのない世界を(だって日常が失われているのですから)現実として生きなければならない軋みがある時に、それを嘆き悲しみ、怒り、抵抗し、やりすごし、どこかであきらめながら仕事をする方がずっとリアルであるように思います。

失われた日常を悼むことの方がずっとリアルです。身体が心であるように、感情もまた身体であり、リアルであることはその結び目です。

失われている日々を前に、帰り道で出会ったテイクアウトに舌鼓を打ち、大切な誰かを思って慰めを得て、何だか分からない政権に腹を立て、夜の帳にまぶたを下ろし、不穏な夢に動悸を強め、賢しらな誰かに悪態をつき、取り立ててぱっとしない冗談に冗談を重ね、時折訪れる祝福のような喜びに小躍りし、そのようにして身体に現実を宿すことができます。そうして身体サイズの日常を、何とか維持することができるかもしれません。

私たちは何を経験してきたのでしょうかね。

失われたものが損なわれてしまわないように、明日の歌を歌いましょう。

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