HOTEL宇宙船2020


「敦郎、もしかして丸の内線乗っとる?」
一度目の緊急事態宣言での自粛が明けたすぐあとだったから2020年6月上旬だったと思う。私は時差出勤のため、11時台の丸の内線に乗って出勤しながら日課であるオンラインオセロをスマートフォンでこなし、巧みに隅を打ったあと、やすり攻めをイラクの対戦相手に対して行い、軽快に一日を始めようとしていた矢先だった。SNSの通知にやや驚きすぐアプリを開いて確認すると凛からだった。ぼんやりしつつも割合勘の良い私はすぐさま車両内を見渡す。右斜め向かいの席にマスクをした凛が座っており、こちらに小さく手を振ったあと、立ち上がり私の隣に無言で座った。
「かんなり久しぶりやんな、でら嬉しい」
不意に三重弁が出てこず戸惑った私は視線を落とすもタイトめのミニスカートから出た凛の生足を凝視する格好となり、あわてて視線を虚空に彷徨わせる。
「ほんまひさしぶり。髪、みじこなったなあ」
「だいぶ前からやよ、ええやろ。大人っぽうて」
「まあね」と返しながら見た凛の髪は高校生の頃と変わらぬ美しい黒髪ながらボブカットで短くなっており、襟足の内側だけ金色のメッシュになっていた。そのことに触れると、「LiSAとかもやっとうやんなあ」と凛は少し恥じらいを見せ、かつてのバンド好き少女の面影を感じさせ一層愛おしく感じた。
 
赤坂見附で乗り換える際、逆方向の渋谷方面に乗るという凛と別れた。会社は変わってないものの職場は五反田から表参道に異動したと言う。「じゃあね」と別れて浅草方面の銀座線に乗ろうとフェイントモーションをかけ、すぐ立ち止まり振り返ると凛はその華奢ながら美しいプロポーションでエスカレーターに向かうところだった。タイトミニスカートは相変わらずあの時のままの美しい曲線的でキュッと上がった尻を強調してい、私は暫し時が止まったように去っていく凛の姿を眺めた。
それから暫くして私が監督した『東京の恋人』という映画が渋谷のユーロスペースでレイトショー公開された。公開前後はイベントやパンフレットの原稿執筆、宣伝のための動画出演などに追われ、慌ただしく過ごしたが、数日経って凛のことを不意に思い出した。
凛は大学卒業後、映像関係の仕事を続けており、現在はネットフリックスなどに代表されるサブスクリプションの映画配信関係の仕事をしている。
「『東京の恋人』って映画を監督して、いま渋谷でやっとるもんで、よかったら来てな」
メッセージは直ぐに既読になり、五秒後に返事が届く。
「敦郎、映画撮ったんやな〜。昔から撮りたい言うとったもんね。すげ〜」
すぐさま返信をしようとすると、
「行く行く!夜やろ?エッチしとらんかったらね!」
はははと字面でも乾いた笑いを送りつつ、COVID−19には気いつけなかんよと言葉を掛けた。
 
凛と私は高校の同級生だった。私が初めて彼女を認めたのは一年の三学期のことだ。他クラスと合同で美術の授業があり、消化試合のようなエアポケットな春先に美術教師の好みで二限丸々使って季節外れの『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』を見た。作品の内容は一切覚えてないものの、他クラスだが仲の良かったバレー部のアキラと談笑していた際、ふと映画を真面目に見入る凛に目を奪われ、「あの子、誰」とアキラに訊いたのだった。アキラは凛の方を一瞥するなり表情をくしゃくしゃにし、「やめといた方がええよ。男癖わりもん。羽中やからガラわりし」と答えた。
「野球部のマネやったけどキャプやら他何人かとも遊んどて問題になったもんでこの前辞めたらしいわ。下社、童貞やもんでそういうとこ鼻効かへんのやろな」
「やかまし」
 
 凛から次に連絡が来たのは夏の終わりだった。会社の仕事もほぼリモートになり、週に一回だけの出社勤務終わりという絶妙なタイミングを狙ったかのようにゴールデン街に呼び出された。4人も入ればいっぱいのカウンターだけの店に到着した際、凛は既に酔っ払っており初老の男に絡んでいたが私を認めるとすっくと立ち上がり首に手を回しハグをした。
「遅かったやん。会いたかった」
 凛も私も東京では田舎の言葉を使わなかった。それは東京に順応するための処世術でもあっただろうし、お互い郷里にいた頃のモードに入りたくない態度のように思えた。しかし私たちは二人で会うときに限り、どちらから約束したわけでなく故郷の言葉を使うルールの中で接していた。
「なんかあったん」
 カウンターに座り、マスターにフォアローゼスのソーダ割りを頼むと私は凛に尋ねた。その時、この店で昔、編集者を名乗る壮年の男に文学論を吹っ掛けられ、喧嘩して追い出されたことを思い出した。凛は珍しく強いお酒をロックで飲んでおり、グラスに視線落としながら氷を転がした。照明が暗くてはっきりとはわからなかったがマニキュアがワインレッドだった。
「敦郎の映画、この前見たよ。アップリンクで」
「そうなんや、言うてくれたらチケットあげたのに」
 水晶のような瞳が店のライティングの演出も手伝いきらびやかに花咲く。凛はそんな眼差しで、暫し黙り込み遠くを見るとなしに見ている。私はそんな彼女を何度も見ていながら、単純に、何の捻りもなく綺麗だなといつも思ってしまう。心に留めとけば問題はないものの酒も手伝って不意に口からその言葉が滑り落ちていた。
「綺麗ちゃうよ」
 そこからまた長い沈黙が続いた。6月の再会を除けば我々がこう腰を据えて話すのは4年ぶり程になる。
「あたしら付きおうとったら、また将来も変わっとたやろね。案外相性ええと思うし、あたし敦郎のこと好きやしさあ」
「まあ好きにもいろいろあるやろ」
「本当の好きやよ。本当の本当の好き」
「本当?」
「うん!」
 満面の笑みに辟易しつつ、軽めに感謝の述べた後、凛は歌舞伎町の鯨の刺身が食べられる店に行きたいと言い、私が勘定を済ませた。いいのと訊く凛に愛想なく店を出ると狭い路地で後ろから手を繋がれた。凛の導きのもと、歌舞伎町の店を目指す道すがらキスをした。インバウンドの旅行者のいないゴールデン街の路地裏は平日ながら例年からするとかなり人が少なく我々は周囲を気にせず、もしかしたら一時間くらいキスをしていたのかもしれなかった。

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