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一緒にいて心が安らぐ人

こんにちは
ShimoUです。


noteに毎日投稿できている理由は様々です。
1人でnoteを綴っていて「このテーマ掘り下げたいな」って思ったら、僕はその日のうちにそのテーマの下書きを作っています。
そのせいか、僕はいつも5~7個ほどのテーマを抱えています。
書ける時、書きたい時に下書きを書き進めます。
空き時間に綴る時は、主に最初のトークテーマ(目次までのところ)を書くことがとても多いです。気付いたら1000字を超えていることが多いです。

こういうことの積み重ねができて初めて、「毎日記事を投稿する」ことができているのだと思います。

過去の自分、思い付きながらよくやった。
こうやって、少しずつながら、過去の取り組みを肯定しています。

それをやれる機会を作らないと、やっていけない気がしているから。

note、少なくとも2023年中は毎日投稿します。
これは自分との約束です。

でないと、自分に自信がつかないから。
「自分って何もできないんだ」ってひたすらに自分責めをする無間地獄に落ちそうな気がするから。


だから、1日の中で自分と向き合う時間を必ず設定して(割と夕方~夜が多い)、何かしらの音楽をガンガンにつけて、外界からの刺激を遮断しながら毎日書いています。


自分のために書いているnoteを読んでくださる方、本当にありがとうございます。

「この時間でShimoUのnote読むね!」
「ShimoUのnote読んだよ!」

こういった声を自分にかけてくれること、

「noteを通してShimoUのことをじっくり考える時間を取れてる」(意訳)
「ShimoUさん普段こんなこと考えてるんだ!」(意訳)

こういう話を自分にしてくれること、

その全てが当たり前じゃないし、有難いし、温かいなって思います。

こういう話を自分にしてくれることが、自分がnoteを毎日投稿しよう、毎日書き上げよう、って思える大きな理由になれています。


ファンっていうの?
しらんけど。

でもこうやって、自分に興味を持ってくれる人の存在って本当に偉大なんですよ。

最近は何人かに「このnote、読んで欲しい」って言ってしまうことがあります。
とっても傲慢ですね、自分。
イキってますね、自分。

こういうところから自分責めが始まっちゃうんでこれぐらいにしておきます。
今、折角DA PUMPのライブ映像をつけながらnote書いてるんで、マイナスな考え方も程々にしよう。
ちなむと、今流れている曲は「Little Loneliness~しあわせの隙間~」です。
ちょっと切ない系の恋愛ソングです。好きな人は好きだと思います。
僕は大好きです。

年末が近くなってきて書くネタがなくなってきたら、必殺奥義・「DA PUMPの推し曲について」を綴りますね笑


それはさておき、今回は「一緒にいて心が安らぐ人」についてです。

一言でいいます。
「どこか似ている人と一緒にいる」時間が一番心が安らぎます。

それを綴るには、普段僕が考えていることも書いた方が良さそうですね。
ShimoUの頭の中、もっというと普段考えていること、こういう時にストレスを感じやすいな、的なことを今回は割と多めに語ろうと思います。

誰かに対する僕のトリセツのつもりはないです。
僕自身がこのnoteを読み返した時に、自分の思考を客観視するために綴ります。

だって、謙虚に生きていきたいから。
僕の憧れの人はDA PUMPのKENZOであり、ISSAです。
2人とも絶対にテングじゃなくて謙虚なんです。
そんな人たちって本当に人間性が出来上がってるし、間違いなく自分が尊敬したい&目標にしたい人なんですよね。


本日もよろしくお願いします。

「こういう人といると安心する!」

もうね、とってもシンプルにいきます!

「根が落ち着いている人」
「自分が変に飾る必要がない人」
「品がある人」
「気配りができる人」


無理な人、一緒にいるとしんどくなりやすい人

「無神経な人」
「ひたすらにただただ元気な人」
「人の悪口で盛り上がる人」
「下ネタでガンガン盛り上がる人」


上に挙げた特徴を説明するには、僕のそもそもの性格を綴ってからの方が説得力が出そうですね。


元々の性格とコンプレックス

僕って、元々バカがつくほど真面目な人間でした。そして年齢以上に落ち着きがある人間です。(落ち着きのことは一回り以上上の大人からよく言われる)
だから冗談なんて通じなかったし、ふざけたことなんて決して言えない、ノリが悪い、周りのテンション感に意図的に合わせにいく、そしてただひたすら受身(自分の興味のあることは除く)な人間でした。そして、超アドバイザー。


こういう性格は、今ではこうなっています。

・冗談→ここ数年で、”冗談”とガチトーンの違いを理解。でも、元々冗談が通じなかった人間だから、自分の中で「冗談スイッチ」が入っていないと咄嗟に対応できない。あとから冗談のやり取りを思い出して、「咄嗟に返せなかったなぁ」と後悔&一人反省会を開く
・おふざけ→周りの人&買って勉強した著書のおかげで、おふざけには対応できるようになる。今はおふざけは割と好きな方なのかも。でも悪意のあるおふざけは無理。うまーく流してるけどね。やっぱりストレスはエグいよ。
・テンション感→本当に心を許せる人以外は空気を読んでテンション感を合わせにいく。だって自分にテンション感を合わせられてるなって直感で感じて、そのことがストレスになるから。大人数場面では機転を利かせまくって自分から色んな行動を起こす。その様子を見ていた大親友から心配される。
・ノリの悪さ→高校時代に「お前、ノリ悪いよな」って一言言われてから、ノリが超良くなる。自分のことなんて二の次。人に嫌われないために集まりに参加することが最優先、みたいな感じ。でも最近疲れ始めたから、自分のできる範囲でノリ良く行こうかな、って感じ。
・受身→昔から抱え続けていた自分の最大の欠点。周りに詰められまくって、改善をしようと努力し続けたけど自分のキャパの限界が来て諦める。今は、”自分にできる範囲で”主体的に動ける場面で動く。ちょっとしばらくは休憩したいかなーーーって感じ。
・アドバイザー→”相手のことをよく観察する”力を身に着けることで克服。ヨクガンバッタエライ


こういう感じです。自分の欠点ばっかりに向き合い続けるとメンタルが自滅しそうなんで、これぐらいに留めておきます。


そう。なんで僕が一緒にいて安心する人に「落ち着きがある人」を挙げているか、っていう一番の理由が、僕の「テンション感を周りに合わせ始める」ってところにあります。

テンション感を周りに合わせることがプログラミングされてるんです。
だから、今更変えることは難しいんです。

テンションがめっちゃ高い人といたら自分も合わせ始めてしまう。
ちょっと前まではそれで全く苦痛を感じなかったし、むしろ合わせられている自分が好きだった。その人と親近感を感じられていたから。

だけど、自分のキャパが少なくなってから、テンション感を周りに合わせると自分が疲れることに気付いてしまった。

逆に、自分のテンション感に合わせてもらっている感覚に気付いてしまって逆に申し訳なくなる。

だから、どんなに仲が良い人でも、テンション感が似てる人、一緒にいて落ちつける人が一緒じゃないと、自分が若干の(あるいは相当の)居心地の悪さを感じてしまう。

だから、ここ最近は一緒にいるメンツが割と固定化されてきた、

こういうロジックです。


居心地が悪い、なんて絶対に誰にも言わないけどね。
自分の心の中に留めておくんです。

ただ、自分からそういう人を誘いに行く頻度は明らかに下がります。
ごめんね、自分を守るためなんだ。


ごめんね、ここまで内容が暗くて。
ちょっとテイスト変えるか。




ボクが”一緒にいて安心する人”に伝えたいこと

最近、何でも話せる大親友ができたことが、自分にとって大きすぎる財産なんですよ。

僕が一緒にいて安心する人たちはこういう人たちです。エピソードとかもちょこちょこあるから、「あ、これ自分のことや」ってなる人いるかも笑

一緒にいて心から安心できる人、ノリが近くてちょっとした会話でも心の底から2人で爆笑できる人、「ShimoUなら何でも相談できる」って認めてくれてその人が苦しい時に自分のことを頼ってくれること(もちろん、自分もその人のことを頼らせていただく機会が増えてきたこと)、「ShimoUと話したい」って言って自分との時間を優先的にとってくれること、「ShimoUと一緒にいると安心する」って言ってくれる人・お互いにそう思えていること、「ShimoUとだったら、別にずっと会話してなくてもいいや」って思ってくれること・口に出してくれること、

僕が心の底から好きな、DA PUMPっていうコンテンツを一緒に好きになってくれること、「DA PUMP」のことをもっと知りたいって言ってくれること、自分も相手の”好き”の対象を応援できていること、

「ShimoUとだったら、なんでか知らないけど、家でいるテンション感で話せちゃう」って言ってくれる人、お互いの夢を応援し合える人、

僕のことを雑に扱える数少ない人(現在2人笑)

僕が大好きな「Crew」という言葉の意味を議論できる人、

自分の将来を本気で心配してくれて自分の将来を一緒に考えてくれる人、


そういう人たち1人1人への感謝は絶対に尽きることはないし、
自分に本気で向き合ってくれる人にはしっかりと応えたいなって思える。こういう関係が最高なんですよ。


自分のキャパが減った今、自分が向き合える人は減ってしまいました。でも、減ったからこそ、自分を頼ってくれる目の前の1人にその分全力で向き合えるのかな、って。

目の前の人に向き合い続けさせていただくことで、将来的にその人と一緒に過ごす時間に生まれる安心感が強くなるし。自分には「この人は自分を信頼して頼ってくれたんだ」って感覚を感じるから。



僕を頼ってくれる人へ
みんな、いつもありがとう!!!
誰かを頼る時って、絶対に罪悪感が生まれるものだと思うんですよ。僕も正直生まれるし、罪悪感。でも、その罪悪感が生まれることを承知で何度も何度も自分のことを頼ってくれること、とっても嬉しいんです。
罪悪感は生まれるかもしれないけど、その分お互いのことを知れるいい機会なのかなって思っています。しんどい時って人間の本性が出るものなのかな、って思っているから。
僕って、たぶん誰よりも”人に頼ってもらえること”が好きな人間なんですね。だから頼ってくれる人に向き合うことに拘りたいし、これでもかってぐらいあなたに向き合わせてください。

そうさせていただける瞬間って僕にとっては嬉しいものだし、たとえそれがいい結果に結びつかなかったとしても、あなたと一緒に悩んだ時間ってかけがいのない時間になるから。

あと、時間が経ってから思い出すってなった時に、絶対楽しいやん?笑


少なくとも、僕が適応障害で苦しんでいる時に頼っていた人とは、今当時のことを思い出しながら談笑できる関係になれているのかな、って思います。最近は会う頻度こそ多くないけど、お互いに苦楽を共有できたって意味で親友になれているのかな、って思います。一緒に居る時の安心感とか居心地もすごくいいし。

自分がとても苦しかった時に優先順位を上げて相手してくれて、何度も家に泊めてくれて(しまいには”よく泊まりに来る人準レギュラー”の称号を貰うレベル笑)、一緒にDA PUMPのライブ映像見たり(完全に趣味の押し付けだね笑 でもそれがキッカケで、彼とは一緒にDA PUMPのライブに行けました。)、深夜3時に吉野家に一緒に入ったり、何人か交えて一緒にお互いのしんどかった時期のことを話せたり、酒に逃げまくってた自分に「おう、好きなだけ飲め!」って言ってくれたり。

今だから言えます。どれもかけがいのない思い出です。

当時、僕が主に逃げてた酒はドンキのやっすい梅酒でした。
2Lで¥900ぐらいの紙パックの梅酒です。


この前、その親友と宅飲みする機会がありました。
その時、スーパーで買ったお酒は「2Lのやっすい梅酒」です。

「おいShimoU!お前がやっすい梅酒買っちゃダメだろ!笑」

はい。当時、完全に彼のツッコミ待ちでした。
「確かに!!」って言ってお互いに爆笑してた時、何より嬉しかったです。何より幸せでした。




今度は自分がしんどい人を助けさせていただく番だと思っています。
逆に、自分もしんどい時に助けてもらう番でもあると思っています。

でも、こういう梅酒を通じたやり取りみたいに、いつかは思い出話に昇華できるんですよ。

こう書くと、「思い出話にするために寄り添ってる」みたいに思われるかもしれないけど、そういうつもりじゃないです。

お互いしんどい時に相手に向き合い続けるその瞬間がとっても貴重な時間だからこそ、あなたとしっかり向き合いたいし、”安心できる関係”を築いていけるんだろうなぁ、と思います。

お互いが安心できる関係を築くために必要な過程なのかなとも思います。

人間、助け合いでしか生きていけないしね。




おわりに

なんだかまとまりが悪くなってきました。

とにかく、「一緒にいて安心できる関係」になるためにはそれなりのプロセスが必要なんだと思います。
前回綴った僕の人生最初の親友なんかいい例です。彼とは初期にぶつかり合いを何度もしてお互いを認め合うことができる間柄になれたから、久しぶりに会っても久しぶりじゃないような感覚になれるわけだし。

「苦楽を共有する」ことは将来的にお互い安心できる関係になれるのかなって思います。
だって、しんどい感情を共有した人に今更気を遣いまくるとかできないでしょ。一周回って何でも話せる間柄になっちゃうでしょ。てかなれちゃうでしょ。

たまにいるけどね、ただただお互いにテンション感が近くて、居心地がよくって、ヌルっとお互いのことを認め合える関係になれる親友。
君のことだよ、割と初期からお互いの好きを共有できていた人。


このnoteを綴っていて、「その人と苦楽を共にする」ことに意味があるのかなって思っています。
僕がしんどい人に徹底的に寄り添わせていただこうとしているのは、そういう面もあるからかもしれないですね。


とにかく、結論はこれに尽きます。

苦楽を共にした人との信頼関係・一緒にいるときの安心感はえげつないぐらい心地いい!!


だから、僕は自分が苦しかった時に沢山寄り添ってくれた人達に頭が上がらないし、逆に今、自分が手を差し伸べさせていただいている人に対しても感謝の念しかないんですよ。

自分のことを快く受け入れてくれた人
自分のことを頼ってくれた人
今、お互いに一緒にいて安心感を感じられている人
本当にありがとう。

あなたの存在に自分は本当に助けられています。
あなたのおかげで今、自分は生きられています。
同じような時期に苦しかった人、同じような苦しみを共有できた人、自分が立ち直るキッカケをくれた人、自分が立ち直った後に自分のことを沢山頼ってくれた人、頼り合えている人、
「ShimoUになら話せる」って言って自分を頼ってくれる人


こういう人達って間違いなく自分の中では「親友」っていう位置づけです。

これからもよろしくね。

本日もありがとうございました。

ShimoU

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