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みどりの食料システム戦略??

農林水産省が恐ろしいことを言い始めた。
日本国内の耕地面積は、約400万ヘクタール。その25%にあたる100万haを有機農産物圃場に転換すると云う。
たぶん、目標は高く掲げ、世間の耳目をひく狙いだけであろうかと思うが。
背景は朧氣に浮かんでくる。
その1,国連が提唱しているSDGs絡みへの政策の歩調併せ
その2,農産物輸出5兆円プロジェクト
前者は言わずもがな! 国連の存在意義を知らしめ、国連への拠出金を集める手段に過ぎまい。政府をあげて、来年度以降はSDGsにどっぷりと浸かる可能性が高い。農水省もそこへのっからなければならない!が至上命題なんだろうね。
17項目を丹念に読み込むと見えてくるものがある。
日本の農村と云うか社会に旧くから根づいていた、『結と講』の世界版ではなかろうか?

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そもそもSDGsと『結と講』
近年は少なくなったが、昭和の時代の農村は、紛れもなく、労力を出し合う『結』と冠婚葬祭の互助機能をもった『講』で成立してきた。
前者は、地域の道路補修、河川改修、農道整備などを行ってきた。昭和の高度経済成長期に入り、何処の自治体も地方交付税交付金が何もせずに増額され、役所のしごとに変わって来た。それが現在は、役所が発注し、地域の土木建築業者が請け負うことに変化した。労力を出し合って地域を護ることから役所が税収から支出することになった。それが低成長時代に入り、役所予算の硬直化の要因となっている。
むろん、農村サイドでも農民が激減し、勤め人が増加。労力の出し合いは成立し得ない時代環境へと変化した。
後者は、ふいの出費に備える積立預金のようなものであったんだろうね?相互扶助のための資金の出し合い、積立先が銀行でなく、個々人だった習慣であろう・・。旧家でないと残っていないかと思うが、何れの家庭でも、冠婚葬祭の奉加帳を大切に保管していた。
知り合いの家庭で冠婚葬祭があれば、奉加帳を引っくり返していたのを子供の頃に何度も観た記憶がある。
SDGsの17項目を初めて観た折に、日本社会に根付いていた習慣に、時代のキーワードをプラスしたものに過ぎない!と感じた。
日本は国連に言われるまでもなく、確固とした制度社会が続いていたことになる。背景は簡単なこと。日本は、先の大東亜戦争の終戦まで他国の干渉も支配も受けたことが無い。世界に類例の無い安定した社会だったことがわかる。天皇家の存在を称賛も否定もしないが、要因は、四方を海に囲まれた島国であったことが独自の安定した社会を育くむことが出来た背景であろう。

有機農業とみどりの食料システム戦略
日本政府は、平成23年に「第1回農林水産物・食品輸出戦略検討会」を開催している。
詳細は調べてないが、これが農産物輸出5兆円の大風呂敷プロジェクトの始まりであったろうか?
当時の国内農産物生産高は、昭和59年(1984年)の11兆7千億円をピークに下がり続け、令和元年(2019年)には8兆8千億円まで減少している。
ピーク当時の農産物の内訳は、米、野菜・果実、畜産がそれぞれ4兆円弱。減少額の過半は、食糧管理法廃止に伴い米価格の減少にある。
農産物輸出戦略は最近中身を知っておいおいおい!と思ったが、加工食品も農産物に含まれている。昨年の輸出総額は1兆円に届かず仕舞い。
なんと、TOPは日本酒だった。日本酒は農産物だったのね? 純粋農産物は、米と肉類併せて1500億円程度でしたね。
なるほど・・・。農水は、予算の使いみちが無くなっているからね~

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有機農業と考えると平均年齢70歳の現役農家、中堅農家は乗れません。ゆえに、農水は段階的取り組みに助成金を付けてくることになろうかと。
そこが狙い目になりそうですが、自治体が基本計画策定することが前提条件のようですからね。これが時間を要しそうですね。でも、乗ったふりはしておいたほうがベターかしらね?

有機農業なるものの実態
そもそも、有機農業なんて言葉は日本の農業には存在しておりませんでした。概念すら無かったと言い換えてもよろしいかと。
無かったわけではありませんよ。地域の特性に併せて、それぞれが有機物の投入を続けてきていた。有畜農業が家族農業の中心の時代がありましたからね。牛や🐷、ヤギ、鶏を飼い、堆肥を自宅でつくっていた。微生物は、自宅の溝から汚泥をすくって、堆肥に散布し醗酵助剤にしていた時代がそこにありましたしね。里山の落ち葉をさらい、苗床に使い、残りは、堆肥に混ぜていた。里山の下草が刈られていた時代ですね。
地域で見事な循環社会が成立しておりましたね。昭和30年代後半からの高度経済成長が諸々の農村社会を壊してきた。
製造業が首都圏から郊外へと続々と移転し、伴って、工場勤めが増えていた昭和の時代。農業の世界も機械化が進捗し、人手から機械に代わり、同時に基幹作物が稲作から野菜・果樹、畜産へと変貌した。
その時期に米国東海岸の小規模農家(と云っても100ha単位の栽培面積)の一部がOrganicFarmingと称した農業を模索し、都市住民の健康志向とマッチしてまたたく間に浸透した。
OrganicFarmingを直訳したのが有機農業なる四文字の始まりでした。
このことで、有機絶対論者が増加し、疲弊していた土壌の実態を認識していた一部の農家に広まった。当時は、量を作れば良い!とばかりに、有機水銀系の農薬と称した劇毒物を多用した。
中には、土壌中の害虫を絶やす目的で、土壌消毒と称して、土中の菌類も根絶やしにするクロールピクリンを散布したりしていた。
土壌のなんたるかを認識していた一部の皆さんが土作りの重要性に氣づき、様々な勉強会が開催された。土壌菌の活用を主体にしたもの。酵素に着目したグループ。有畜連携に着目したグループ。そこに水をさしたのが農水省の有機農産物ガイドラインの制定。
エセが雨後の筍のごとく氾濫し、消費者も農家も混乱していた時期ゆえ、止むを得ない措置でもあったかと思うが。役所が策定するものは、とにもかくにも、非ず!の羅列になり、雁字搦め!状態。
一時期は、認証機関が林立し、各機関が素人のアンちゃん、ネエチャンを認証の最前線に立たせた。
一部の農家をのぞき、嫌氣がさして、慣行農法に逆戻りしたのが実態では無かろうか?
惜しいなぁと思うのは、当時、それこそ、多数の技術をもった農家さんがほぼ、根絶やしにされたことですね。
これでまたぞろ、当時現出したアヤシイ連中が◯◯菌とか◯◯酵素とかの売り込み合戦になり、それに乗っかる農家が増加しなければいいが・・・との危惧を感じたりしてます。
そもそも有機農業なるものは、環境への負荷を減らし、良質の農産物を生産し、土壌は持続可能なものにしていくものが概念。
その根本を知らず、無農薬、無化学肥料に単純に憧れた新規就農者の皆さんが多数存在してたことも知っている。
過半は、挫折しているかと思うが・・・。極端から極端への悪弊が日本社会にはありますからね。
まぁ冬場であれば、虫も病氣も少ないので、無農薬は可能ですけどね。春先から秋口までの高温多湿の中では、虫もウイルスも好条件ゆえ、多発するのは避けられないのが日本の農業環境。
慣行農法(農薬と化学肥料頼りで土を考えなかった農家)さんや新規就農者が目指す農業では無い。
少なくても、土を知り、土壌改良方策を知り、の階段を一段ずつ登った頂上が有機農業の世界であり、なおかつ、損益の計算が成立しない世界であることも認識しなければならない。

政策を無視せずに乗っかるのも一興
補助事業、助成事業を毛嫌いされる農家さんが過半であることは認識している。縛りがあったり、報告があったりと煩わしいことも認識している。
が、ここは乗るのも一興かと。
どんな政策が打ち出されるか不明だが、SDGsに沿った事業転換であれば100%補助もあるかも知れない。それに乗ることによって、販路が開けることもあろう・・・。
何よりも生産設備が無料あるいは、半額などで入手できるのであれば・・。と感じる。


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