見出し画像

黒駒不動尊その5創建300年祭

世話人は12年に一度?

前回は、61歳! 当時は、福島で農家の復興支援をしていた。
前々回は、49歳! 上京一年目で東京在住。
前々前回は、37歳! 東京往来の日々で産直の立ち上げをしていた。
その前は、25歳での参加。爾来50年ぶりの世話人を仰せつかった。
微かに残る記憶は、一番年下での参加であり、地走りだけを務めた。
すべて、父親が代替で出てくれていたものであろう?
62歳!74歳!83歳!と三度。
83歳の折は、癌の摘出手術の後ゆえ、パスさせていただいたかも知れない。
58歳の折に、癌の手術をした。
当然、自宅には誰も居ない。
仕事は部下に委ね、資料作りだけを自宅でしていた。
手術前後の二ヶ月は、ほぼ、自宅に同居していた。
お不動様は幼児期に祖父に何度か連れられて出向いたのを覚えている!
『お願いはするな! ありがとうございます!』それだけでいい!
それが祖父の口癖だった。
言われるままに、神社、仏閣に参る折は、ありがとうございます!だけ。
そりゃ、70年も生きて来れば、神仏に縋りたい折も何度もあった。
が、祖父の教えは忠実に護り続けてきた。

北関東36不動

父親の手術が無事終わったが、当面は自宅で同居することにしたが、仕事以外することがない。
むろん、村のお不動様には、毎日、御礼参りに出向いた。
ある日、脳裏を過ったことがある。
そういえば、北関東36不動尊があったな~と。
病院に行くのは平日。週末は仕事の連絡も入らないので、軽い氣持ちで挑戦することにした。名前のとおり、群馬、栃木、茨城のそれぞれ12不動をめぐる旅。幾日を要したんだろ? 怖いことは忘却するように、脳内構造が出来てるので、何も覚えていない。ただ、画像が残っているだけだが。

群馬・水上町の奥地から茨城・板橋不動まで。


一番札所は、群馬県水上町の温泉街から山奥に入った水上寺。
11月末からの旅だったので、あちこちで雪道と遭遇している。
自宅から160km。四時間を要した。
36番札所は、県内の板橋不動院。1月末だったかと思う。
ご苦労様でした。お疲れさまでした。の言葉に思わず、滲んで来るものがあるほどの週末の旅だった。たぶん、5,000kmほど走破したんでは無かろうか? 人生最初で最後の親孝行をさせていただいた。
後日、御朱印を掛け軸にしていただいた。おかげ様で父親は89歳の生涯を全うした。男ばかりの五人兄弟は、全員が60代で早世している。お不動様のおかげだと今でも考えている。
兄弟五人は、(姉は嫁ぎ先の墓)同じ墓地に眠っている。
仲良しの兄弟だったから、毎夜、酒盛りしていることかと。
子どもの頃から陰に陽に、氣にかけてくれた叔父たちゆえ、一族の墓に入るまい!と思念している。
冥土へ逝っても、お前はよ~とネチッコク云われそうな氣がするからだ。
イスラム教徒で無いので、灰は、鬼怒川と沖縄の海に散骨してもらおうと。

北関東36不動

公私

人生最後のお不動様の世話人であろうと依頼を受けて以来、考えて来た。
お不動様は人生の中で、常に背後に居てくれたやに感じている。
仔細は省きますが、そう教えてくれた方が複数いる。
貴方は、お不動様に護られてますよ!と。
ゆえに、今年の世話人さんたちとの初会合で、口火をきらしていただいた。
オイラが、最年長のようなので、世話人代表をやります。
お願いしたいことが二点あります。
責任はオイラがすべて負います。
皆さんは、一年間、愉しんでください。
次の世話人が回ってきた時にも愉しんで世話人をおやりくださいと。
たぶん、10名の世話人の中で、特別な感情をお不動様に抱き続けてきた身。
300年前に飯村家が中心になりお不動様を建立したのは想像に難くない。
たぶん、先代や先々代はお不動様建立の経緯も伝えられてきたものと思う。
当代が聞いているか否かは不明だが、改めて聞くことではあるまい。
歴史は各人が想像すれば良い。多少、事実と異なることがあっても可と感じている。
村は、公と私が同居している。背景は、助け合って生き抜いてきたからであろうことは言うまでも無い。
子どもの頃、消防車が手押しポンプの時代に、隣の集落で大火があった。
それこそ地区の男衆の半数?と思われる皆さんが綱を引き、走り回るのを観ていた。消防団やら、道普請やら、堀の清掃は、村人がやっていた。
農耕民族として生きる知恵が存在していた。
それが、『結』であり資金を出し合う『講』であったろう。
占領軍に云われずとも存在した日本型の民主主義。
公私の概念を日本人が持ち続けているの背景の一つであろうかと。
祭りも同様に、公に奉仕する私。

お札二種類

木版のお札が二種類伝わる。
50年前に観た記憶は無い。
今回、若手三名にお願いして印刷していただいた。
73歳の小生も記憶にない、バレンを使った印刷。
ともすると、安易や便利に奔りがちな現代社会ですが、これはとても大切な伝統かと思う。
そんなわけで文字が若干不鮮明であったり、かすれたりしているのは、手作り印刷されているゆえでした。
27日に護摩焚きをした後に各家庭に配布されることになります。

木版と墨と手の左にあるのがバレン(竹皮)
刷りあがったお札
一枚ずつ押印して出来上がり!

60歳超のジイサンたち四名!
お堂内は、長年の埃りと物が積み上げられていた。
誰かが整理しないといけないことかと感じ、堂内に置くものと運び出すものを選別し、清掃もしてもらった。

神輿が現れた。いつの時代のモノなんだろう?
御簾内には仏像が二体。右奥には、太鼓ですね。


竹灯籠づくり!
孟宗竹と真竹。

幟二種類

日の丸をこよなく愛しているし、お不動様には感謝以外の言葉が無い。
自宅では、帰郷以来、雨の日を除いて日の丸を掲揚している。
思い立って、世話人会議の折に提案してみた。
デザインの変遷はあるが、二種類の幟を制作した。
各自が一本ずつ拠出し、10本の幟を制作。
毎月28日の不動様の縁日には、終日、立てることとした。
余計な手間をかけることになるが、反対者は居らんかったので嬉しい!
卍は、斜めにするとハーケンクロイツになるが、起源は同じですね。
悪の権化とされていますが、素敵なデザインかと思います。

右卍であることも知った。

今朝もあちこちに話題が跳んでしまったが、7月27日(土)の夕刻から
300年祭を挙行します。
未だに臨時駐車場を予定している借主の所在が判明しません。
懸念材料です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?