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今こそ、江戸に学ぶ!?

みどりの食糧システム戦略
今年、農水省が打ちだした政策です。
基本は、国連提唱のSDGsに併せているようですね。
有機農業100万haを掲げており、政策の中心は、世の流れなんでしょうね?
CO2削減が大きな課題とされています。

水戸藩と彦根藩の幕末(歴史は多面性に彩られている)
縁あって、桜田門外の変に加わった水戸藩士の末裔の方が書かれた三部作ともう、一冊を読ませていただいた。
後に、彦根藩と縁のある人物の書かれた維新前後の三部作も読了。
頭の整理をしないといけないかな?と感じたいたおりに、再度幕末物。
岐阜県在住の令和天狗党を名乗る人物が描かれた一冊が届いた。
もう、脳裏はぐちゃぐちゃですね。
書籍はのめり込んで読んではいけない!と教えられたが、アホなのかしらね?思い入れもあるが、登場人物に寄り添って読み込んでしまう悪癖を持っている。
ちなみに、30代前半までは、明治維新礼賛派。司馬遼太郎イノチだった^^;
が、彼の著作を読み進む間に、ふっと思った。
とりわけ、坂の上の雲が岐路だったようだが、明治維新なる四文字の胡散臭さに氣づかされた。
江戸時代、完全鎖国では無かったが、外国との往来、交易も閉ざされた暗いイメージだけが先行していた。
歴史教育でも、江戸時代を賛美するものはほとんど存在しない。
が特筆すべき点が多々存在した。後述するが、江戸時代こそが国連が突然言い出したSDGsの体現社会であったろうと感じてならない。
世界に先行して良質な社会をつくりあげたのが江戸時代と徳川幕府。
薩長が成し遂げたとされている明治維新。
火種は、水戸藩が醸成していたようだ。尊皇攘夷なる四文字がそれ!
それが維新後、突如。攘夷どころか?西洋礼賛社会を構築し、日清、日露の大戦さへと連なる。これも胡散臭いと感じ続けてきた。
江戸時代は250年とも260年とも云われる。
徳川治世下、戦乱がなかった時代。
世界の全ての歴史を認識しているわけでは無いが、長きにわたり、戦乱が途絶え、民が安寧の時を過ごしたのは世界に類例が無かったのでは無かろうか? SDGsを唱える前に、江戸に学べ!と国連は提唱出来ないんだろうね?

江戸の凄みと徳川の治世
これも知らずに居たが、徳川幕府の政体は見事としか言いようが無い治世を遺している。政権の中枢は、譜代と呼ばれる三河以来の大名が老中として決定権を持つ。そこへは将軍や御三家が口を挟む余地は無かったようだ。
実務は、直参旗本が行ったであろうことは推測出来るが、君臨すれども統治せず!の方針を貫ける体制を家康公は遺している。
戦後教育の中では、まるで江戸時代は暗黒の世だったやに教えられてきた。
冷静に考えれば、明治維新で新政府を樹立した薩長は、自分たちの正しさだけを喧伝しなければいけないわけで、(江戸&徳川治世)を貶めなければいけなかったことは自明。
巷間伝わる江戸時代の世界に誇れる治世
1)循環社会
同時代のパリセーヌ川は汚物川に陥り、臭氣ただよう町だったようだ。
江戸の町は、周辺の農家が野菜を売りに来て、帰路には糞尿を有料で買い取っていたようだ。
農村でも昭和30年代までは、過半の農家は、糞尿は堆肥にかけたり、畑の
片隅に素焼きの瓶を埋め、そこで醗酵させていた。
醗酵の元は、周囲の土を入れるだけ。醗酵した汚物は、優良な肥料分として畑に使われていた。欧米には、この慣習が無かったようだが、日本ではある時期まで、下肥とよび活用されていた。江戸時代にすでに始まっていたと考えるのが正解のようだ。豊富な魚類の穫れる東京湾はこうして守られた。
有機物を醗酵させれば、酵素になるわけだから昔の農家はそのことを認識していたことになる。
2)五街道と旅
参勤交代制度も背景にあったろうが、江戸の交通網とその仕組は凄まじいものがあったようだ。
行き倒れの旅人を関所リレーで本籍に送り届けるようなことまでしていたとされる。旅は結構、自由に行われてもいたようだ。保養地としての温泉が隆盛を極めたのもこの頃。
3)地方分権
米が経済の中心であった江戸時代は、冷害に苦しむ地域の藩をのぞき、藩ごとの経済社会が構築されていた。
現在のように、中央集権体制では無かった。とある時期、道州制やら地方分権が話題になったが、100年以上も続く、中央集権体制は崩れませんでしたね。中央集権体制の功罪は多々あろうが、地方に活力が無くなったのは中央集権制度もひとつだったやも知れません。
総務省が打ちだした、ふるさと納税と地方創生の交付金制度は、地方の独自性がどれほど出てくるか? 試金石なのかも知れませんね。

エセ維新前後
高校の修学旅行時、二条城で質問した同級生が居た。
なにゆえ、二条城って、塀が低いのか?と。
京都のGUIDさんの答えは明白だった。
「天皇を攻める勢力は日本には無かったから・・・。」
それが維新前に、長州は御所を攻めている。
蛤御門の変と呼ぶらしいが、歴史上初めてのことでは無かったか?
薩長は徹底して天皇を利用することを企んでいる。
偽の詔勅を乱発し、水戸藩はこれに巻き込まれても居る。
維新前後の経緯は省くが、トドメは錦の御旗だろうな~
過去の戦乱で錦の御旗を使った戦は無かった。
正義をチラつかせた維新前後の攻防の凄まじさは、会津、二本松の例をあげるまでも無かろう。
この国は、先の大東亜戦争に至るまで、薩長の思うがままに突っ走ってきた感が否めない。
むろん、その背後に居たのは、英国であることは論を待たない。
日清、日露の二度の大戦は、英国の代理戦争。
二度の戦争と第一次大戦に勝利者側に就いた日本。
五大国にイエローモンキーが居座る図は、許しがたかったんだろうね?
江戸期と同様に、一部開国政策が正しいあり方と感じてなりません。

江戸に学ぶ農本主義
縁戚に筑波天狗党が居たと祖父に幼少の頃から聞かされた。
おまえさんには、一部の血脈が流れているんだよ~と。
まぁ成人した後に、筑波天狗党と水戸天狗党の内情を見聞し、時代の異端だったんだろうな~とも感じている。
MOTTAINAIなる言葉を国連演説で使い後にノーベル平和賞を受賞した人物が居る。ケニアの環境保護活動家・ワンガリ・マータイ女史。
京都会議の折に、MOTTAINAIを知り、広めようと活動したらしいが。
日本の固有文化に、もったいない!は根付いていた時代が昭和までは確実に存在した。
付き合いの広い、農家は、お付きあいの返礼品を使うことなく、押し入れに格納してきた。現代社会では、これが重荷となり、買取制度やら遺産整理制度なんぞが隆盛を極めることになった。
最近の家庭では使わないようだが、とある時期まで、当地ではもったいない!とあったろもん!と呼んだ時代がある。
使われない農地を単純に貸し出すよりは、就農している地域の皆さんで有効活用するべき!と帰郷以来感じ続けている。
当地は農村。
農村の環境や風俗習慣を護り伝えるのは、農家が主役となる。
ここまで農家が減少してしまったら、集合体を作らないかぎり、ジリ貧の農業から抜け出せまい。
農が主役の地域経済!くらいの氣概をもたないと農は消滅しかねない危惧を感じる。
そう・・・いまこそ農本主義!を声高に叫んでもよろしいかと!







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