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ヒグラシの啼く朝の人生感

今日で慰霊旬間は終わりにする!
帰郷以来、毎年8月は旧盆まで慰霊をすると決めている。
亡父の遺品を見つけたこととそこに書かれていた一文が衝撃だったこともある。「◯◯が先んじて飛んだ! 還らない旅に出た! 俺は飛べないまま終戦!」と。

30pほどのノートに当時の知りあいの言葉が隙間なく書かれている!最後のページが強烈!

子どものころ、一度だけ父親に殴られたことがある。たった一度だけ。近所の子どもたちと、こちらも近所の梨を数個いただいた。それがバレた。我が家の梨を獲らずに他所の梨を獲ったことに怒った。
殴られて土間の隅までぶっとんだ。
泣き止んだあとに、ポツリと一言言われた。
「俺のイノチは拾ったイノチ。お前のイノチも拾われたイノチ。他所様に迷惑を掛けるんじゃない! 世のため、人のために生きろ!」と。
小学校の低学年だったが、未だにその場面は覚えているし、父親の言葉も脳裏に刻んでいる。
ゆえに、そんな人生を送ってきた。

先日、とある人物が訪ねてきた。
「儲からないことをなぜやるの?」と云われた。
鼻持ちならない人物だったが、人生観が違う人間もこの世には居るのよ!とだけ伝えた。伝わらないであろうね。
 今だけ
 カネだけ
 自分だけ
の典型のような人物。二度と逢うことは無い!

縁は必然
この世に偶然は無い!
総てが必然であろう。
この時代に、この世に生を受け、この地に、この親と親の親とその親の親と・・・のイノチを受け継ぐ。
こんなもん、偶然ではあり得ない。
この書籍との出会いも必然。

「征きて還らざる人々」
数年前に栃木の女性から指摘された。ペリリュウ島で玉砕した三人の大隊長のうち、二人は、下妻中学出身ですよ!と。
お二人を追いかけた半年のことはなんども書いてきた
まるで、ハンマーで殴られた氣分になったからだ。
たぶん、日露戦争で戦死している先祖の遺影が飾られ、入り口には石碑が建っている環境で育ったことが背景にあるのかも知れない。
加えて、身内以外の身近な人物の死にも遭遇してきたこともある。
トドメは父親の遺品の中。
17歳で満鉄から志願して海軍飛行兵になり、双発爆撃機・銀河のパイロットとして旅立てなかった悔しさが綴られていた。
彼が特攻パイロットで翔んでいたら我が身はこの世には存在しない。
ペリリュウ島墓参に誘われている。
今年は、行かないといけない!と念じてきたが、好機が訪れた。
二人の少佐(大隊長)の遺影と市内での玉砕者の皆さんの遺影と名簿を持参したいと役所を訪れ、市民図書館の蔵書を探したが、無い!と書いたところ、知人がこの書籍の存在を教えてくれた。
1200P弱のそれこそ立派な装丁の書籍。大金だったが背に腹。
入手した。
ページを繰ってみたらわが集落からの玉砕者名を見つけた。
温故知新。
歴史を観続けるのは人生の大事のひとつと感じ続けて生きてきた。
二人の少佐の存在を晩年に知ったことも必然。
ペリリュウに誘われてるのも必然。
この書籍に出会えたことも必然。
決して還るまいと考えてた帰郷も必然! 
ただただ必然に感謝あるのみ。
裏表紙にこの書籍を購入した先人の落款があった。片岡蔵書とある。
市内出身者の人物なんだろうね?
遺族が書店に持ち込んだものかと思う。今日までは慰霊週間。
読みこんでみようと思案中。

生涯で数多くの議員諸兄に出逢ってきた。

国会議員も地方議員も含めてね。とある県の県議会議員は、毎月、新幹線延伸目的で上京していた。
議長職の経験もある人物だが、15年間ほぼ毎月。
とある県議から国会議員になった人物は、国会で何がテーマの勉強会に参加したの?と聞いたら和服同好会!と開口一番。
爾来この議員とは逢っていない。
議員職って、命懸けでやるもの!と感じ続けてきた。
そういう人物とも何度も遭遇を重ねてきた。
国会議員に限らず、議員報酬とは、戦前の兵隊の俸給と同じ種類のモノと感じてきた。
事業をしている者も勤め人も命懸けで働いて、借金をしながらも諸税を納めている。
その一部が報酬になる。
むろん、公職に就いている者も当たり前に命懸けで仕事をしないといけない! ゆえに、情弱&意氣地なしだった自身は公職に就いたことは無い。
命懸けで議員職に就いていると感じた人物は少ない。むろん、首長ともなればだよね。オイラは命懸けで地域をなんとかしようとしない人物を議員や首長とは思わない!!
総ての高齢者を敵に回す、お氣まりのコピーを使った議員ポスター?
むかっ腹が立った朝。
なぜ?
・公職に命懸けで就こうとするものが借り物のコピーを使うんじゃねえよ!
・世代交代しないと町を変えられないのんか?
だが、慰霊最終日に腹を立てるのは良くないね^^;

知り合いのFACEBOOKからの借り物^^;



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