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上妻地区農業再生協議会「畑作公社」

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相続もあり、故郷に三十数年ぶりにUターン。 そのつもりは無かったが、あえて、困難な路を選択することになった。 三年間で出逢った農家さんは多数いるが、稲作農家6名の集団と一昨年から…
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#茨城県・下妻市

その10 循環農業の町。耕畜連携❣

その10 循環農業の町。耕畜連携❣

畜産王国は輸入穀物王国でもあるし、堆肥原材料の宝庫!

農林水産省は昨年度「みどりの食糧システム戦略」を打ち出した!
たぶん、内閣府のムーンショット目標や国連のSDGsに連動してのこと。

農家の皆さん! 好機到来ですよ!
個々の政策に目くじらを立てることなく、邁進すると明るい未来が拓けます!

循環農業のまちの作り方わが町の農産物生産高は、年間120億円程度。と近隣市町と比べると耕作面積の割に数

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その9 有機栽培は謳えない!

その9 有機栽培は謳えない!

有機栽培の定義は、無農薬、無化学肥料とされている。
無化学肥料と定義付けされると、おいおいおい! 
なによりも、慣行農法を続けてきた皆さんにとっては、ハードルが高すぎる!新規就農の皆さんにとっても同様です。
先日、知りあいに問われたので、絵にしてみた。
結果として、農薬を使わず、化成肥料も少なくなることを続ければ世間で云う有機の世界にたどり着く可能性が高まりますが・・・。
何よりも、折角植え付けた

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その4 産業の一部が農業では無い!

その4 産業の一部が農業では無い!

元来が六次産業なのよ!

農業を一次産業の農林水産業の一部と考えてたら耕すだけの農民になってしまう。そこに一石を投じたのが30年ほど前に?農水省が提言し始めた六次産業化。
戦後の昭和20年代から30年代半ばまで農村は貧乏だった。
がカネが無いだけで皆、明るかった氣がする。
小さな田畑で米や陸稲や梨を育て、現金収入は、草や瀬戸物を砕いた餌で育てる鶏の卵くらいのモノだった。
記憶の中では、昭和30年代

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上妻地区農業再生協議会「畑作公社」その3

上妻地区農業再生協議会「畑作公社」その3

地域まるごと中間管理機構と一般社団法人
1月6日に降雪がありました。
例年どおり、村のお不動様、大宝神社にお参りした元旦。
むろん、お参りは、明治生まれの祖父からの教えを忠実に護り、ありがとうございます、だけをお伝えする機会。
2日と3日は一昨年から恒例にした北と南の神社めぐりをさせていただいた。なんとなく、違和感を覚えていたが、降雪と低温がトドメだったんだろうか? 翌日、目覚めると身体の異変に氣

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上妻地区農業再生協議会「畑作公社」その2 4つの視点

上妻地区農業再生協議会「畑作公社」その2 4つの視点

蟻の目、鳥の目、衛星の目、と、ヒト目線!残念なことにわが町は、昭和40年代以降の高度経済成長期に工業団地造成に励んだ一方で農業と街づくりは疎かにされたと感じてならない。
また、噂に過ぎまいが、当時の首長選には、多額の献金がとある業界団体から、あったともされている。結果、都市計画の線引きがされない地方都市になってしまっている。
昔年、師匠の一人に云われた言葉が表題。
・土と作物を観察できる目線
・耕

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上妻地区農業再生協議会「畑作公社」

上妻地区農業再生協議会「畑作公社」

農地は未来からのあずかりもの
70年生きてきた中で、多くの先達、師匠とのご縁をいただいてきた。
農業以外の世界にも、師匠はたくさんいたし、師匠は年長者だけでは無いのは無論のこと。
農業の二文字から、思い出すのは、師匠の一人の口癖でした。

「農地は先祖代々じゃないんだよ! 未来からのあずかりものなんだよ!」

だから、肥やして返さなきゃいけないんだよ!と事あるごとに仰せだった。
現代と違いネットは

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農工商連携+??

農工商連携+??

農林水産省の政策を見ると、農工商連携が目に留まる。
生産者数は260万人の時代から30万人前後まで落ち込んでいる。
伴って平均年齢もいつの間にか70歳前後に陥ってる。
少子高齢化が叫ばれて久しいが、その先端を奔っているのが農の世界。
農水省が六次化を唱って久しい。その間に多額の予算が投じられているかと
思うが、さして、六次化が成果を挙げているとは思えない。
他産業からの農業進出や提携も随分と叫ばれ

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