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Tグループ体験記:何も無いから得られること“べき”の先に見えたもの

2019年6月にTグループに参加、その時の体験記です。
JIELにて、体験記を纏める企画がありましたので、私も寄稿させて頂きました。

Tグループ参加へのきっかけや、Tグループに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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すすり泣きの部屋


 ”そしてもうひとつ響いたのは、チームメンバーが最後のセッションで言っていた言葉。
「コミュニケーションはツールではなくて在り方なんだ」
言葉以上に伝わってくる熱さでジーンと感動していたら部屋のあちこちからすすり泣きが”

 この文は、共に6日間過ごした仲間が、Tグループ終了後にFacebookに投稿した一部である。

 「コミュニケーションはツールではなくて在り方なんだ」とは、私が発言したのだが、その時、私自身は何を言ったのか、何が起きたのか、なぜそんな状況になったのか、正直良くわからなかった。
 頭の中で何を話すのか整理し、その内容が相手に対してどのように伝わるのかをしっかりと考えた上で話す事が当たり前だった私が、思ったことをそのまま口に出す状態になったのは、75分のセッション13回という十分な時間があったからだった。
 

何もない事の恐ろしさ

・会議のアジェンダは何か?
・今日のゴールは何か?
・その発言の意図は何か?
・何が正しく、何が間違いなのか?
 コンサルタントとして顧客の成功へ最短に導く事をミッションとし、常にそのような思考を持って会議や仕事を進めてきた私にとって、“何もない”という状態で人と話をする事は非常に苦痛な時間だった。そのため、1回目のテーマは【自己紹介】というテーマを設定し、2回目のセッションでは【自己開示】というテーマを自らが設定する事でその苦痛を回避する事とした。そして、2回目のセッションも終了時間に近づき、なんとか乗り切ったと安心している矢先、トレーナーから「なんか会社の会議見ているみたいでつまらない」と誰に言うのでも無いつぶやきにガツンとやられる事となった。
 「何も無いからテーマ設定するでしょ」「テーマ設定によって話しが盛り上がったのに」「会社の会議以外の会議って何の会議?」とその瞬間は、自己防衛の気持ちからか、だいぶ怒りモードにスイッチが入った私だった。とは言え、確かに指摘通りの状況で普通の会議という表現は否めず、そんな事を目的としてここに来ている訳でも無いのは事実であった。
怒りモードを切り替え、その言葉を素直に受け入れ、次のセッションからは自分自身の“べき”を手放す事が大きなテーマとなっていった。
 とはいえ、早々に“べき”を手放す事ができるはずも無く、仲間からの発言や質問等があると、「その発言の意図は何だ?」「その質問に対してどのように回答すれば良い?」「何を相手は望んでいる?」とつい考えてしまう自分が表れてくる。その気持ちを抑えつつも、どこに向かっている話なのかサッパリ分からない会話の苦痛さに耐えることが非常につらく、更には、向かっている先が明確では無いから何を話したらよいのかもわからなくなり、もはや混乱状態がその後の数セッションは続いていた。
 そんな状態でセッションを繰り返していくと、くたくたとなって思考停止に陥り、何も考えられなくなる。その結果、すべてを手放すことしか選択肢が無い状況になってしまった。すると不思議なことに、あれ?ものすごく楽で居心地が良いね。と、かつて自分が経験したことない状態に気付く事となった。
 

何も無いからこそ生まれる

 失礼ながらも、これまでは自分の物差しを用いて、理解できない話や先の見えない話の場合、それを指摘するか、もしくは聞いていなかったりしていた。
 しかし、全てを手放すと向かう先が何も決まっていないため、話している内容にも正しいとか、間違っているといった評価できる物差しを持つことが出来なくなる。そのため、しっかりと相手の話を最後まで聞き切るという事になる。その結果、当初の会話からはまさかそこにたどり着くとは予想していなかった状況になったり、そこから深い学びや気付きがある事を多々経験する事となった。まさに何もないからこそ生まれる事実がそこには存在していた。それは私自身にとってはとても衝撃的な気付きであった。その一方で、これまで“べき”を持つことによって多くのチャンスを失っていた事に気付かされた瞬間もあった。
 

ねらいの勘違い


 1日目、クレヨンに思いを込めて描いたねらいは、
「コンサルタントとして自チームのメンバーとの関わり方を学ぶこと」
「チームコーチとしてクライアントとの関わり方を学ぶこと」
このねらいにどれだけ近づけたのか、達成できたのかを振り返った時、そもそもこのねらいは全くダメだ。という結論に至った。なぜか?それは、コンサルタントとして関わる。チームコーチとして関わる。として考えていることそれ自体に違和感を覚えたからであった。
 下津浦という一人の人間としてこの場にいるのに、○○として接する事の必要性は何か?それは、何かの前提や“べき”を自分自身で勝手に作っていることそのものでは無いか?その状態で本当の関わりなんてできるのか?コンサルタントとかチームコーチとしてではなく、一人の人間として“べき”を持たずに、心から人とつながるからこそ見えてくるものがある。コミュニケーションを仕事におけるツールとして捉えていたこれまでの自分をものすごく恥じた瞬間だった。
 

Tグループでの体験


 何もないから自分の鎧を脱がざるを得なくなる。物差しを持つことができなくなる。その状態になった自分から紡ぎだされる言葉には何の飾りも無い真実である。その真実の言葉が人を動かすのだろう。
 Tグループでの体験から得た気付きをどのように現実社会において活かすことができるのか、まだまだ咀嚼しきれていない状態ではある。だが、Tグループを体験したことによってはっきりと変化したことが有る。それは、どんなプロセスがあっても恐れない状態でいられる事だ。なぜか?それは、自分の予期していなかったプロセスが起こっても、そこから生まれてくるものは、思いもよらなかった素晴らしい気付きを得られると知ったからだ。恐れを手放した今、穏やかな気持ちでいられる自分がとても心地良い状態である。

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こんな経験をしたTグループを、皆さんにも是非受講頂きたい。
という思いから、Tグループを開催します。

是非ご検討ください。
詳細はこちらから。
https://tnoko-tg-202402.peatix.com/


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