20200109_論理vs文学

しもてぃの考察「論理国語 V.S. 文学国語」

今日のお題

ニュースの概要

高校国語の新学習指導要領で、高2, 3年の国語選択科目で「論理国語」か「文学国語」かを選択するようになった

しもてぃのざっくり感想

1. 論理国語が重要視されるのは歓迎
2. どちらかしか選択できないのは再考の余地あり
3. 共感力や想像力は別の方法を考えた方がいいのでは?

0. 論理国語・文学国語の定義(ざっくり)

「論理国語」は、実社会で必要とされる能力を鍛えるための国語
「文学国語」は、日本の文学を理解できるようになるための国語

学習指導要領の言葉を引用すると、
「論理国語」は"論理的,批判的に考える力を伸ばす"のが目標で
「文学国語」は"深く共感したり豊かに想像したりする力を伸ばす"のが目標

1. 論理国語が重要視されるのは歓迎

1.1 現代において論理は重要で、バックグラウンドの異なる人とのコミュニケーションでは、より論理的・直接的な表現が求められる
論理的思考の練習には、それ専用の文章を用いる方が効果的だから、論理国語をしもてぃは歓迎する

1.2 文学でも論理の練習ができなくはないが、様々な制約や困難がある

1.1 論理国語はそれ単体で練習したほうが効率的

現代において、論理が重要なことは間違いない
科学は論理の上に成り立っているし、仕事などの意思疎通は論理に基づくことが多い(感情が不要とは言わない)
グローバル化によって、バックグラウンドの異なる人とのコミュニケーションが増えると、より論理的で直接的な表現が求められる

そのために、純粋に論理を汲取る練習をするのであれば、それに最適な文章で行うのが良い
論理的に構成された文章を読み、的確に意図を汲取り、それに対して思考したり、議論したりすることで論理的思考力を鍛えるのが効率的だし、論理的に構成された文章を読み慣れることで自分で書く際の参考にもなる

1.2 文学国語で論理の練習はおススメじゃない

文学国語でも同様のことができなくはない
ただし、文学は"美しい"日本語が書かれたものが多く、その"美しさ"の由来は、直接的ではない表現や、主張のための様々な周囲の描写、一意に解釈できないぼかした表現等があるのだと思う。
(注: しもてぃは文学の素晴らしさをちゃんと知らないので、とんちんかんな事を言っていたらごめんなさい)

それはとても魅力的だし、文学そのものは素晴らしいと思うが、論理の練習には適していない
一意に解釈できない文章は文学国語では"味"や"魅力"になるが、論理国語では文章の不備になってしまうから
つまり、文学国語で可能な論理の練習は、ある程度テンプレ化された表現でなければ問題・解答作成ができない

また、文学国語では直接的でない表現をテンプレ的解釈によって論理を構成することがあるが、そこには暗黙知が必要で、暗黙知は論理的思考をする上では推奨されないものである
(暗黙の知識はきちんと形式化して論理内に組込むことが重要)
例: 「ひとりになった太郎の目には、ぽつぽつと降り始めた雨がぼんやりと映し出されていた」の時の「ぽつぽつと降り始めた雨」がなんとなく悲しい気持ちを表しているとかが暗黙知

2. 論理国語と文学国語のどちらかしか選択できないことは再考の余地あり

2.1 システム上、論理国語のみが主流になり、文学国語が事実上選択できなくなる可能性がある

2.2 論理国語が不要な人もいる

2.3 文学国語には、積極的に選択する理由と固有の良さがある

2.1 論理国語のみが主流になってしまう可能性がある

単位数の都合で論理国語と文学国語のどちらかのみを選択する形式のため、大学受験を考慮すると論理国語を選択することが増えると予想されており、これに関しては再考の余地があると思う

また、「学校が受験のために論理国語を推奨する」→「大半が論理国語を選択する」→「学校も授業コスト・準備コストを減らすため、更に論理国語を推奨する」ってなると、本来文学国語を勉強したい人にとっては、文学国語を事実上選択できなくなる(しづらくなる)可能性もあり、それはすごい問題だと思う

2.2 論理国語が不要な人もいる

正直、論理ができる人にとっては、「1+1=?」って永遠に聞かれ続けるようなものなので、練習が不要な人からすると不毛な時間の使い方になってしまう

2.3 文学国語には、積極的に選択する理由と固有の良さがある

将来のために積極的に文学国語を勉強したい人もいるだろうし、文学作品から人生の教訓などを学ぶ人も多いだろうから、文学国語が不要なわけではない
特に、数学や理科から人生の教訓を得ることは難しいから、それが期待できる文学国語の固有のメリットと捉えることもできる

3. 共感力や想像力は別の方法を考えた方がいいのでは?

3.1 今後は、文字情報からは論理的に読取る能力・対面では感情も含めた総合的コミュニケーション能力が重要なスキルになる

3.2 論理国語で論理力を鍛え、感情なども含めたコミュニケーションは別で鍛えた方がいいと思う

(3.3 余談) 共感力より自己の感情のコントロールを身に付けた方がコミュニケーションがうまくいくかもしれない

3.1 文字情報では論理的、対面では感情も含めたコミュニケーションが重要になる

今後重要になってくるのは、文字情報では論理的コミュニケーションだと思う
論理国語でよく言われる契約書もそうだし、論文等もそう
論理的に解釈する必要があり、論理的に理解できるように書く必要がある

では感情は不要かというとそうではなく、主に対面コミュニケーションにおいて(テレビ会議等も含む)、文字に起こした情報以外に、表情や抑揚など様々な要素で感情を汲取るとより円滑に進むことが多くある

3.2 共感力は文学国語以外で鍛えよう

文学国語の目標となっている共感力については、上記の通り文字より対面の方が重要になるだろうから、対面での共感力を鍛えるのがいいと思う

文学国語はどうしても文字情報になってしまうから、対面での共感力を鍛えにくい
対面での共感力や感情の読取は別途教材を用意するなりして実行したほうが良いと思う
それこそ、ドラマや漫画やアニメを題材にする方が鍛えやすいように思う
(この辺はちゃんと調べてなくて知らんけど、文字だけでは伝わらない事がいっぱいあるのは知ってる)

(3.3 余談) 対人コミュニケーションで重要なのは他者への共感以上に自己の感情のコントロールかもしれない

対人コミュニケーションを行う上で、他者への共感ができない人は論理的コミュニケーション以上のことができないだけだが、自己の感情をコントロールできない人は論理的コミュニケーションすらできなくなるため、もっと深刻

そして、そういう人は割とよく見かける気がするので、まずは自身の感情をコントロールするトレーニングを行う方が、コミュニケーションの改善という意味ではいいかもしれない

結論

論理国語が重視されるのはしもてぃは歓迎

やった方がいいことなんて世の中たくさんあって、文学の理解もその1つではないかと。(もちろん現在学校で教えられている他の科目の中でもその対象として考えられるものもある)

ただ、論理は本当に重要だとしもてぃは思ってるし、話が通じるか通じないかが決まる根幹の部分なので、まずはそこを重視するという今回の決定は良いと思う

おまけ

何故しもてぃがこんなに論理を推すかというと、しもてぃが論理ガチ勢ってのもあるけど、建設的な会話をしようとしたとき、論理通じない人とか、自分で論理を構築できない人がいっぱいいて苦労したから
(一般にはだいぶ頭いいとされる有名な大学出身の人でも普通に論理通じない人がゴロゴロいたよ...)

感情に流されず、情報を共有し、それぞれの価値観を理解しながら、最善な選択をしていきたい
それがしもてぃの希望

<参考>学習指導要領でのそれぞれの目標

「論理国語」の目標

言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で的確に理解し効果的に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
(1)実社会に必要な国語の知識や技能を身に付けるようにする。
(2)論理的,批判的に考える力を伸ばすとともに,創造的に考える力を養い,他者との関わりの中で伝え合う力を高め,自分の思いや考えを広げたり深めたりすることができるようにする。
(3)言葉がもつ価値への認識を深めるとともに,生涯にわたって読書に親しみ自己を向上させ,我が国の言語文化の担い手としての自覚を深め,言葉を通して他者や社会に関わろうとする態度を養う。

「文学国語」の目標

言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で的確に理解し効果的に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
(1)生涯にわたる社会生活に必要な国語の知識や技能を身に付けるとともに,我が国の言語文化に対する理解を深めることができるようにする。 
(2)深く共感したり豊かに想像したりする力を伸ばすとともに,創造的に考える力を養い,他者との関わりの中で伝え合う力を高め,自分の思いや考えを広げたり深めたりすることができるようにする。
(3)言葉がもつ価値への認識を深めるとともに,生涯にわたって読書に親しみ自己を向上させ,我が国の言語文化の担い手としての自覚を深め,言葉を通して他者や社会に関わろうとする態度を養う。

参考文献

高等学校学習指導要領(平成30年告示)
https://www.mext.go.jp/content/1384661_6_1_3.pdf


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