【往復書簡】5通目(急行2号様)

拝啓 急行2号様

シモダです。

まだそんなに日も経っていないはずなのに、秋が来てしまいました。今年の夏は何だか短かった気がしますが気のせいでしょうか。確かに野菜を小川で冷やすのは夏ならではの醍醐味ですね。風情があります。風情、今年の夏はそういったものを楽しまずに終わったなあと今更思いました。来年の夏はキャンプにでも行って、小川で冷やしたビールをクッと飲みたいものです。

さて、前回のお返事で「時に他人の言葉さえ便利な道具になってしまう」、「他人の言葉には不便さを感じず、それがひどく恐ろしく思います」と書かれていましたが、全くもって同感です。信頼している他人の言葉ほど便利なものはないですよね。ここで「同感です」で終わるのもそれこそ恐ろしいことなので、少しばかり自分の意見を付け足しますね。

おっしゃる通り、言葉も《道具》だと思います。言葉を知らなければこんな書簡のやり取りもできないですし、自分の思いを説明することができません。手持ちの道具(語彙)が多ければより複雑な感情を説明することができ、逆に足りなければ「言葉にできない」状態に陥ってしまいます。

自分が考えていることを他人がそっくりそのまま言ってくれる。急行さんが言及されているように、ラクなことだと思います。過去のやり取りででた表現を使うなら、言葉を浴びている状態とでも言えるでしょう。

その一方で、誰も代弁してくれず、自分の感情を説明しなければならない時には、相応の言葉を選ばなければならないし、自分の語彙になければ外から探してこなければならない。全然ラクじゃありません。

また、自分が思っていることを皆まで言わずとも汲み取ってくれる。これもとてもラクなことです。仲がいい人と話す時によく感じます。相応の言葉を探さなくても「やばい」だとか「すごい」だとかでなんとなく話が通じてしまう。自分にはよくわからないですが、「エモい」や「卍」もそんな言葉なんでしょう。詳細を省いても共感し得る便利な言葉(道具)です。

ちょっと横道に逸れますが、「エモい」の意味がよくわからなくて以前何人かの知り合いに「エモいの意味を教えて」と野暮な質問をしたことがあります。むちゃくちゃ面倒なことだったと思いますが、皆わりと好意的に答えてくれました。一人として同じ回答がなかったのが面白かったですが、中でも特にビビッと来たのは「涼しい季節の野外フェスで遠くで演奏されている音楽を聴きながら缶ビールを飲んでゆらゆら揺れている感じ」という答えで、なぜかずっと記憶に残っています。

「エモい」に限らず便利な言葉は定義がふわふわとしていて、だからこそ色んな意味で受け取れてしまいます。それに対して「それどういう意味?」と詳細を尋ねるのは野暮ったいし、そういうものとしてわかった気分でいる方がラク。発言する側は伝わったような気分になれてラク。お互いにラクだからそれで良いやってなってしまって、その内その言葉を用いることに違和感すら覚えなくなる。

そうやって自分の考えをラクに伝えられる(気分を味わえる)単語や、自分の考えを形にしてくれる他人の言葉が溢れていて、無意識に享受しているうちに急行さんがおっしゃるような「思考がにぶる」状態になっていくのではないでしょうか。

本来自分の気持ちを伝えるために言葉があるのに、それを正確に伝えるための言葉を選べなくなる(探せなくなる)のは本当に恐ろしいことだと思います。想像しただけで背筋が凍りそうです。そうならないためにも日々言葉を探す意識をせねばなんでしょうし、この往復書簡もその訓練としてとても役立っています。お相手いただきありがとうございます。

ご質問もいただいたので、僕が道具を選ぶ時に考えていることについてお答えさせていただきます。言葉も道具だという話をずっとしてきたので、言葉選びの際に気をつけていることですが、それが《自分のことを全く知らない人にも正確に伝わるか》をなるべく心がけるようにしています。これは知ってる人にだけ伝われば良いやという気持ちへの反抗心なのかもしれないし、仕事柄よく初対面の方とお話するからなのかもしれません。このお返事もそういった意識で書いていますが、どうもできている気がしなくてリアルタイム反省しながら指を動かしています。

話の流れでもう一つのご質問についても回答しますが、「読書」の立ち位置は自分の気持ちを伝えるための《道具探し》になることが多いです。もちろんそれだけじゃなくて、何も考えずヘラヘラと楽しむこともあるので一概には言えません。その時々によりますが、今は書いたり話したりする機会が増えてきて、もっと上手く書きたいし話したいという気持ちから参考書的に本を手にとることが度々あって、そう言った場合の読書はあくまでも「勉強」であり、それを「趣味」とするのはなんだか違うような気がして、言いあぐねます。

誤解のないように補足しますが、そうやって本を手に取ることは別に苦痛ではありません。読書本来を楽しむのとはちょっと目的が違うかもしれませんが、本を介して思考する事をを楽しんでいるので、結果楽しいことに相違ないし、改めて本が身近にあってよかったなあと思う毎日です。

そう考えると、急行さんが画材を選ぶ時の「これがあれば私は楽しめそう」だという感覚に近いのかもですね。ただ与えられたものを受容するだけではなく、たくさんある中から自分が最大限楽しめる道具を探して選ぶことが大切だし、それはまさに《探す遊び》なんだろうなって思いました。

せっかくなのでこちらからも質問をさせてください。絵を描かれている方なので前回は画材に絞ってお尋ねしましたが、急行さんが言葉を選ぶ際に気をつけていることなどはありますか。急行さんはnoteでも頻繁に所感を書かれていますが、普段絵画によって表現をされている方が、言葉を使う時に気がけていることについて教えてください。

8月諸々の展示活動お疲れ様でした。9月も面白そうな合同展に参加されるようで、今から観に伺うのが楽しみです。

アイスも良いですが、肌寒くなってきましたので、体を冷やして体調を崩さないよう、少しでも異変を感じた際には体内から燃焼してくれる温かいトマトスープなどを飲んで、どうぞご自愛くださいませ。

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