【往復書簡】3通目(急行2号様)

拝啓 急行2号様

シモダです。

急行さんの想いが天に通じたのか、ここ数日は比較的過ごしやすい気候が続きますね。僕が敬愛してやまない某国民的歌手は「冬が寒くって本当によかった」と歌っておりますが、その一方で夏が暑くって本当によかったと感じる機会、そういえばないような気がします。夏の暑い日はビールが美味しいのではと一瞬脳をよぎりましたが、ビールは年中いつだって美味しい飲み物です。

書簡のお返事楽しく拝読しました。「言わずもがな」と言えるほどの趣味が僕にはパッと思いつかないので、急行さんのように即座に言い切れるものがあるのは素直に羨ましいです。

さて本題。地方紙やTwitter、Instagramで得た情報をピックアップして実際に出かけることが「探す遊び」に分類されるかというお悩みですが、分類しても良いのではないでしょうか。もちろん時と場合によりけりで、というのも、雑誌やインターネット、それにテレビなんかもですが、それらいわゆる《道具》と呼ばれるものは、それ自体を「探す遊び」と「浴びる遊び」に分類するというよりは、それをどう扱うかによってどちらにも分類されうるのではというのが僕の考えです。

急行さんが書かれているような、ピックアップして実際に出かけることはそれこそ情報を探しているので「探す遊び」になるだろうし、一方で、美容室なんかで置いてある適当な雑誌を適当に手にとって暇つぶしにパラパラとめくるような行為は若干浴びる遊びに寄っているし、……雑誌におけるこれ以上の「浴びる遊び」の例えが思い浮かびませんが、ともかく肝心なのはあくまでその道具と向き合う自身の姿勢にあるような気がします。

雑誌の例えを出しましたが、道具によって探す方に寄りやすいものと浴びる方に寄りやすいものがあって、前者は比較的アナログなもの(雑誌なんかもそう)に多く、後者はデジタルなもの(インターネットなど)に多い気がします。ざっくり分類すると、探す遊びになりやすい道具はどこかしらに不便さを抱えていて、逆に浴びる遊びは楽できるような便利な道具によって陥りやすいのではないでしょうか。

とまあ便宜上乱暴に分類しましたが、そもそも道具は何かをする上での不便さを解消するために用いるものなので便利であることが大前提です。アナログな道具も何もないよりは便利ですし。それを踏まえて道具ではなく姿勢で分類をすべきという話に戻りますが、道具が便利になればなるほど、それを使ってできることは増えるけど、頭を使わなくても良い場面(思考の省略)も増える。それがいきすぎたのが浴びる遊びでしょうし、例えどんな道具を使ったとしてもそこに自身の思考が混ざれば探す遊びになるし、要は「頭を使って手足を動かしているか否か」が浴びる遊びと探す遊びの分岐点なのでは、とつらつら書きながら思いつきました。

その上で、急行さんが書かれているような予防的に喉を潤わせるクセづけをすることも、意図的に乾く(乾くべき時に乾きたいとおっしゃっていた)こともどちらも必要なことで、乾いた状態と潤っている状態を自分の意思で選択できることが大切なのかもしれないし、そのために道具をどのように扱うかはそれぞれが考えなければならないテーマなのかなと思う次第です。急行さんは画材などの道具を選ばれる時に何か考えていることや気をつけていることはありますか?

とってつけたような最後の質問。これぞ書簡の醍醐味でしょうか。そうそう、僕が日頃からふんわりとした文章を心がけているのは、柔らかな文章を書くことが苦手だからです。対面で話すのと違って、表情等でカバーができない分、誤解を生みやすいのが文章の怖いところです。誤解する隙もない会心の一撃を毎回お見舞いできれば良いのですが、できないし、書けば書くほどに難しいなあと頭を抱えます。

ちなみに「ふんわりした文章を心がける」とわざわざ書いているのは、できてなくても意識はしてますよという逃げ口上みたいなものです。えへへ。

合同展もあっという間に折り返しですね。先日は現地にて作品に関するご説明などいただきありがとうございました。お話していく中で新たに浮かんだ疑問もありますので、それもいずれこの場を借りてやりとりできれば幸いです。

残り一週間もご無理のないよう、在廊楽しまれてください。

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