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活動で悩んだら、Vtuber同士で互いを知ろう!

Vtuberという言葉は今や広義的な単語として簡単に扱われている。
どこまでがVtuberかという仕切りは人それぞれにあり、それが魅力でもあり欠点でもあることを日々感じている。

誰かが言っていたが「野球」という単語の中に「草野球」「プロ野球」「メジャーリーグ」も含めてしまっているのが、今の「Vtuber」という単語なのではないか、と。
ここで何が起こるかというかと、「草野球選手とメジャーリーガーが対戦したり共にチームを組むことがある」ということだ。
これが日常的に行われているのがVtuberの界隈であるように感じる。
自身が求める目標に差があるもの同士が同じ土俵に居る。
そこには”摩擦”が生じやすい。

楽しくワイワイコラボをしたいVtuber、コラボから学び自信を高めようとしたいVtuber、そもそも目的はないけどみんなコラボしてるからやろうというVtuber・・・
同じVtuberではあるが、人それぞれのVとしての在り方は多岐に渡る。
その結果、悲しいことに意識の差異からトラブルに発展することがある。
そこからは何も生まれない。しかし、一つ視点を変えれば宝の山となる。
その視点の切り込み方を今回、記事にした。

もし、活動に悩んでいるVtuberさんにこの記事が目に留まったならば是非読んでいただきたい。

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まず、どうしてこのように「目標が異なるもの同士」が同じ土俵に立つ界隈になったのか。――それは需要が高まった結果生まれた「Vtuber技術革新」によるものではないだろうか。
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Vtuber活動の需要が技術の進歩を生んだ。
アニメキャラクターと生の人間とのハイブリッド、新しいyoutuberのカタチ。
何とも言えない視聴者との距離感。多くの新鮮な要素は人々を焚き付けVtuberの人気が高まった。

その需要高騰の結果、Vtuberにおける技術の進歩が進みに進み、今ではスマホ一台さえあればある程度のVtuberにはなれるようになった。

しかし――そこである問題が生じてしまったように見受けられる。
それは『今まで必要であった前提知識が無いままVtuberとして活動を始められてしまう』ことだ。

Vtuberには多くの問題がのしかかる。
・自身のモデルの制作/依頼費
・機材の購入費
・PC/機材の知識
・自身の宣伝活動
・コネクション作り
・動画/配信の知識・創意工夫
・匿名誹謗中傷に耐える術
こういった”前提知識”が揃って初めてスタートラインに立てたはずだった。
しかし、現在はこれらを揃えなくても先人たちの技術によってVtuber活動を始めることができる。”Vtuber技術革新”により、敷居が格段に下がり、誰しもがVtuberとして配信ができる世の中になった。
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元はといえば、Vtuberは敷居の高い活動であった。
絵を描けなければいけない、3Dモデリングの知識が必要、プログラミング、VRの知識などなど。その道の専門家でなければ理解が及ばない領域/技術の集まりがVtuberであった。(だからこそ憧れや人々を惹きつける何かがあったのかもしれない)
そのため、少人数の精鋭が集まっていたのがVtuberであったように思える。
だからこそ、先述した”前提知識”は共有され互いを分かりあい尊重しあえていたのだと思う。

今でもその共有と尊重は行われているだろうが、黎明期と今では完全なやり取りは行われていないように思える。先人たちによる”Vtuber技術革新”によって共有と尊重のやり取りが追いつかないほど、急激にVtuberが増加した。
そこから、やり取りの過程が省略され、地盤を固める前に多くの思想を持つ人間がVtuberとして参入するようになったからだ。
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今や誰しもが、Vtuberを始められるようになったおかげで様々な思想に満ち溢れている。
その表れが”Vtuber”という単語解釈の拡大であろう。
この議論は日々絶えることなく続いている。

この自身を表す”Vtuber”という定義がそれぞれに独特の形で根付いているのが一番の問題点だ。そして今更この言葉を誰かが定義することはできない。
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そのために、私たちは互いのVtuberとしての在り方を知るべきであると考える。
それは様々なところから見受けることが出来る。
youtubeのチャンネルのレイアウト、サムネイル、ツイート内容の傾向、FF比率や、配信・動画投稿頻度、動画の中身、チャンネル登録数が可視か不可視かなどなど・・小さなところからその人の考えが散りばめられている。
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Vtuberたちから発信される細かな拘りから、互いを知っていくことでそれぞれの”Vtuber定義”を知り、この摩擦を無くすことができるのではないだろうか。
つまるところ、SNS等で摩擦を見かけた際、何か意見を投げつける前にその人を見るべきだと思う。
もし、その人の考えるVtuber像と自身の考えるVtuber像が平行線にあったとき、その意見の投げつけから何も生まれない。そこからは界隈の不穏な空気が生成されてしまう。
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それを防ぐためにも、自身の意見を出す前、またはSNSなどで議論されている話題に関して慎重になるべきである。(これはVtuber定義問題に関わらず共通の心がけだが)そこで意見を出している人がどのような考えを持っているのかを、彼らの発信するyoutubeチャンネルやTwitterなどから知る努力を怠ってはならない。
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そういう個々のやりとりが、Vtuberとしての活動を有意義なものにしていくのではないだろうか。「自分と、この人は考えが違うから、自分の意見を投げつける」のは辞めよう。
「Vtuber同士、互いを知る」ことで「楽しく活動」をしていこうではないか。
それこそ私たちの舞台を整えてくれた先人たちの様に。








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あとがき
この記事を書いていて、過去の自分がこの記事を見たら刺さるだろうな・・と感じました
メタい話になってしまうけれど、Vtuberになる前は、気に入らない投稿者は”気に入らない”で完結してしまっていて・・。
しかし、その投稿者は日々伸びていって気づけば自分を追い抜かし手の届かない場所に行ってしまったところでハッとしたんです。この人は私には持っていない何かを持っていると。そこから彼と私は何が違ったのだろうと、”気に入らない投稿者”から学ぼうと思ったところが始まりだったのかもしれません。

互いの尊重を怠っては、生まれるものも生まれないと思います。それぞれ味があってそこから得られるものは沢山ある。私自身、本当に色々な人を見て良いところを真似していき、そして自分に足りないものは何かと考え格闘しています。そしてその結果は確実に表れている。

もし、自分のVtuberとしての方針に悩んでいる人がいたら、まずは自分のVtuber定義を行ってほしいです。そして他Vtuberがどんな努力をしていて、どんなVtuber像を持っているかを考えていってほしい。きっとそこからは良い答えが見つかると思います!
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しもきた ろん

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