Vtuber活動のモチベはどこで死ぬのか考察

正直Vtuber活動へのモチベが低い、低すぎる、ジュウマンゴクマンジュウ。

自分への言い聞かせや状況整理も兼ねて、今の状況に至った経緯を記していこうと思う。
※すこし暗い話題になるので閲覧注意

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結論を言えば『頑張りすぎた』のだと思う。その上で『結果が出なかった』故に今モチベーションが皆無なのだと思う。

どのように頑張りすぎたのか。

視聴者ウケを狙って企画を考えたが、盛大にスベったのだ。
これには背景があって、ただスベるだけならば次にすぐに繋げるのだが、当時、現実でも多忙でありスベったあとのリカバリをする余裕が無かったのだ。
その上、配信は続けなきゃ・・と思い需要の無いゲームの練習配信を続けていった結果、視聴者数はともかく心が良くない方向へと動いていったのだ。

6月初め、配信休止をする前(大々的に休止するというと大事になるので言わなかったが)、実はyoutubeの配信画面を開くだけでドンヨリした気分になったり、ひどく不安に陥ってロフラゼブという薬を飲んで精神を安定させていた。
(適応障害になったことがあるので、その時の薬の余り)
また、普段モチベーションの低下を引き起こしそうな情報を遮断していたのにも関わらず、こういう気分になっているときに限って外部から突拍子もなくその情報をキャッチしてしまい、そこがトリガーとなって落ち込んだ。

これまでに無いくらい落ち込んだ。Vtuber辞めようと思った。
(今は思っていない)
適応障害経験があるせいで一度落ち込むと深く深くまで落ち込むクセがある。今も若干引きずっているんだろう。

と、同時に休止して配信をしなくなってからというもの、日々ネット友人達とゲラゲラ笑いながらウマ娘やモンハンやスマブラやたわいもない話をすると、すごく気分が楽なことに気づいた。

ここで天秤にかけられたのが、Vtuber活動の重要性。
・精神を病んでまでやるものなのか?
・身を削ってまでチャンネルを伸ばしたいか?
・辞めることでの自分へのデメリットは?
と考えると、Vtuber活動の重要性はどんどん低くなっていった。
すこし前までは、こんなこと考えもしなかったろう。
何故ならその時は『Vtuber活動が楽しかったから』だ。

楽しさはモチベに直結する。そう痛感した。
楽しまなきゃ損と思ったら負けな気がする。
自然体で配信や動画作成が『楽しい!』って思えないのは心が無理をしている証拠。
そんな風に自分の状況を捉えた。

そこで、考えたのが『自分にとっての楽しさ』である。
Vtuber活動の最初期を思い出し、原点に戻って考えてみた。
ここでの結論は『新鮮さ』なんだと思う。
新しい出会い― それは視聴者や、初見のゲームや他のVtuberさんなど
そういったものが欠如していくと『死ぬほどつまらなくなる』そんな気がした。いわゆるマンネリ化をしているのだと思う。

もう一つの結論は『手軽さ』だと思う。またの名を気軽さ。
それほど頑張らなくても良い環境。本気を出さなくて良い環境。そういうもの。
今年の2月くらいまでは本気を出していなかったと思う。
2月くらいからがっつり活動のスケジューリング、外部での広報活動や新作ゲーム(モンハン)へのやりこみなどを重視していた。
・・・が、息切れしてしまった。長距離走を全力ダッシュしていた感覚に近い。それが今である。

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どうして全力ダッシュをすることになったのか。
それは他人との比較を始めてしまったからだと思う。
「あの人は何か月で~人増えてる」
「登録者~人なのに、アクティブ数~人か・・」
ここまではまだ良いが的確に特定の人を見据えてしまったのが間違いだった。
「~さんに追いつきたい・・そのためにやるべきことは・・!!」
と自身のスタミナを忘れてがむしゃらになっていった結果、失速してしまったのだ。(しかも追いつきたい相手は、どうしようもなく到底追いつけるような相手じゃなかったことを知り、さらに落ち込む)

その上で、自身のチャンネル維持のために、新しい企画をやったが結果、
スベり落ち込み、現実が忙しくて余裕が無く、チャンネルの維持対処もできない上でトドメの刺さる情報(この情報の中身は具体的には書けないが、前々からチラ見していて、この結果を知ると自分の心が死ぬなって思っていてミュートを駆使して遮断していたモノ)が来て心が死にました。(今は死んでいない)
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ここで大事なのは『誰のためにVtuber活動をしているか』なのではないか、と思う。ハッキリ書いてしまうと、視聴者の為というのは二次的に生まれた目標であり、一番は『自分のため』である。自分さえ良ければ良いのだ。

だから、『自分は楽しくないけど、これは他人のためになるからやる』という精神は持っちゃいけない。どこかしらに自分が楽しめる要素が無いと、それがコケた時に拠り所が無くなってどうしようもなくなる。

今回の発端である『コケた視聴者のための企画』がソレである。視聴者からのリクエストがあってやったが、自分は全く楽しくなかった上に視聴者数も今までにないくらい低かった。
「リクエストされたからやったのに・・」というのは半分冗談で、おそらく自分自身が楽しんでやっていなかったから、視聴者もそれを感じ取ってブラウザバックをしていたのだと思う。

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何はともあれ『楽しさ』というのは継続する上で大事だなと改めて実感した。その楽しささえあらば、多少の違和感も払拭できる。(多少の違和感というのは、視聴者のコメントを自分が思ったように操作できなかった・・みたいなコト)自分が楽しさを実感できなかった時、少しも違和感でさえも心に突き刺さりメンタルを削っていった。

そして、『手軽さ』
腰を重くして活動するのは、本当に辛い。”やらされている”という感覚は非常に苦痛だ。もっとシンプルに考えていかなければならない。
シンプルに考え、素直に実行。フットワークを軽くしていけば、サイクルペースも上昇し、経験値が得られやすい(はず)

最後に『新鮮さ』
これは自分だけかもしれないが、定期的に何か新しいことをしないと、活動に飽きてしまう。もともと熱しやすく冷めやすい人間な上、冷めるとしばらく温まらないため、とても扱いがめんどくさい(それが今)部屋の模様替えとか頻繁にするタイプ。
『楽しさ』と『手軽さ』をキープした上で、できそうな『新鮮さ』の取り組みが大事なのだと思う。『新鮮さ』を取り込もうとして無理をしたらダメ。

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と、この文章を書き始めたころには全く結論は見えていなかったが、文字にしていくと結論というのは自ずと出てくるんだなぁ・・と。
しばらくは、がっつり配信とか動画投稿とかできないと思うけれど、『楽しさ』『手軽さ』『新鮮さ』の三つを軸に、ぼちぼち復帰していこうと思うよ。

ここまで読んで下さってありがとうございました。

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