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心とは。 〜中国語の部屋〜

よくAIが人のように心を持って、人間に反逆するというディストピア的な物語があったりするが、本当にAIが人と同じような心を持ち得るかどうかということは、まだまだ疑わしいところがあります(あくまで人と同じようなという観点において)。有名な思考実験に「中国語の部屋」というものがあります。

中国語の部屋

中国語が分からない英国人を、中国語の全ての質問に対する返答が書かれた辞書がある部屋に入れます。そして部屋の外から中国語で質問すると、英国人はその質問に対応する答えを辞書で探して返答します。英国人は中国語が分からないのにも関わらず中国語によるコミュニケーションが実現でき、部屋全体は中国語を理解して心を持っているかのように見えるという思考実験です。

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これに対して、この部屋全体や辞書は心を持っているのではないかという疑問が湧くかもしれませんが、それは少し正しくありません。この部屋全体や辞書を創造した何かは心を持っていると考えられますが、あくまでこの部屋全体や辞書が行っているのは動作を模倣しているだけであり、心を持ち意味を理解しているとは言い難いからです。

AIに置き換えると

この話をAIに置き換えると、siriのような音声処理や、高度な画像処理、自動作曲などのAIが処理しているものは、あくまで心を持っているかのように振舞う動作であり、心ではないと言えます。

だからといって人間にも同じように心が存在する証明にはならないではないか、と思われる方もいるかもしれません。実は私もこの辺りの立ち位置で心に対しては接していることが多いのですが、クオリアの存在などである程度否定されている考えでもあります。

まだまだ熟考できていない雑記

ここからは熟考できていない私の疑問。こう疑問します、
「だからといって、AIに人間と違う心が存在しない証明にはならないではないか」と。極論、私はこう考えたりします。
「外界に対して何かセンシングをして系を変更しうる物体であると、人間と完全に同一でないにしても、似たような心(意識)を生み出している可能性がある。」
クーラーにも意識が、スマホにも意識が。。。
この辺り既存の哲学的議論ではどのように考えられているか、まだ不勉強ですが、少しアジア的な思想だなって思ったりもします(八百万の神的な)。

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