見出し画像

京都の都市景観について~高さ規制緩和等~

※2018年11月17日にはてなブログで書いたものを加筆修正したものです。

いくつかメディアでも取り上げられましたが、京都市が景観政策を見直すというニュースがあったので私の雑感を。

 京都は千二百年以上の歴史がある都市ですが、それは同時に東京以上にスクラップ&ビルドを繰り返してきた都市です。京都は景観条例で高さや看板等を規制していますが、現在の京都はホテルの建設ラッシュに市内の人口減少に観光公害という新たな問題が生まれている状況です。

 私の生まれ育った下京山鉾町界隈にもホテルやマンションが増え、「京都の町並みも汚のなりましたなぁ」と町並みが都市から田舎になったと自分たちの地域に皮肉を込めた言い方をするわけですが、都市全体を美しくしたい。放っておいたら崩れてしまう町並みを守ればいい。しかしそれだけだと、京都は第二の奈良(古都)に落ちてしまう。活力が失われるのなら、安らぎのある町は洛中に任せて、隣に華やかさのある街を作ればいい。洛南地域における「らくなん進都」にもっと投資し、高層ビル、マンションも景観条例から除外する。洛中は移転してくる文化庁に下支えしてもらい、古い家(町家等)も財団法人として市が管理したらええ。そして洛中が我が国の文化首都として機能する。守りに入るならちょっとの不自由は仕方ないやろと。ただし、その場合は洛中が太秦にある映画村みたいになることを覚悟しないといけなくなる。京都の住人はそんな風になってしまうぐらいやったら、今の猥雑なままの都市でいいと思っている。守りに入り過ぎると都市としては死んでしまう。景観保護をするには町としては大きすぎるのです。新旧入り乱れたままで、もう少し綺麗になってくれればいい(無電柱化等で)とは思っています。祇園等景観保護地区は地区として守り続ければいい。地元の私らは頻繁に行ったりしいひんけどと。

 観光で訪れる皆さんは、京都は古い町並みのままであってほしいと思う方は多いと思います。静けさと安らぎを愛してそれを壊す活動を憎む。しかし、京都人は古い物一色で見られるのも気にくわない。いつも先進的な都市とも思われたい。歴史上、京都ほどさかんな都市活動が連続しスクラップ&ビルドが繰り返されたところは他にありません。そして地元の市民は京都の町なかが格段美しいわけではない事をよう知ってる。本当に京都らしいといえる町並みは東山や下京~上京、左京区、北区の一部にしか残っていない。

 先ほど例としてあげた「町並みが汚のなりましたなぁ」という言葉の裏には、同時に町がめくれていくのを好きな人もいたりする。京都人は新しい物、際物、アバンギャルド好きです。それこそ、明治、大正期に建造された近代建築を積極的に受け入れてきた都市です。中京区三条通の旧日本銀行京都支店(現京都文化博物館)、東山区の国立博物館、伏見の稲荷駅の赤レンガ……琵琶湖疎水水路閣も当時の人にとっては立派な景観破壊だったに違いありません。現代建築ですと中京区三条木屋町のTIME’S。上京区新町上立売の織陣Ⅲ(解体され現存せず)のような奇抜でへんてこりんな建物まで受け入れてきた。伝統文化を守りつつ、絶え間ない変化と新しいエネルギーが生まれ、積極的に新しい物、先端技術等を生み出してきた。京都は以前、記事で書いたように古都ではなく、伝統と革新の都市です。これが京都という都市の本質なのです。

 私の住む下京にある京都駅ビルも全然京都らしさがない現代建築のひとつのように言われていますが、これも京都市民はなんだかんだ言って受け入れている。それは京都タワーが目立たなくなるからで(この建物実は京都人のトラウマみたいになっている側面もある)今でもこのタワーが京都の顔の一つと言われることに違和感を覚える人もいる。私はどうかというとこの巨大な駅ビルを受け入れている。生まれた頃には既に工事は始まっていたそうで、前の駅舎は写真でしか知らない。この駅ビル、一見無意味なんじゃないかと思えるような空間が広がっている。東京駅との違いは市民にスペースが開放されている点でここにも自治都市京都の色が出ている。ここで中高生が演奏したりプロのミュージシャンもイベントで使える。京都人はこういう空間に飢えていたのかもと思うぐらいに。
 仮に緩和できるとしたら真っ先に浮かぶのは先ほど挙げた伏見区の「らくなん進都」十条通以南の新油小路通周辺の事で、高層ビル、オフィス立地にはいいですが、現状交通の便が悪いのが難点。烏丸線が延伸していればと思いますが財政上厳しく目途は立っていません。また今回の案ではリサーチパークのある丹波口駅西側、山科駅周辺が主な規制緩和対象地域となるみたいですが、眺望上配慮が必要な地域については設定しないそうで、今後の推移を見守りたいと思います。外からの京都再生提案にも付かず離れずです。

※この記事から4年余り京都市は敷地面積等の条件を満たせば、京都駅南側のの油小路通、烏丸通沿いなどで、現在20~25mとなっている高さ規制を31mに引き上げ、地下鉄東西線沿線山科駅から六地蔵駅の間で、31mとなっている規制を無制限にするなどの都市計画の変更案が示されました。若者、子育て世代の人口流出が府内では向日市や長岡京市などに流出しており、洛外の区をもっと発展させる現実的な案ではないかなと思っています。というのも宇治市六地蔵に20階建ての高層マンションが建築中らしく、こういうのも洛外の高さ規制緩和を後押ししたのではないかなと思います。プライドは高くしかしそのブランド力に甘えないのが本来の京都なのですが、それに甘えていた部分が杜撰さを生んだのかもしれません。洛中、東山の一部では景観を保護し、洛外の南、伏見、山科区といった地域は高層ビル、マンションを受け入れていく。京都はよく他所さんから排他的と揶揄されたりしますが、京都という街もまた他所さんの集まりです。京都人の気質が問題なのではなく都市計画の見通しの甘さがあったという方が正しいのかなと思います。この緩和によって京都の持つ都市の多義性がどのように変化していくのか見守りたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?