【朗読時代小説】日本婦道記 尾花川  山本周五郎作

山本周五郎の描く幕末!
 維新をになう志士たちの支援をしていた太宰は、最近妻幸代のちょっとした変化が気になっていた。幕末天皇家の台所事情も出てきます!

■この動画の目次
00:00 タイトルコール
00:07 一
06:34 二
14:08 三
21:24 四
29:07 五
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山本周五郎は、明治36年生まれ。亡くなったのが1967年のことで、最近では青空文庫にも著作がのりはじめています。わたしなどもそれを利用して、朗読など行っていますが、この山本周五郎がじつに面白い小説をかく!

 この周五郎大先生、山梨県の生まれで、本名は清水三十六(さとむ)。年号からきてるんですね。明治四十年におこった大水害で、祖父母叔父叔母を失い東京に転居。小学四年のときの担任から小説家になれと励まされ本人もその気になったと言いますから、当時から非凡なものがあったのでしょう。小学校を卒業した周五郎は、木挽町二丁目にあった山本周五郎商店に徒弟としてすみこみます。そのあたり、芥川、太宰の華麗な学歴と比べると……ん? でも、この体験があの作風につながっていくんでしょうね。視力にもんだいのあった周五郎は徴兵検査こそ逃れるが、関東大震災をくらって山本周五郎商店はあえなく解散。

 周五郎は小説を書きながら、転居したり就職したり首になったりしていましたが、昭和七年、講談社発刊の雑誌「キング」にて、時代小説の執筆を開始します。三十代の周五郎は、その作品の半ば以上を講談社の雑誌から発表しています。今回、朗読して出した日本婦道記は、「婦人倶楽部」に書かれたもの。これが、第十七回直木賞に選ばれるわけですが、周五郎は辞退。四十才のときの話でした。この時期、第十一回芥川賞も高木卓が辞退しています。この著名な文学賞を受賞辞退したのは、この二名だけという話です。もっとも周五郎は、毎日出版文化賞(樅の木は残った)、文藝春秋読者賞(青べか物語)、も辞退しております。

 周五郎は、「山本周五郎」以外のペンネームもいくつも使っているのですが、この名に落ち着いたのは、やはり「山本周五郎商店」の店主、山本周五郎に恩義があったからでしょう。

 この店主は、自身も洒落齋という雅号をもっていて、周五郎が作家として自立できるまで、いろいろと支援していたんですね。ペンネームにこの名をつかったのは、周五郎の感謝がこめられていたんでしょうか? ふるきよき時代のお話であります。

 周五郎は文壇とは薄い人でヘビースモーカー。人嫌いで、座談はうまいのに、講演も全て断ってしまう。文学賞をすべて断ったのも、この性格に起因しているらしい。
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