「願い」や「想い」はコロナと同じだ
人には「願い」とか「想い」とかがある。そういった、人の心から出る塊が僕は「気」というものだと思っている。
その「気」は一人から始まり、その場に集う人の集合体から形成されているものがあり、それが、職場や学校へ、そして、社会へと無限に外へ外へと広がっていく。
つまり、自分が発する「気」が社会に少なからず影響している。
また、その影響を受けて、自分の気に帰ってくる。
そういうものだと思っている。
「願い」「想い」そういった「気」は感染するのだ。
しかも結構強力に感染する。
その場に発言力が強い人がいたら、その人がクラスターのようになった、場の「気」をそちらに染めていく。
マスコミの報道が、その方向に世の中を染めていくのが顕著な例だ。
結局、これってコロナと一緒だ。
どんどん感染していく。
それならば、みんなで「良い気」を感染させていきたい。
こんな時代、不安に思うのは当然だし、神経質になるのは当然だ。
むしろ、「不安にならないように、ならないように」と自分に言い聞かせている方が不自然だ。
しかし、不安になったり、神経質になるのと、不安になりすぎる、神経質になりすぎるのとは違う。
今の自分が、どういう状態なのか?
適度な不安感?
それとも、不安になりすぎている?
自分を俯瞰して、もう一人の自分がいるようにして、そこから自分の心に聞いてみたらば、わかるんじゃないかな。
そして、不安を認めても、それにとりつかれないで、明るくすることができると思う。
自分が「良い気」を出して、それを周りにどんどん伝えていく。
コロナ以上の感染力で、コロナ以上のスピードでまわりに伝えていく。
自分の気が周りに影響を与えるのだと思って生きていく。
緊急事態宣言は、行動に細心の注意を払う期間であって、心をマイナスにする期間ではない。また、心は自分次第なのだから、外の制限にとらわれる必要がない。
とは言っても、外の制限にとらわれるのも人間であることも事実だ。
だから、その「不安感」は認めつつも、ちょとっずつプラスの気を出して、それでみんなの力を相互作用させながら、家庭を、職場を、地域を、世の中をプラスの気で覆い尽くしていきたい。
僕は、今の時代はそれがどこまでできるのか?を試したい。
一人一人の人が、こんな時代に「不安感」にとり憑かれないで、心を自由にして、良い気を発していく。
その集合体が世の中に、どんな明るさをもたらすのか?希望をもたらすのか?
そんな社会実験の場にしたいと思っている。
そう思うとワクワクしてくるのだ。
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