感じることを愛でる
はじめまして。しもDといいます。
今回、最近ふと思いついたことを、メモの走り書き程度に残していて気づいたことを書きつらねました。
個人的な話、ここ1年ちょっとのことだけど、「感じること」を大切にしている。
僕をよく知っているひとからは、筋道立てて考える人だよねとか、ロジック人間だよね、とか言われたりする。
僕自身、理系の大学院を出るくらいには、「物事を筋道立てて考えること」が至極普通に求められる環境で過ごしてきた。日常的なことでもそうやって考えちゃうことも普通にある。それでもまだまだ甘かったりして、失敗しちゃうこともあるから、考える力はこれからも鍛えていきたいとも思う。
そこでふと思い返してみて、
やはり「考える」にはそれなりの「きっかけ」がある。
たとえば、空から何かを狙っている鷹をみたときに、羽をばたつかせることなく、大きく広げているだけでずっと飛んでいられるのはなぜだろうとか。他の人からも言われていたことだけど、友達に言われて初めてめちゃくちゃ意識するようになったのなんでだろうとか。
その1つ1つについて何かしら「感じる」ことから始まる。
別に、感じただけでそこから「なぜ?」を考えなくてもいい。
でも、「感じる」ことをやめてしまうともう何も起こらない気がする。ただやることに追われていくだけで何も感じない虚無をもって過ごす。
それでは日常の生活をただ貪るだけのゾンビのようになってしまいそうで。
どんな些細な事でもいい、ほんの少しでも、誰一人わかってもらえないことだとしても、
リアルに感じたこと、そのときに感じたワクワク感、不安、温かさ、冷たさ、最高、絶望。
この最高に愛おしくて、愛らしい、自分から生まれ出た感情たちを大切にしていきたい。
それをありのままではきだして、まとめて愛でてあげたいなと。そのとき感じたことを言葉で紡いで残しておけば、また熟成されるのもいい。
そんな気持ちを込めて、これからは頭の中の思考を備忘録的に残していこうと、
note、はじめました。
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