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配属に文句言っても仕方ないので、そこで頑張ってみたら!

 こんにちは、Shimizu_Tです。

 今日は、新社会人や人事異動で新しい職場に配属されたけど、「なんでこんな部署に〜」と多少の不満がある方に読んでもらいたい話。

 ちょっと上から目線の話に聞こえるかもしれないので、「そういった話はご免・・」という方は、この先はご遠慮下さい。


 では、始めます。

 まずは、この言葉を見て下さい。

 「随処作主 立処皆真」

 これは、 臨済宗の祖とされる臨済義玄(=臨済禅師)の言葉です。

 「随所に主となれば、立つところみな真なり」と読みます。

 この言葉を、私は、「いつどんな時でも、自分が置かれた場所や状況の中で精一杯に努めて、主体性を持って(まるで主人公のように)振る舞うことが大切である。そうすることで、自分の場所や状況が、真実となって現れてくる。」と解釈しています。

 もちろん私の解釈が真っ当であると思っているわけではなく、「自分が主人公になることを勧めているわけではない」「『みな真なり』の解釈もそうじゃない」という考えは否定しません。
 あくまで、私はこのように解釈しているということです。

 私は勤め人なので、これまでに何回も人事異動・配置転換を経験してきました。その中には、自分の希望が叶うこともあったのですが、どちらかといえば「なんでこんな場所へ」「なんでこんな部署へ」と思ったことのほうが多かったように思います。

 しかし、この言葉を知ってから、まずはその与えられた場所で頑張ってみようと思うようになりました。
 自分で選べるとしたら絶対に行かなかった場所や部署での仕事も、実際に経験してみると意外と面白かったり、気に入ったりするのではないか。仮にそうならなかったとしても、その場所や状況は誰かが担当しなければならないものであって、組織には欠かせないものであるはず。不要なものではないはず。

 また、それぞれに適性があって、Aという部署が得意な人もいれば、Bという部署が得意な人もいる。あるいは、もっと別のCやDの方が得意な人もいるでしょう。
 だから、特に仕事を始めたばかりの頃は、自分が気に入らなくても、様々な部署を経験させてくれることに感謝してもいいくらい。
 
 私はそう思って、いろいろな部署の仕事を経験させていただきました。
 それによって、自分の知識が増え、引出しが増え、大げさに言えば「人間としての」幅が広がったように感じます。

 「こんな場所(あるいは部署)で仕事をするためにこの会社に入ったわけではない。いきなり変なところへ配置された。」と思う方がいるかもしれませんが、逆に最初に変なところへ配置されたことをありがたく思いませんか?
 もしかしたら自分が気付いていないだけで、その部署への適性があなたにはあるかもしれませんよ。
 それから、次の人事異動では、今より少しは自分の希望に近いところへ変われるだろうと期待できませんか? 

 せっかく配属されたのですから、しばらくはそこで自分の力を発揮してみてはどうですか。あるいは、その部署を自分の好きなように変えてみるのも面白いかもしれませんよ。
 そんなあなたの頑張りを、誰かが暖かく見守ってくれているかもしれません。もしかしたら、私もその1人かも。

 今日は、どんな場所でも、見方を変えて頑張ってみてはどうですか?っていう話でした。

 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
 いつものように、締めくくりはこの言葉で。

 「毎日が、心穏やかに過ぎますように」

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