12日目

 昼間はカフェイン及び果糖ブドウ糖液糖としてのドクターペッパーを欲し、日が暮れればヤクルト1000に今宵の安眠を祈る。喉元過ぎればーと言わんばかりに瞬間ごとの衝動に身を委ねた生活をしている。若き肉体はこうした過程を経てエージングされていくのだろう。 

 仕事は相変わらず淡々とは進まず、何かしらのイベント(トラブル)が発生する。それを生み出した原因は、どこかの工程における担当者の経験値不足や責任感の欠如であり、眼前の光景は決して自然発生的なものではないという事実に相応の苛立ちが込み上げてくる。しかしながらそれらを防ぐ余地は自身の行動にもあったはずであり、それを勘案したのち、なんとも言えぬやるせなさに見舞われるのだった。

 そんな心境と共に勤しむ残業は作業効率低調につき、側から見れば無駄な時間とみなされうるが私にとっては有意義そのものである。捗らない残業は業務が捗らないという事実を直視しないための防衛反応であり、精神衛生上は重要な意味を持っている。何はともあれ長時間稼働する。ストレスフルな業務に若干の持続可能性を付随させる自分なりの工夫である。

 残業後の帰途、雨の夜道を自転車で走り抜ける。走り抜けると言っても、そこに颯爽の二文字で描写されるそれは皆無である。私の愛車は2年ほど前にホームセンターで購入した安物のクロスバイク(に擬態したママチャリ)につき、見かけによらずスピードが出ない。申し訳程度に装備された簡易な変速機構をガチャガチャと鳴らし、単調な安全運転を楽しむ。雨足が徐々に強まる。国道に設置された外気温計は摂氏28度を示している。確かに顔に当たる雨粒も生ぬるい。

 家に着く頃にはシャツもスラックスもスニーカーもしっかり雨に濡れていた。もはやこの夏の雨に自転車ごと溶けてしまいたくなった。道端に捨てられたパルプ紙のように雨水に跡形もなく分解されて、最寄りの川を流れ大海に辿り着くのがよい。海の藻屑と化して、仕事もせず無責任に水中を浮遊しよう。

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