13日目

 梅雨よりも梅雨らしい、梅雨明け後の夏である。
 雨の音には心地よいものとそうでないものとがあるが、ここ数日、深夜に我が家の屋根を叩きつけるそれは後者で間違いない上に、日によっては雷のオプションが付いていて非常にやかましい。
 そんな喧騒の夜が続くものだから、かねてより不眠気味である私の健康状態もより悪化しており、目の隈も黒さに磨きがかかってきた。
 寝不足が続けば、肉体だけでなく精神も生命維持に対する危機感を覚えるのだろう。今すぐ何かを成し遂げないといけない気がしてくる。それは、仕事なのかもしれないし、創作なのかもしれないが、とりあえずは自身を何者かに仕立て上げようとする自己実現欲のようなものがいつもに増して高まる。だが、何者になるのかという具体的部分については未確定である。

 人間社会において、若者は若いというだけで大層評価されるらしい。20歳男性と40歳男性がいて、それぞれ全く同じことを成し遂げた時、大半の人間は前者をより評価する。将来性という根拠なき評価基準が、若さを優秀さにたらしめる。
 ゆえに、若いうちに大成したいという考えは多くの人間がたどり着くものであろう。事実、私自身も同様でありいわゆる早熟の天才に憧れる。ただし、若さを最大限生かすべく日々を生き急ぐ自身を鑑れば、若くして何者になろうとするも何者になる材料に欠け、結局は「若さしか持ち合わせていない」という空虚な自身の構造が見えてくる。

 生き急ぐ私には、何でも簡略化しようとする癖がある。
 例えば、目的への最短ゴールを試みるとき、最初に考えるのは過程の一部を削減することである。削減するといっても、試験対策において頻出分野だけ勉強してみるとか、「I have」を「I've」と表現してみるとか、その程度のことに過ぎないのだが、この手法を多用すると、学問や業務において重要な部分が抜け落ちている事態が多発する。その結果、TOEICの点数のわりに英語が読めないだとか、業務の禁忌事項は知っているがなぜやってはいけないのか説明できないとか、そういう「理解した振りしかできない事柄」が増えていく。それが増えるほどに、マニュアルありきの作業が早いだけの空虚な無能人間に近づくに違いない。

 何者かになろうと急いだせいで何者にもなれていない一若者は、ひとまず急ぐことをやめるべきだが、スピードに乗った自動車が急には止まれないのと同様、生き急ぐ思考回路もまた、突然には変えられない。だれか、私の思考のタイヤをパンクさせてくれないだろうか。

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