私と兄、そしてこれから先の話

前書いたんだろうか書いていてもいなくてもどっちでもいいから書く。

私には反抗期というものがなかったそして兄もそうだった。私には当たり前のことで他の人から見たら違うらしい。


母親は放任で自分のやるべきことは自分にしか分からないだからあなたの好きなことを伸ばしていけばいいそんな人だ。
実際、私と兄は母親から勉強しなさい、宿題しなさいということは言わなかった。
兄は地頭が良いが勉強をしてない。
私は地頭も悪く理解力がないから努力して何かを得ようとした。

多分その何かは父親から褒めてもらうことだったのかもしれない。学級委員をやってもお前なんかにできるのか、テストでいい点を取っても褒めてくれなかった。
私は何をやってもダメなんだ、そう思うようになった。

兄は父親のことを「あの人」と呼ぶ、私も最近になってその呼び方になった。だから父親という概念が存在しないんだ。反抗期がなかったのも親に落ち度が存在するんだと思う。

物心つく前から母親が兄のことをお兄ちゃんと呼び私は兄のことを今でもお兄ちゃんと呼んでいる。これについてはとてもいいと思う。

私は兄のことが特別好きではない多分向こうも同じだろう、でも家を離れてから連絡の頻度が上がったのも事実だ。離れてからわかるものってあるんだと思った。

インターン先の子供たちや悪いことをしてる子供たちへの注意の仕方がわからない。それは子育てしているうちに身につくし自分の親のようにやるものだろうが、うちには固定概念を言葉にしたような父親という存在がいたから反面教師にすればいいのかなと思った。

これから先おーやべくんと結婚して子供ができたらどんな親になるんだろうと思うと怖い。同じことはしちゃいけないのは分かるそれはその都度おーやべくんに相談するしか方法がない。

この際だから父親とは完全に絶縁するつもりでいる。清水家のお葬式はおばあちゃんが亡くなった時にしか行かないと思う。

最後に声を大にしていう

男の子しか育てたことないからは言い訳だと思う

これはもはやおばあちゃんの名言だな

これから先自分らしく子供にはレールを敷かないで自分に作ってもらうっていう精神で行こう


また書きたくなったら戻ります。

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