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親の介護は突然やってくる(要介護4の父と要介護5の母)

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突然訪れた親の介護。いつか「やっと終わりました!」って投稿が出来るまで。
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#介護課題

高齢者の運転免許返納へ・我家のケース

「クルマが無いと生活ができない。社会がいけないんだ」という老人の言い分だけが悲しく響く。本当に解決策は無いのかと、父の返納をめぐった考えや言葉の一通りをメモとしてnoteに。免許を諦めさせたいと願う他の家族のヒントになれば。 僕らが考える限り高齢者が運転免許を手放せない理由はいくつかあるのだけど、一番は「自分の生活を変えたくない」という思いが根底にある。父の意見でも直接的には言わなかったけれども、この点に周りが気付くと彼の反論には全て説明が付く様に見えた。 家族は高齢者講

介護鬱

身近な家族に弱音は吐いてるものの、根本的な解決策がなく困っている。仕事なら辞めれば良い。人間関係なら離れれば良い。では、家族の介護は排除できるのか。答えは難しい。 施設を頼るという選択もあるだろうけれど、今の状態では適した施設が無い。要介護4とはいえ、一人暮らしを続けたいという意思がある。しかも余命半年宣告を受けて半年が経った今、残りどれほどこの家で暮らせるだろうと思うばかりに、出来る限り協力したいと思いながらこちらの精神を蝕んでいってしまう。 仕事が思うように手が付かな

逃げたい

子どもを持ったことが無いから親の気持ちはわからないのだけれども、高齢化した親の一人暮らしがいろいろと心配で気にかかる。放って於けば良いとも言えぬのが家族ということなのだろうか。親子と言えど他人、遠く離れて暮らしても家族。この関係は時に感情に対して罪深い間柄でもある。 各所に転移する程の肺癌末期。初期の診断では余命半年と言われ、その半年が経ったのが3月末。今は新しい薬を投与しはじめ、2週間毎の3回投与をもって治療の効果を判断する。 今回から使用している薬はオプシーボ。去年の

オプシーボを使う

父の肺癌治療にあたり、初期に2種類の投薬を行った結果は内蔵に負担が掛かりすぎてしまい、余命3日と言われるまで死が高まったものの、そこから回復。その内臓へ負荷をかけた1種を外し、残る1種類で治療を続けるも、結果的に肺癌への効果はなく、やや大きくなる経過となっている。 ここまで、オプシーボを利用するに辺り必要な経過でもある。 いきなりオプシーボを投与するには特に強い結果を期待するものではなく、副作用もそこそこにあるだけに、初回から投与する薬ではないらしい。ただ、初期の投薬治療

色々と見失っている。

実家の諸々を終えて帰ってくると、自分でも驚くほどの疲労感と倦怠感と嫌悪感と、そんな諸々の負の感情を抱えていることに気づく。イライラも絶頂だったりする。 なんでそんな感情になるのかと言えば、父の検査や診察など病院ですること無く過ごす数時間や、たまに見せる親の老いの現実と、実家までの移動が通勤時間帯などにぶつかるストレス。高速道路の追い越し車線を100km/h以下で走る輩は引きずり下ろしてぶん殴りたいと本気で思う。例えるならそれ程のストレスを抱えていたりもする。 では、どうし

最近苦しい。

「ある日、父親が突然ぽっくりと逝った」なら、どんなに気が楽だろうと思う時がある。もちろん思いがけない出来事に心にぽっかり穴が空くという気持ちも生まれるだろうけれど、着実に死が近づく父を見続ける辛さはこんなにも苦痛なのか。 思い残すことは無いようにと「行きたいところはないか」「食べたいものはないか」と、多少無理してもどこへでも連れてってあげたい。その言葉には、何か思い出をつくりたい。と僕個人的な気持ちも強い。 ただ、そう提案したところで「家に居たい。家で過ごしたい。」と言う。

父の入院は長く、続く。

年明けて2月も終わろうとしている。年末に退院した父は複数の検査を経て、当初の計画通りに再度入院をしたのが1月の後半。 初回の入院時に大きな副作用を受けた為、今回はとても慎重な投薬治療となったのだけれど、成果としても大きな結果は引き出せなかった形となった。父本人は「副作用も無く、微量ながら結果は出ている」と前向きで、退院の計画が出されたことも喜び、僕ら子供の都合を確認せずに気持ちが先行して退院日を決めたくらいだった。 ところが退院の日の前日、脇腹からの痛みを訴える。結果胆嚢

年越しと新年を迎えた我が家

年越しを実家で過ごす事が決まった父。それに合わせて、ぼくら夫婦は実家で過ごすことになった。実家では仕事出来ないので、徹夜明けの大晦日に近所の蕎麦屋さんで買った生蕎麦を持って実家へ。 と、八王子ICを降りてから思いつきで、なんとなくスタンドで洗車して中途半端にキレイになったクルマで母の病院へ。相変わらず健康状態だけは良い母が横になっている。しばらく分かっていなかった様だけど、身内と判断してくれたみたいで、和やかな時間。 父のことばかりで母の見舞いをしていないから、色々と親族

退院して年を越す

とりあえず退院おめでとう。と気持ちだけは持っている。全く解決していない状況だから、病院を必要としている状況は変わらないけれど。何より本人は楽しそうだ。 「次は輸血しません」と家族に了承を得て、先生も選択した途端に出血は止まり、「明日にも危ない」と言われた父は帰ってきた。3ヶ月を病院のベットの上で過ごした身体は、普段の生活にもリハビリを必要としている。とはいえ、最低限トイレに行ったりは問題はなく、本人的には入院前と同じ生活を望んでいる。 とはいえ、冒頭に書いたように何も解決

死を選択できない人間は、いつまで生き続けるべきなのだろうか。

老いとともに、生と死、もしくは死を考えるなんて話題はあるけれど、その中間があるのだと思っている。 死を意識してから死ぬまでがそれ。死を迎えるまでの期間であって、その時がいつ来るか分からない時間。それも、今日明日という短い時間ではなく、来年なのか、10年後なのか、いや、でももしかしたら明日なのか。と、幅広い感じ。 長く続けば疲労感しか無いけれど、短ければ「まだなにか出来たのでは」と後悔するパターンでもある。 死を迎えることは誰にでも訪れること。それを悲観してもしょうがない

通院付き添い

退院しても通院はある。むしろ、入院中はスタッフの方々に対応してもらった院内の移動なども、家族の仕事として負担は増える。 病院で診察券を機械で読み取ると、このレシートみたいな紙が放出される。これの順番どおりに、色々な科をめぐるスタンプラリーの様なこと。 父のかかりつけ医院は大型の病院ということもあり、同じ建物内の移動で済むものの、患者でごった返し、更には老人特有の待ち時間で腹をたてクレームとばかりに騒ぎ立てるバカも居て、なかなか疲れる。 老害は「不安を背負った人に見られる

同年代にのしかかる介護

出版系の食事の場で、同年代の知り合いの母親がボケてしまい、そのサポートをガジェットで解決出来ないか?という連載を、誌面で始めたことを知る。聞けば母親も僕の母と1つ違い。40代世代にのしかかる課題は、思いの外、身近なところでも起きていた。 彼いわく、母のボケは通常の生活を行える程度ではあるものの、自転車に乗ったりもするから「正直不安しかない」とのこと。薬も1度に複数回分渡すと全て飲んでしまうので、毎日その日の分を持っていくことにしていると言う。 出版ということもあり、日々の

訪問介護の管理が凄い

訪問介護の担当者が「このカードを付けさせてもらっても良いですか?」と聞くので、なにかと思えばRFIDっぽい。 訪問介護は担当者が3人いる。その人たちの訪問と退出をこのタグとスマホで管理しているのだという。ピッとすれば事務所に連絡が行く。帰りにピッとすれば、退出が完了となる。 また、その日の報告や引き継ぎの情報もスマホで入力し、サーバ上で管理される。これならどこでも確認できる上に、現場での再確認なども簡単。 介護業界も日々改善されているんだなと驚いた。デジタルツールも慣れ

効率を追いすぎると心が萎縮する

実家への移動はクルマ。そもそもクルマ好きで、今ではクルマが絡む仕事しかしない程。なので電車移動は時間が読めるけれど、ストレスでしか無いんです。 クルマはクルマで今は僕の所有車と、父の所有車が手元にあるかたち。燃費は父の方が3倍良いので、試しに移動で使ってみたのだけど、これまたストレスしかなく、結局自分のクルマに戻す。 燃料高騰の最中、ハイオク仕様の10km/lを切るクルマは決して効率的では無いし、財布にも優しく無い。でも、心が安定したり、乗る楽しみを移動で感じられるのなら