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親の介護は突然やってくる(要介護4の父と要介護5の母)

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突然訪れた親の介護。いつか「やっと終わりました!」って投稿が出来るまで。
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2019年10月の記事一覧

墓に入ることと子世代の無宗教観

僕個人としては無宗教であるのだけれど、宗教を気嫌いしているわけではなくて仏像彫刻や人の心理的な影響としての存在は興味を持っている。美術的な視点や哲学的な観測みたいな学問的な難しいものではなく、もっとカジュアルな立ち位置。仏師知らないけどこの彫刻カッコいいな程度。 我が家は祖父母の代から檀家となってるお寺があり、なにかしら寺イベントがあれば祖母はお寺の厨房を仕切ったりしていた。これがまた大人数の食事を賄ったり、偉いお坊さんの食事や形式的なルールなんかも把握してお膳を用意したり

僕の日常に親がいなくなった話

父親の死後、淡々と業務的な手続きが進んでいく。急かされるままに葬儀や49日、年金の手続きやケータイの解約。さまざまに生きていた証みたいなものをひとつひとつ「死」というインクで塗りつぶしていく感覚。あまり心地よいものでもないけれど、特に忌み嫌う感じでもない。 自分の日常生活の中で「あ、父は死んだのだ」と思う瞬間は少なく、父を思い浮かべたとしても「死」が共存している感じもない。実家を離れて生活していく中で、いつのまにか父は「遠くに存在しているもの」として認識していて、それは亡く

友との別れ

9月末に亡くなった友人の小さな小さなお別れ会。亡くなった友人の彼氏を含めた3人で食事してきました。 友人は膵臓がんだったとのこと。 うーん。親父のことよりも悲しさは大きいことに驚いたりもしている。今はスマホがあるから気軽に記録残せるけれど、友人の声を久々に聞いて涙出ちゃった。 まだまだ未来しかない、仕事もこれからという時に。 亡くなって眠る姿が笑顔だった。その笑顔が僕の記憶の中の友人のままだったから安心してお別れしてきました。 これからこういう別れは増えるのかな。

49日を終えて、納骨

姉の家で過ごしていた父の遺骨も49日と共に納骨となり、ようやく納まるところに落ち着いたのかなと。僕らのドタバタも一息着く様な気がした。 父の位牌をどうするか問題がここで立ち上がる。位牌を預かることの重さを姉も僕も感じていて、出来るならばお世話になっていたお寺に納めたい。それが僕らの希望。 祖父母の位牌は叔父、叔母に確認することにする。実家は空き家状態になるので、手入れ出来ない仏壇に納めたままでは申し訳ない。ただ、自分の両親に関しては自分たちの家に納めるべきでは?とも思うけ

相続の手続きアレコレ

父が亡くなったことのリアリティが無いままに49日を迎えようとしている。 実家に居ても父の存在が残っているからなのかもしれない。 お世話になってる会計の人から「相続の手続きは自分でやったほうが早い」と言われた。財産がシンプルで明確な事がその理由。 口座に残るお金と、クルマ、家と土地。以上である。 相続人も母と姉と僕という一般的な構成ということもある。 口座は残高証明を出してもらい全て母へ。クルマは廃車に向けて一旦僕の所有にする。自賠責が多少返金される可能性はあるけれど、傷