マガジンのカバー画像

親の介護は突然やってくる(要介護4の父と要介護5の母)

95
突然訪れた親の介護。いつか「やっと終わりました!」って投稿が出来るまで。
運営しているクリエイター

2019年8月の記事一覧

父が亡くなりました

朝病院から連絡があってあわてて病院へ。血圧が低く呼吸もたまに止まる。酸素も2kgくらいのプレッシャーで送られていて、酸素の数値は90後半。 僕らが到着してしばらくすると姉が息子(僕の甥)とやってきた。この時には姉が到着する前に息途絶えず良かったと思ってた。 しばらくは状況変わらず、数多も低いながら安定して、呼吸も止まりながらも酸素量は数値変わらず。 僕らは交代交代に昼食をとったりした。近くのファミレスへ。 主治医の診断でも、状況は良くないから今夜中にその時が来るかもと

常に怯えて過ごす長い時間

ツイッターで見かけた言葉 子供が3時間寝てたからといってゆっくりできた時間が3時間あったと思わないでほしい。その3時間はいつ中断されるかわからない3時間であって、はじめから約束され確保された3時間ではないのだ。結果として3時間何もなかったというだけ。 それだって思った。 父の命が「長くて1カ月」と言われて、なんとなく勝手にやや少なく見積もって父と向き合って来たけれど、どうもこちら側が疲れてしまった。 父と向き合って来たこの1カ月は、初めから予定された時間ではなく「いつ

長い終末期

姉が見舞いに行っているタイミングで主治医から連絡を受けた。今の状態の説明と今後の話。 「長くて1か月」と言われた日から3週間が過ぎ、やはり1週間程度かなという状態になっている。ただし、いつそのタイミングを迎えてもおかしくは無いとのこと。主治医は多少の希望を込めた数字かもしれないし、経験値からの比較でしかないだろうから、あくまで目安。 主治医の勤務シフトなどまで説明を受けると、流石にその日の近さを感じたりもする。 今日は反応なかったけれど色々話をしてきた。もう「頑張れ」で

消えない生活の気配

実家で暮らしている。家にいても気持ちが落ち着かず、夜もふと目覚めては寝付けなくなるので、精神的にも実家が良い様だ。実際によく眠れている。 いつ呼び出しが来るのか?そればかりを考えていた。だから気持ちが落ち着くのは病院まで歩いても行ける実家が良い。 父は骨と皮ばかりになってしまった。 血圧は低め。103-72。酸素は勢いよく出ていて数値は100だけど、呼吸は浅い。もうそれほど肺が機能してないのではないだろうか。 実家でやる事は目に付いたモノゴトをとりあえず片付けること。草

人は死に方を選べない

色々と親の死に備えて、というよりも自分の中で未知なる不安が蓄積していく中で気晴らしに探索する中でそんな言葉を見つけた。「人は死に方を選べない」。 怪我でも病気でも日本では多くが病院での死を迎えるのではないだろうか。 治療が長引く中で施しようもなくなった患者さんが、家に帰りひっそりと死を迎える。そんなのは一部でしかない。と思う。 環境を整えること、付き添いする人を確保すること。それら家族の理解があってこそ。もちろん医者の承諾も必要になるから条件がとても多い。 とまぁ、自分

親父が残してきたもの。

親父と過ごしてる時間がこんなに長いのは物心ついてから初めてなんじゃないかなと思うほど。 仕事の日は朝早くから夜遅くまでのイメージだったし、親父専用のテレビの前で過ごすことも多かったから、一緒の時間なんて無かったね。 釣りとか教えてもらったり。川の石の裏にいる変な虫みたいなの餌にして、川でフナとか鯉とか釣る。結局リリースするんだけど、お金かからずなんだかんだ楽しかった。友達とも盛んに河原に行ってたな。 今これだけ時間が出来て、何を話したら良いかわからないんだけど、それでも

なんだか元気な様子

仕事を少しずつ対応し始めたのもあって、昨日今日と実家へは行かず姉任せ。 甥も一緒にお見舞いした様でなんだか楽しげな報告を受けました。 既に身体はその日が迫っていると思うものの、調子良い日と悪い日とのギャップは大きい様子。このまましばらくいけるかな?とも思うような。 姉は今週まで仕事を休んでる。それは来週からの仕事を意味してて、平日は動けなくなる。 これ、生活崩すかも。 いつ何があるか分からないけれど、僕らの都合は関係ないから、これきっと大変になるかも。 ちょっと気が

死までの長い日

「会わせたい人に連絡を」と言われたのが二週間前。長くて1ヶ月という状況でそろそろかなと覚悟は出来ているつもり。そんなの死を迎えた瞬間までわからん。 父は日に日にできる事が少なくなっていて、既に何を話しているのか言葉が聞き取れなくなってきた。まともに話せない。呼吸は安定している様だけど血圧は低め。食事はなく、点滴での栄養のみ。 世間ではお盆休みも明けて、今日から仕事シーズンに入ってるみたい。外の車通りも人通りも日常に戻った。 僕も仕事は山積みだし、父の葬儀なんかがこれから

癌患者の選択肢

癌患者、もしくはその家族のブログ見てると最期にとる動向は2つあるみたい。 1.最期までとことん戦う 2.自宅に戻り穏やかにその日を待つ ウチの親父は前者。今までの治療もそうで、様々な医者からの提案に積極的に試していた。リスクのあるものでも可能性を試して楽しんでいる様だった。 ただ、「元気になっても特にやる事はない」って事に僕自身かモヤモヤした。初期の頃、薬が良い方向に効き退院した時。「どっか行こうか?旅行でも良いし、美味いもの食うだけでも良いし」と提案すると、別に行きたく

なにもできない。

今日は実家に帰らず仕事に集中する日と決めていたけれど、パソコンに向かっても何もできない。集中力がなさすぎて、気持ちがどこか遠いところにある感じ。 身体の疲労は強く、ストレスもある感じだけど、何をどうすればいいか解決策も無く。とはいえ父の様子にも変化はなく、特にしなければならないことも無い日なのだけど。仕事にならない。 気持ちが物凄く浮いちゃってる。ダメだな。 論理的に考えて動くことを意識しているけど、普段から仕事は感性のままに動いている。それで成り立ってる部分もあるんだ

考えること、備えること

両親の老後の計画は決して未熟なモノではなくて、標準的な生活水準を保てるモノだったと思う。 客観的に見ても、親から譲り受けた持ち家で夫婦二人が暮らす為に受ける年金は十分な金額であり、もしもに備える貯金に僅かながら回すことさえ出来ると思われる。 その環境を崩したのは二人同時の入院生活だった。日本の保険制度は高齢者に優しく、介護制度の整備も充実している。求める人に対しては十分なサービスが提供され医療費用も介護費用も1割負担。それでも予定外の出費は家計を削りとることになる。 もちろ

葬儀場の準備、相見積もりなど

父が元気な時に「ここで葬式するぞ」と言っていた葬儀社【A】と、祖父母の時にもお世話になってる【B】に姉と一緒に見積もりの相談に行ってきた。葬儀場の選定については下記より。 それで先に結論としては、父が「やるぞ」と言ってた【A】で会員となった上で葬儀を行うのが良いのではないか。という話に落ち着いた。 家族葬であることを考えると、それほどきらびやかな祭壇も式も必要ないだろうという点。もちろん父の蓄えが長期の入院治療費に消えたこともある上に、母の入院治療が続くことを考えると、出

葬儀場探しとパズル

父が元気な時に「ここで葬式やってもらうんだ」「あそこでやってくれ」と何度も指示した葬儀場があった。仮にそれを【A】とする。 そろそろ危ういということもあり、段取り確認も含めて【A】に連絡を取ると事前会員の確認をしてくれるというが、父の住所、電話番号(自宅・ケータイ)全てで情報が無いという。 その電話で色々話を伺うと、事前に契約または会員登録をした人には会報誌を年4回郵送配布しているという。その冊子に心当たりが無いから、やはり登録はしていないのだろう。 ではなぜ父は「【A】

お金の話

これとても大切。高齢となった両親の収入は年金のみ。出費は持ち家ということもあって、基本的な生活を送るなら光熱費と食費と税金くらい。ただ、今は両親共に入院生活ということで、ここに入院治療費と衣類などのレンタル費用が入ってくる。 実は母の入院費用で両親の年金がプラマイゼロ。母に特別な治療や手術などがあれば姉と僕とで援助していた状態。父が入院する前でも貯金を切り崩して生活している形だった。なので姉と僕とでちょこちょこと仕送りをしていた。そして父が入院することになる。 父の入院治