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ドーナツの、味が違うという話

記事・写真:しみP

(写真は本文とは関係ありません)

「凄いな……」

全く声にならなかった。
「息を飲む」という言葉があるが、こういうことをいうのであろう。

少し大げさかもしれないが、ほんとうに吸い込まれた。

それは、私宛に送られてきた写真のデータ。
そこには、朝もやに浮かぶ、野球場の景色が映し出されていた。

バックスタンド裏というよりも、キャッチャーの目線。
ホームベースの奥には、小高く盛り上がったマウンドがあり、内野のダイヤモンドの黒土の先には天然芝の緑色が広がり、メインスタンドとスコアボードが見て取れた。

朝露に湿った黒土、朝日を浴びて今から輝き出そうかという芝生の緑色。
何より、これから試合が始まるぞという独特な空気感。
そんな気配さえもが、その1枚に切り取られていた。

データを変える。

今度はベンチの映像。
人影はない。
あるのは、シートの上に並べられた少年少女たちのヘルメットや野球道具。
そしてそこには静寂が、映し出されていた。
誰も居ないベンチに、たしかに伝わる子どもたちの気配。

こんな写真が撮れるのか……。

プロのカメラマンではない。
選手のただのお母さん。
卒業記念作品を作ろうとしていた私に、彼女から送られてきた写真たちであった。

ただ者ではない。
しかし、不思議なのは、私も同じ場所に居たのに、そこで目にした光景とは違っていたこと。
もしも私が同じカメラを持って、同じレンズを覗いたとして、同じような写真が撮れるとは全く思えなかったことである。

何を見て、何を感じ、どう切り取るのか? どう写し、伝えるのか?
こんなに違うのか? と愕然としたのである。

確かに、今どきは誰でもかんたんに写真が撮れる時代になった。
スマホという武器を持ち、1億総カメラマン時代と言えるだろう。
でも、明らかに違いは存在していて、「おおおっ!」と思う写真と、そうではない写真が混在している。

誰にでも出来ることだが、誰にでも出来ることとは限らない。

なんだか禅問答のようではあるが、すべての創作活動において、違いが存在するのは明白だ。
子供の頃に書いた作文や、写生会の水彩画。
そういったものもすべて、およそ同じものを見て書いたり、描いたりしたものとは思えないくらいに違っていた。
カメラやレンズといった機械を通しても、そこに変わりはないらしい。

違いを生むものは何?

人?

もしかして、「誰が」それをするのかが違う?
すべての分岐点は人にあるのだろうか?

思えば、全国区のドーナツチェーン店でもそれを体験した事がある。

ドーナツを作る材料は同じ。レシピも同じ。同じ社内研修を受けて、同じ手順で作られているであろうドーナツの味も、店によって微妙に違っていたりする。

そうなると、やはり人?

なんだかわかるような気がする。

同じバーモントカレーも、家庭によって味が違うように、同じカメラで撮った写真も、味わいが違って当然なのかもしれない。

だって、チェーン店のドーナツでさえそうなのだから。

さて、

違いが出ることは理解したが、どうしたら良い写真を撮ることが出来るのだろう?

プロのカメラマンが言っていたことを思い出した。

「数です」

そして、「カメラだけではなく、いろんな美術や芸術に触れることです」

そうか。

なんだかよくわからないけれども、感性が磨かれて、見えないものが見えてくるようになるらしい。いままで感じられなかったものも、感じられるようになるらしい。

「1万時間理論」というものを耳にしたことがある。

どんなことであれ、1万時間相当も繰り返すと、それなりのものが身につくらしい。

少年野球のコーチも、「その分バットを振れ」と言っていたなぁ。

1万時間、1年365日で割ると27時間。
そのくらいではとても足りない。
1日1時間なら27年。
1日9時間みっちりやって3年。
なかなかのボリュームである。

なるほど、力は付きそうだ。

やっぱり、その道のプロって凄いんだなと改めて思う。

しかし、あのお母さんはそうは見えなかったけれど……。

そうか。

「母親業をしながら子どもたちの面倒を見て、子どもの目線で色んなものを一緒に感じ取って来たのかもしれないな」

今になってみると、そんな気がする。

私が見てきたものは何だったのだろう?

自分自身の人生の中で、これまでにたくさん見てきた何か。
たくさん感じてきた何か。

それっていったい……?

もしかしたら、

私にしか切り取ることの出来ない、映像や文章があるのかもしれない。

Noteを通じて、その何かを発信できれば、

また、それが、

誰かのお役に立てるのであれば、

そんな幸せはない。

きっと何か出来るはずだ。

そう願っている。

(=^ェ^=)


≪終わり≫


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