内向きの思考

「内向きの思考」といえば、日本人が海外に目を向けない、あるいは、海外に出ようとしない姿勢を指す。

この定義以外とは全く別の定義で、最近の私は「内向きの思考」に陥っていると思う。つまり、日々の人間関係や仕事のストレス、といった私の内面に目が向いていて、社会や経済情勢といった外に目が向いていないのである。いえ、社会や経済情勢といった大きな話ではなく、他人の考えや物語に思いを馳せたり、週末のことを考えたり、といったもっと身近な外にあることすらできていない。

「内向きの思考」に陥っている時は、無意識的に、苦手な人の顔が頭に浮かんできたり、日々の仕事量の多さへの憤りなどが湧き上がってくる。そこに理性はなく、ただただ感情的に湧き上がってくる。

このような状況は、過去の経験からいって、高ストレス状態を意味する。そして、高ストレス状態は慢性的に続き、エネルギーをジリジリと蝕んでいき心身ともに磨耗してすり減っていく。

しかし、数年前に「内向きの思考」による高ストレス状態を抜け出す方法を体得していたことを思い出し、今日は筆を走らせるに至った。

抜け出す方法は、「外向きの思考」である。「外向きの思考」とは、新聞記事や小説、映画といった自分が普段関与しない事象について、ひたすら考えようとすることである。決して仕事に関連した本や記事ではダメで、また、考えるといっても、言葉に出したり文章に出したりと、「内向きの思考」に蝕まれないようにすることが重要だ。

たとえば、かつて「内向きの思考」による高ストレス状態にあった時は、新聞記事を読んで、それについて「記事の要約」、「記事への意見」、「記事の批判的考察」を行うようにしていた。これによって、ストレス源である日々の仕事から意識を外すことができ、心身的に非常にスッキリした経験があった。

さて、最近、三枝匡さんの著書を何冊か目を通している(非常に学びが多くおもしろい!)。そのなかに、自らの経験を抽象化してフレームワークとして保存する重要性が記されていた。今回はかつて取得した「内向きの思考」を打破するための「外向きの思考」というフレームワークで乗り越えたいと思う。

社会人としても中堅に差し掛かり、今までになく責任も増えるし、よくわからない期待を持たれて重たい仕事がいくつも舞い込んできて非常にストレスフルな日々を過ごしている。かつて、NHKのプロフェッショナル仕事の流儀で、お笑い芸人の岡村隆史さんと、左官職人の挾土秀平さんの対談では、社会的な階段を登るにつれてストレス解消法も進化させなければならない、といったことを挟土さんが話されていたことを思い出す。「外向きの思考」が今のステージに適したストレス解消法に当てはまるのかどうか不確かであるけれど、noteに記していきたいと思う。

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