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【国連総会第2758号決議(通称「アルバニア決議」)】

米ソ対立を背景にしたチャイナの国連常任理事国入り国連決議。1971年10月、アルバニア等23ヶ国の共同提案としてなされた。現在の北京中央と台北の両岸問題(台湾問題)、米中対立にまでつながる大きな国際政治の転換点であった。

中華人民共和国建国前後、中国共産党の権力基盤が脆弱だった頃は、ソ連時代に「アニキのソ連、舎弟のチャイナ」という共産イデオロギー相愛関係で上下ポジションの明確な打算的友好関係があったが、その後は関係悪化・中ソ対立の冬の時代を迎えた。これを受けて米ソ冷戦の構図(敵の敵は友達論)を背景に、ベトナム戦争でチャイナの協力が得たい米国の思惑によって米中が接近。1971年7月のチャイナ電撃訪問宣言をしたニクソンショック(翌年2月に実際に北京訪問)とそれに続く米中国交正常化へと転じる。ついには北京中央(人民政府)が、1971年10月に国連「アルバニア決議」で中華民国(台湾・台北)に替えて国連常任理事国の座をとった。

現在のところチャイナ側は、「アルバニア決議」と呼ばずに「両ア決議」と称している(チャイ語「両阿提案」)。これはアルバニア(阿爾巴尼亞)とアルジェリア(阿爾及利亞)など、あくまでも複数国家(23ヶ国)の共同提案という意味を印象づけたい思惑がある。チャイナとアルバニアは、毛沢東死後の鄧小平改革開放路線での対立(中ア対立)から、1970年代後半には関係は完全に冷めきった。チャイナ側もアルバニアを蹴った歴史があることから、チャイナ当局としてはアルバニアを単独でヨイショしにくいロジック上の弱点がある。そこで、「アルバニア決議」ではなく「両ア決議」として、称賛するすり替えを行っているのが現状である。

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