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乙武義足プロジェクトについて

乙武洋匡

日本でこの名前を知らないという人の方が少ないかもしれない。
五体不満足、四肢奮迅など著者であり過去には小学校教諭やスポーツキャスターなど幅広く活動されていたから枠組みとしては『著名人』で間違いない方だ。

そんな著名な方とは縁遠い私なのだが、渋谷のカフェで数年前に開催された講演会に足を運んだ。
私は普段講演会などに参加することは殆どないのだが、このときは珍しく気持ちが動いたのをいまだに鮮明に覚えている。

講演会の内容は乙武洋匡が1年半かけて世界37の国と地域に足を運んだことで体験したことを話す会だった。
#足はないけども
その講演会から数ヶ月後の秋に義足プロジェクトはスタートした。
私は医療従事者でありスポーツトレーナーだ。
「これはマジでとんでもないことだぞっ!」と察し、動向をくまなくチェックしはじめた。

そしてその集大成ともいえる
《新国立競技場のトラックで100m歩きたい》という企画が開催された。
このプロジェクトがスタートしてから4年半が経っていた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/f394362cac8f53b8affe7b58111573cda9d7156f

乙武洋匡とプロジェクトチームが歩んできた4年半の軌跡についてはニュースやSNSなど駆使して各々で調べてほしい。
ここでは前述の「とんでもないこと」について深掘りしていく。

▼欠損(欠けて不完全になること。その状態)

まず今回取り上げる欠損について説明していくと、先天性と後天性の2種に大別できる。
先天性とは生まれつきのことを指し
後天性とは生まれたときはあったが事故などにより後に失ってしまうことを指す
世の中の多数の人ら欠損といえば後天性を想像するといわれているが、欠損において先天性と後天性は大きく違う。

▼電気信号

私たち人間は脳からの電気信号を神経を介すことによって身体(骨格筋)を動かすことが可能となる。 ※ここでは反射は除く
自身の足で立ち、歩き
自身の手でモノ触れる、など
動作のすべてが脳からの電気信号を経ているのだ。健常者がそれをできるのは『当たり前』と括られている。既出の動作は健常者にとってなんら特筆すべきこともないので普段の生活のなかで特別なことと感じる健常者は非常に少ないだろう。


▼紐解く

これまでに欠損と電気信号(身体動作の仕組み)についてざっくりと説明したので、ある意味ここからが本題だ。

後天性欠損はそれまでは『当たり前』ができていたができなくなってしまったことを指す。
そこに切断部から先を補う役割を担う義手・義足を装着すること、また義肢装具士のてにより個々の状態に応じて使用者の元々あった『当たり前』の状態に近づけることを目的とするのが一般的だ。もちろん以前とすべて同じ感覚になることはない(とのことだ)が、生活環境は圧倒的によくなる(とのことだ)。

次に先天性欠損について紐解いていく。

先天性欠損はない…そう、ないのだ。
生まれつき切断部から先を携えていないので、いざ義手・義足を装着したとて、その動かし方がわからないのだ。
例えるなら健常者に「背中に羽根をつけたからもう飛べるから飛べ」と、断崖絶壁から突き落とされるのと同義である。
これを聞いてどれだけの人が自信を持って飛べると答えられるだろうか?
少なくとも私にはできない……
それを、やってのけたのだ!乙武洋匡は!!支えるチームスタッフと共にやってのけたのだ!!

人によっては『たった117m』と捉える人もいるだろう。捉え方は人それぞれなので致し方ないことだ。
しかし私はかつての野茂英雄やイチロー、現在なら大谷翔平らはメジャーリーグという無人の地を切り拓いた先駆者たちの成し遂げた
偉業とこの義足プロジェクトはそれと同等かそれ以上の価値があると捉えている。

【何もない状態から作り上げるというのは至難の業】

それは何事においても普遍的な価値観だ。
そのことを伝えたく筆をとったのだが、少しでも伝わってほしいと願う次第だ。


▼最後に


ここまで読んでくれた人は『当たり前が当たり前じゃなくなる世界』というものを想像できるだろうか??
私はここまで綴ってきたが、想像できてなかったし、情けない話だが今も尚できているとは言い難いのが事実だ…。
そんな一般的には理解できないような状況・逆境を乗り越えて、目標を達成できたのも本人の並々ならぬ努力とサポートに尽力したチームスタッフがあってこそだ。

『千里の道も一歩から』

この言葉が似合いすぎるほど似合ってる。


理学療法士の内田さんのサポートと共に
100m達成後に2ショット撮らせていただきました
たくさんの方々に見守られて歩き切った100m
お疲れ様でした


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