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締め切り#002 駄々をこねたい / 高橋みさと

目の前に座る女の子の機嫌が悪くなりはじめました。
前を向くのもいや、靴を脱ぐのもいや、立ち上がるのもいや、おやつを食べるのもいやなようです。
イヤイヤ期の真っ最中でしょうか。
混み合っている電車のなかに、声が響きわたります。そんな周りを気にもせず、イヤイヤを続ける女の子。
その様子を見ていて、私も無性に駄々をこねたくなってきました。

駄々をこねていたのはいつ頃までだったのか、まったく記憶がありません。思い出すのは「いやだ」と伝えたときの母の気の抜けたような表情と「好きにしなさい」の一言です。
長女だった私は、もしかすると比較的もの分かりがよく、少し早めに「駄々」から卒業していたのかもしれません。

とにかく駄々をこねたい。大の字になって寝転がり、手足をバタバタさせてみたい。

「これ、お願いできる?」「もちろん。」
「ちょっと時間がなくて。」「あ、私やっておきますよ。」
「これってどうすればよいですか?」「ええと、それはね……。」
「もう疲れちゃって、したくないのよ。」「いいですよ、休んでいれば。まかせて。」

ときには心からの優しさから、なかには世渡りに必要な忖度を踏まえて、うまいことやってきたたくさんのこと。大人としてのマナーをすべて放り投げられたらどんなにすっきりするでしょうか。

「これ、お願いできる?」「やだ。」
「ちょっと時間がなくて。」「そうなんだ。」
「これってどうすればよいですか?」「えーわかんない。」
「もう疲れちゃって。したくないのよ。」「やだやだやだー無理。」

つり革につかまりながら、片っ端からイヤイヤをしている自分を想像してみると、それはただのわがままなおばさんでした。

「これが食べたいの。いや。抱っこして。やだ脱ぎたくない。抱っこ。」

相変わらず「イヤ」を続ける女の子のお母さんは、女の子のイヤイヤを辛抱強く受け入れ続けます。
「女の子はただ駄々をこねているのではない。駄々をこねる気持ちをそのまま許容してもらうことで、愛情を確認している。」
やり取りの意味に気づくまで、二駅ほどかかったでしょうか。いえ、二駅どころではありません。駄々をこねる意味について、今やっと気がつきました。

駄々をこねるのは、受け止めてくれる場所があるからこそ。一人で大の字になって手足をバタバタしていてもスッキリしないのは、相手にボールを投げていないからでした。

わたしの「イヤ」を許容してくれるところ、今はどのくらいあるでしょうか。

高橋みさと
長野県上田市生まれ。埼玉県飯能市在住。ライターとときどき経理業。
山歩きと散歩と昼寝好き。


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