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締め切り#025 日記 2024年3月2日〜8日 / 篠原幸宏

3月2日(土)帰国して本屋

 飛行機の中ではぐっすり眠ってしまって、気づいたら成田についていた。まだ寝ぼけているのに外はあかるい。機内ではアイマスクをしているので、とつぜん朝にほうりだされて、まぶしくて仕方ない。
 ボーディングブリッジをわたって建物にはいる。白い壁、白い天井。もうしわけ程度に、日本の文化を紹介する広告なんかがあるが、どうにも地味だ。外国からかえってくると日本の空港は味気ない。
 さっさと入国をすませて、バスで東京駅までいく。天気がいいので、丸善まで歩いてみるが、風はつめたい。気温は八度。きのうまでいたコーンケンでは朝でも二六度ぐらいはあった。もう三月だというのに寒すぎないか。
 丸善は土曜日の朝ということもあって人がすくなかった。新刊の棚をひととおり見ていくが、ほしい本はあまりない。村上春樹の、というか安西水丸が表紙の『中国行きのスロウボート』が復刻されたのか、とか、高橋源一郎の新刊は四〇〇〇円もするのか、とか。
 江國香織の『シニェール織とか黄肉のメロンとか』はすばらしい小説だった。『川のある街』という本が新刊ででていた。どんな小説だろうか。
 イヴリン・ウォーの『黒いいたずら』は白水Uブックスから復刻。復刻といえば『ストーナー』も平積みになっていたが、これも再販だろうか。
 新幹線で長野へかえった。

3月3日(日)帰国二日目

 けさは目が覚めたら一〇時をまわっていた。どうにも眠くて、布団からでるのには、それから三〇分もかかった。
 あたたかいタイから、さむい長野にかえってきたせいだろう。けさはマイナス六度まで冷えこんだというが、タイにいたときは朝は二六度ぐらいだった。三二度も気温がちがったら、体もおかしくなってしまう。
 日曜日なので、どこかへでかけるのもいやだから、家で本を読んでいる。
 柳沢英輔『フィールド・レコーディング入門』は、まだ半分ぐらいしか読んでない。環境とはなにか? とか、客観性とはなにか? といった抽象的なはなしになると退屈する。そういうことは、まあ、構築主義的な発想をあらためて確認するだけで、凡庸なはなしにしかならない。しかし、そういう凡庸なことも、そんなことはあたりまえだ! とおもわない人もいて、やっぱり書いておかないわけにいかないんだろう。
 それよりも、オレリアンハープをつかった録音とか、ベトナム中部のゴング音楽の録音とか、具体的なはなしがおもしろい。
 また、これは注でふれられていただけだが、セントギガのはなしもすこしあった。セントギガのことはまえから気になっていて、一度聞いてみたいとおもっている。
「一九九一年から二〇〇三年までセント・ギガ(St.GIGA)という衛星放送によるデジタルラジオ放送局が、潮の干満や月の運行に連動した「タイド・テーブル」に基づき、DJなし、CMなし、ニュースなしという異色の編成で世界各地の自然音と音楽をノン・ストップで流していた。なおプロデューサーの川崎義博は日本のフィールド・レコーディストの草分けである。」(『フィールド・レコーディング入門』より)
 セントギガのことは『音盤時代』という雑誌で読んで知った。しかし、いまその『音盤時代』という雑誌を見たらもう一三年もまえの本でおどろいた。「セント・ギガを紹介する」という記事で、セント・ギガの成り立ちについて書かれている。
 セント・ギガについては、立案者の横井宏が『夢の潮流』という本を書いているらしい。これは当然いまは絶版で、価格もかなり高い。
「セント・ギガでは腕のいい録音技師を国内外に派遣して、各地で音質にこだわったフィールドレコーディングを敢行した。そして、録音された数万時間以上におよぶ自然の音のライブラリーを放送時に音楽と混ぜることによって、いわば24時間のアンビエントミックスをおこなった。そのライブラリーから選りすぐった自然音は、『セント・ギガ サウンド・オブ・アース』というタイトルのもと、92年に東芝EMI(現EMI)より12タイトルのCDとしてリリースされた」(『音盤時代』「セント・ギガを紹介する」より)
 しかし、このCDも見たことがない。最近長時間のアーカイブがウェブ上にアップされたことがウィキペディアにあったので聞いてみた。
 ただこういうのも、活字になるとやたらと伝説化してしまうところもある。

3月4日(月)松本へ

 Sをのせて松本へいく。「歩き方教室」というのがあって、Sはそれに参加するらしい。さいしょ一人でいこうとしていたが、ぼくもきょうはひまなのでいっしょにいくことにした。
 もっとも「歩き方教室」のほうは予約が必要だったので、ぼくはSの教室がおわるまで市街地のどこかで待つことになる。
 会場になっている食堂のまえで(食堂が会場になってるのだ)Sをおろした。それから近くのカレー屋に昼食をたべにいく。
 カレー屋にはいっていくと、Kさんとばったりあった。KさんはV社の編集者で、よく写真の仕事なんかもくれる。去年、上田からひっこして、いまは松本に住んでいる。
「帰ってきてたんですねえ」と言われて、「はい、半分以上は寝込んでたんですけど……」なんてこたえる。Kさんは、友人ときていたので、別の部屋の席につこうとすると、店のおばさんがKさんのとなりの席をすすめるのでこまった。
 一人でカレーをたべにきたのに知人といっしょというのは落ちつかない。Kさんだって友人がいっしょなのに、ぼくがいたら落ちつかないだろう。なかば強引にこっちでもいいですか、とはなれた部屋に席をとった。
 チキンカレーとバスマティライスを注文する。ひとくちたべて、あれ、こんなもんだったっけ? とおもった。カレーがちょっと水っぽく、塩があまい、気がする。しかし、気がするだけで、ぼくが病みあがりで味覚がおかしい、というのも考えられる。
 風邪だったのか知らないが、コロナでなくても熱をだすとしばらく味覚がおかしくなる。こういうのはQOLがいちじるしく下がるのでいやだ。QOLはクオリティ・オブ・ライフの略で、生活の質ということらしい。
 持病の機能性ディスペプシア(FD)なんかも、QOLがぐーんとさがる病気だといわれている。よくいうところではウツ病なんかはそれがもっとひどい。
 カレーをたべおわって、さて、どこへいこうかとかんがえたが、とくにいきたいところもない。松本には丸善があるけど、丸善はこのまえ東京でいったばかりだ。ただ考えてみてもほかにいくところもない。
 松本店はひさしぶりにきたが、やっぱり書籍の売り場は小さくなっている気がする。きょうは一階にあった文芸書コーナーが地下に移動になっていた。それで二階はコミック専門になったようだった。
 一階の喫茶店でコーヒーを飲む。ここはコーヒーが三〇〇円だった。いまどき三〇〇円のコーヒーなんてタイにもない。いや、あるところにはあるけど、めずらしい。トランジットでたちよった香港の空港ではコーヒーは一〇〇〇円からだった。
 そのうえ椅子もやわらかく、席にはコンセントもついている。そして、あまり混んでいないのもいい。
 駅前のとおりにある有名な喫茶店なんかは席もせまく、いつも混んでいて、うるさくて仕方ない。コーヒーも五〇〇円以上はしたとおもう。
 ここでは、しばらく読んでいたホセ・サエールの『孤児』を読みおわった。この小説は保坂和志が『試行錯誤に漂う』の中で紹介していたので知った。
 孤児としてうまれた主人公は、船乗りになり、南米探検に参加するが、到着した密林でインディオの襲撃をうけ、主人公をのこして探検隊は全滅してしまう。主人公はなぜか一人だけ生きたままインディオに連れさられ、かれらの村で一〇年をすごすことになる。年老いた主人公がそうした過去を回想している。
 インディオたちは年に一度かならずカニバルの儀礼をおこない、それは狂気にみちた数日間で、じっさいインディオたち自身も大怪我をしたり、そのまま死ぬものがたくさんでる。しかし、その儀礼について主人公は、インディオたちが人間的であるがゆえにそうするのだと考察するのがおもしろい。後半は、ほとんどが主人公の回想と考察についやされる。
 いい小説を読むと、べつの小説も読みたくなるので、また地下の文芸書コーナーへいった。それで翻訳小説の棚を見ていたが、しかし、これといって読みたい本がなかった。手にとって説明を読むと、なんかちがうなとおもってしまう。
 映画の紹介文なんかもそうだが、本も帯を読むととたんに興味がなくなるのはなんでか。

三月五日(火)日記

 毎日一〇時にならないと目が覚めないのは、寒いからではなくて、もしかして時差ぼけなんじゃないか? 考えてみるとタイと日本はちょうど二時間の時差がある。一〇時におきているいま、まだタイは八時だ。八時といえば、ちょうどタイではそのぐらいに起きていた。寒さもあるが、時差ぼけな気もしてきた。
 午後、国道沿いのスターバックスにいくと、Yさんにあった。友人らしき男性といっしょで、入口のガラスごしにぼくに気づいて手をふっていた。
 Yさんはわかいころぼくなんかよりはずっとひどい自律神経失調症をやっていて、ぼくのそれも相談にのってもらったこともある。なんでそんなはなしになったのかおぼえていないが、旅行にいくとぼくは症状がでるというはなしからだったか。
 タイからかえってきたはなしをあれこれする。タイといえばYさんも一一月にチェンマイにいっていて、そのはなしも聞いた。Yさんはチェンマイで膀胱炎になって、血尿がでて大変だったという。現地で抗生物質をもらって治ったそうだ。ぼくは血尿なんかでたらとおもうとおそろしい。たぶん不安発作もでて大変なことになるだろう……。ぼくが熱をだしていたのなんかはまだマシだったのだ。
 それにしても、旅行にいって寝込んでいるのはつらい。おたがい四〇年も生きてると体もあちこちボロがでてくるのだ、というようなことをはなすが、Yさんはぼくより年上だとおもうけど、いくつぐらいだったか。
 夕飯に麻婆豆腐。いつもはどんなに豆板醤を少なくしてもからいからいというSがきょうはからいと言わない。それどころか、もっとからくてもいいと言っている。タイで毎日のように青唐辛子をかじっていたせいで、すっかりからいものに慣れてしまったのかもしれない。
 ぼくはSに遠慮して、からさをひかえてつくる料理もある。たとえば麻婆豆腐も、鍋を二つ用意して、からい麻婆豆腐とからくない麻婆豆腐をつくる。ビリヤニやカレーなんかもそうで、ぼくはからいほうがおいしいに決まっている。
 しかし、旅行中にからいものをたべられないのはぼくのほうだった。これはからい味がだめなのではなくて、からいものをたべるとお腹をこわす。翌日くだすぐらいならいいが、今回の旅では、たべてる最中から胃が痙攣して硬直したみたいにうごかなくなり、そのあと翌朝まで吐き気と胃もたれで眠れなかった。これはもともとある自律神経症状に、病み上がりでとつぜんからいものをたべたのがいけなかったようだ。
 からいものは好きなのに、胃腸が過敏に反応してしまう。しかし、日本ではこういうことにはあまりならない。旅行にいくと、自分としてはリラックスしているつもりでも、体は緊張して神経が過敏になっている。
 きょうは午後から雪だった。

3月6日(水)パートンコー

 きのうの午後から雪がふっていて、朝になってもふっていた。それで、家のまわりはすっかり雪景色になってしまったが、その雪というのもべしゃっとした春の雪で、もうけさは溶けはじめているけど、空はどんよりした雲におおわれて、山も寒々しくていやな天気だ。
 からっとした乾季のタイから、シベリアの収容所に連れてこられたような気分だが、じっさい低気圧で肩こりなんかもひどく、全身がだるい。やる気もでないので、葛根湯を飲んでいる。
 昼食にパートンコーとコーヒー。パートンコーはタイの揚げパンのことだが、たぶん、ほんとうは中国の揚げパンで、中国語では油条という。
 揚げパンといっても日本の揚げパンのように大きくはなく、感覚としてはドーナツにちかい。タイや中国では定番の朝食で、通りには毎朝かならず屋台がでて、揚げたてを売っている。
 Sは滞在中、このパートンコーにすっかりはまって、毎朝買ってきて朝食にしていた。それで、日本にかえってきてからレシピをしらべて、なんどかつくっている。
 昼ごろキッチンへおりていくと、揚げたてがおいしいからといって、その場で揚げたのをだしてくれた。きょうは二回目で、まえよりうまくいったといっている。
 Sのパートンコーはタイでたべたものにくらべると生地がつまっている。それは本人も自覚していて、たぶん発酵が弱いんじゃないかと言っている。
 それならもっと発酵させたらいいとおもうかもしれないが、うちは古い木造住宅で標高も高いので、この季節は家の中でも氷点下になったりする。そうでなくても、キッチンはだいたい二度ぐらいまでは毎朝さがる。なので、放置していても発酵はすすまないどころか、日によっては凍ってしまう。
 だから冷蔵庫の中で発酵させるわけだが、これだとやっぱり発酵はなかなかすすまず、タイでたべたもののように軽い食感にはならないんじゃないか、と二人ではなしている。
 しかし、パンなんかはヨーロッパの寒い国でもつくっているわけで、冬はどうやって発酵させているのか。一晩中あたたかい部屋があって、そういうところにおいておくのか。うちは一晩中あたたかい部屋というのはない。寝室も朝おきたら二度とか三度になっている。
 そんなわけだが、この中身のつまった感じのパートンコーもそれはそれでわるくはなく、ふつうにおいしい。タイにいたときは練乳をかけてたべていて、やっぱり自宅でもおなじようにしている。


3月7日(木)これといって特になし

 今日は木曜日。朝の室温は二度で、家の外はマイナス二度までさがったらしい。いい加減にあたたかくなってほしいものだが、ちっともあたたかくはならない。朝は晴れていていい天気だとおもったが、午後には曇ってしまった。
 タイからかえってきて、日本は木も枯れてるし、花も咲いていない、景色が陰気でほんとうにいやだ、とSとはなしている。まえは冬も好きだといっていたSだが、ここ二年ぐらいは冬にいっしょにタイへいくようになって、冬の日本、とくに冬の長野の陰気な感じに気づいてしまったようだ。
 午後は確定申告をやってしまおうかとおもったが、どうもやる気がしないのでN店でちょっとはたらく。しばらくきていなかったが、ぼくたちが休んでいるあいだに、本もそこそこ売れていて、本棚の整理なんかもしないといけない。また入荷しただけで値つけをしていない本、値つけはしたが、まだ店頭にだしていない本もたまっていて、やることはたくさんあった。
 ところで本屋のはなしだと、最近、政府が書店の振興を目的にしたプロジェクトチームを設置したというニュースがあった。本屋はどんどん減っているけど、やっぱり本屋はないとまずいんじゃないか、ということらしい。
 そういうニュースなのだが、ばかばかしいのは、ただそれだけのニュースにも文句をつけている人がいて、たとえば毎日新聞の「「売れる本屋」のコツ、教えます」という記事のタイトルを見て、「売れる本屋」というのが気にいらない、とか言っている。
 こういう人は、なにかニュースがでてくるととりあえず文句を言いたいだけ、ということなんだろう。SNSを見ていると、そういう人がたくさんいて、こっちまで具合がわるくなるので、やっぱり見ないほうがいいんだろう。
  

3月8日(金)牛モツ煮込み、書評

 タイからかえってきて一週間になった。きょうははじめて九時まえにおきることができた。あいかわらず寒いけど、いい変化だ。
 昼食にスパゲティマリナーラ。夕食に牛モツ煮込み。牛モツ煮込みはスーパーでシマチョウを買ってきて白味噌なんかで煮込んだ。シマチョウというのは牛の大腸のことで、ほんとうは小腸とか他の部位もほしいのだが売っていない。
 モツ煮込みは、うちのあたりでは豚の白モツをふつうの味噌で煮込んだものがおおい。それで群馬のほうへいくと人気店なんかもある。しかし、ぼくはそういう豚モツの煮込みは、まあ、おいしいかもしれないが、わざわざたべたいとおもったことはない。それよりも東京の東のほうなんかででてくる牛モツ煮込みのほうが好きで、年になんどかたべにいく。
 きょうつくってみた煮込みは牛モツをつかったものだが、有名店でたべるそれよりはおとるものの、なかなかおいしかった。肉でもそうだけど、牛と豚では煮込んだときの風味がまったくちがい、牛を煮込んだときのコクは豚ではでない。
 ところで、きょうは『ニッポンの書評』という新書を読んでいた。書評家の豊崎由美の本だが、まえから読もうと思っていて、しかし、もうこれも一〇年まえの本だという。
 豊崎由美は「書評も立派な文芸の一ジャンル」であるという立場で、いろいろな書評について、そのよしあしのはなしをしている。その中には、当時多かった(?)ブログ書評へのはっきりした苦言なんかもある。
 豊崎由美はなん年かまえにもTikTokで本を紹介をしている男性を批判して話題になった(つまり炎上した)ことがあったが、やっぱり素人の無責任な書評が好きじゃないのだろう。
 もちろんぼくも素人の無責任な書評みたいなものは好きじゃないが、いわゆるプロ意識みたいなものも大きらいなのでこまる。
 おわりのほうにある大澤聡との対談もおもしろかった。
 しかし、ずっと読んでみて、豊崎由美のいう「書評も立派な文芸の一ジャンル」であるという主張は正しいとして、しかし、読者にとって書評の目的を読みたい本を発見することと考えたときに、書評のよしあしというのがどのくらい意味をもつのかには疑問を感じた。
 この本の中にでてくる丸谷才一にしても佐々木敦にしても、もちろん豊崎由美にしても、ぼくはこの人たちが紹介している本を読んで、それがよかったので、次もこの人たちの紹介する本を読むのであって、ある本について自分とはあまり趣味のあいそうにない書き手がすごくすぐれた書評を書いていたとしても、その本を読もうとおもったりしないんじゃないか。
 そうすると結局、紹介者の固有名への信頼で本を選んでいるのであって、極端なはなし、そういう信頼できる読み手が「今月の三冊」といってタイトルにひとことコメントをつけるぐらいでも、まあ、いいんじゃないか、とおもわなくもない。『みすず』の読書アンケートみたいに。
 しかし、「書評も立派な文芸の一ジャンル」という考えかたは、書評を読むおもしろさというものがあるということだろう。おもいかえしてみると、たしかにそこにはエッセイを読むおもしろさと似たようなものがなかったかといえば、あった気もした。

この日記について
 
もうこのノートも一年以上更新が止まっていた。また、ぼくもここ一年ぐらいすっかりなにも書けない。なにかのきっかけに日記をのせてみることにしました。

篠原幸宏
1983年生まれ。長野県上田市出身。『締め切りの練習』を編集発行。旅行記『声はどこから』(2017)『ロンボク島通信』(2023)


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