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締め切り#026 日記 3月の後半 / 篠原幸宏


3月12日(火)
ジャック・ロンドン、ブローティガン

 ところできょうの午後は、Nさんが大学をやめることになり、Sといっしょに研究室の本をひきとりにいった。
 ジャック・ロンドンと書かれた段ボールがたくさんあったので、専門なのかたずねると、一応ねえ、という。
 五年ぐらいにまえにオークランドへいったとき、ジャック・ロンドン・インというホテルに泊まった。すぐむかいにはジャック・ロンドン広場があり、公園には海を背にしてジャック・ロンドンの銅像がさびしげに立っていた。さびしげに見えたのは天気がわるかったせいかもしれない。
 Nさんの研究室にはよい本がたくさんあった。ただ、これいいですか? ときくと、やっぱりこれはとっておこうかな……ということになったりするので、なかなかほしい本のすべてをひきとることはできない。
 ブローティガンがなん冊かあったので、ほかにもないかきくと、まだ家にたくさんあるという。いまは高いんですよ、というと、へええ、じゃあ、こんど売ってみようかなとおどろいていた。作業は二時間ぐらいでおわった。雨がふっていたのでクルマを建物に横づけして、本をつみこんだ。
 オークランドに泊まったのは、となりのサンフランシスコはホテルが高かったからで、ジャック・ロンドン・インも安いホテルだった(しかし、いまはその安ホテルも一泊一五〇〇〇円もするのだという!)。そのときは、サンフランシスコのワシントン広場で『アメリカの鱒釣り』の表紙になっているワシントン像も見た。「東へ向けて、ようこそ、西へ向けて、ようこそ、北へ向けて、ようこそ、南へ向けて、ようこそ」。


3月13日(水)
二人称と現在形

 ここなん日か井戸川射子の『この世の喜びよ』という小説を読んでるが、どうもあたまにはいってこない。
 理由はなんとなくわかっていて、ぼくは二人称小説が好きじゃなく、また、現在形で書かれた小説も好きじゃないからだろう。この小説は「あなた」という二人称で、なおかつ多くの場面が現在形で書かれているから、ぼくが苦手な小説の要素が二つともはいっているのだ。
 二人称小説はふつう「あなた」という二人称が主語になっている。しかし、これはどうも読んでいて落ちつかない。「あなたは……」と書かれると、なんでぼくのことがあんたはわかるんだ? という気持になる。もちろん、この「あなた」は読者をさしているわけではないのだが、しかし、「あなた」と書かれると、なんとなく自分のことのように感じてしまい、気持がわるいのだ。
 しかし、そういう二人称小説が好きなひともおり、ときどき目にする。最近だとパームブックスという出版社からでた『palmstories あなた』という本が、二人称小説をあつめたアンソロジーだった。津村記久子、岡田利規、町田康、又吉直樹、大崎清夏といった作家がそれぞれ二人称で小説を書いていたが、ぼくはさっきも書いたように二人称小説は好きじゃないので、どれも三分の一ぐらい読んで、もういいか、とおもってしまった。しかし、人気のある本で、N店でもよく売れている。
 現在形で書かれた小説は翻訳小説におおいイメージだが、最近は日本の小説にもおおい。しかし、すぐにこれというのはおもいだせない。翻訳小説だとアンソニー・ドーアなんかがおもいつくが、ぼくはアンソニー・ドーアはすばらしい作家だとおもうけど、この人がふつうに過去形で書いてくれたらもっといいのに、といつもおもう。英語圏の現在形小説のことは、翻訳家の藤井光が、どこかのウェブに書いていたのを読んだ記憶がある。しかし、これもいま検索したら、もう見つからなかった。

「最近、一人称現在形の語りの小説が多く書かれる傾向がある。それは作者の意図としては臨場感とテンポを出すためだろうが、現在形を使っているかぎり、ここにある切迫感のようなものは出てこない。主人公(私)は、銃と、いつもいつもこういう密着した関係を持っていたのだ。ここで四八ページに私が使った〝切断〟という言葉を思い出してもらいたい。一人称現在形の語りには〝切断〟がない。過去形にすることによって、「いつもいつもこうだった」という逃れられない雰囲気が生まれているのだ。」

「過去の出来事を書くにしても書いている本人の頭の中では現在としてそれが進行している。だから最近、一人称の現在形で書かれる小説が増えてきている。しかしそれはやっぱり小説ではない。小説というのは書いている本人の頭の中で現在として進行していることをさらにもう一度過去へと送り返すことによって起こる化学反応、というとわかりやすすぎるがとにかくそういう何か手続きとか媒介とかによって生まれてくる何かだ。ひとつわかりやすいのは、それによって書いている私と作品の中の私が切り離されるということだが、それだけではない。が、それ以上はいまは私もわかっていない。」

 と保坂和志は『小説の誕生』(2006)の中で書いている。しかし、これがぼくが現在形で書かれた小説が苦手な理由と関係があるかどうか。
 井戸川射子は「ここはとても速い川」という小説が、ぼくはその年に読んだ小説でいちばんよかった。そして、「この世の喜びよ」を読んでいて、二人称と現在形は好きじゃないが、しかし、やっぱりこれもよい小説だとはおもって読んでいる。

3月16日(土)
口閉じテープ、春の歌

 きのうウェルシアによったら、口閉じテープとか、鼻呼吸テープとか言うらしい、ともかく寝るときに口にはって、寝ているあいだ口をとじさせておくテープが売っていたので、買ってみた。
 家にかえって箱をあけると、不織布みたいな生地に糊がついた絆創膏のようなかたちのテープが二〇枚ぐらいはいっていた。それで、まあ、そんなものか、とおもいつつ、やっぱり八〇〇円は高いような気がする。似たようなテープなら医療用テープのコーナーに売っていそうだ。しかし、なんでも買ってみないとわからない。
 それで、きのうの夜はテープをして寝てみたのだが、けさ起きると、口の中が乾燥する感じがなく、いいな、とおもった。
 しかし、おなじようにテープを貼って寝たSは、よく眠れなかったということで、Sが最近ずっとやっているポケモンスリープ(?)というアプリの結果もよくなかったとこぼしていた。ぼくは口呼吸で寝ている日もあるし、鼻呼吸で寝ている日もあるのだが、Sはたいてい口呼吸で寝ている気がする。
 そのはなしを職場のIさんにすると、Iさんはずっと自分は鼻呼吸だとおもっていたのに、大きな口をあけて寝ているのをパートナーに動画に撮られてしまったのだと笑っていた。
 寝ているときのことはわからない。Sのポケモンスリープにも、ときどきぼくがうなされている声が録音されていることがある。だいたい悪夢を見るときは、翌朝も半分ぐらいはおぼえているつもりだが、まったくおぼえていない悪夢もあるようで、うなされていたといわれておどろくこともある。

 クルマの中でスポティファイがおすすめしてくる音楽を聞いていると、細野晴臣の「冬越え」のカバーがながれてきて、春らしい気分になった。きょうは天気もよく気温も一二度ぐらいまであがった。
 この曲がもともと収録されている『HOSONO HOUSE』には、なんとなくいまぐらいの季節のイメージがある。「冬越え」という曲も、冬越えなんだから、冬の曲とも考えられるが、「季節の変わり目さ」という歌詞もあるので、やっぱりこれは冬から春への歌なんだろう。
 そのひとつまえの曲「終わりの季節」も、やっぱり汽車でどこかへ旅だつという歌詞で春のイメージだ。しかし「薔薇と野獣」なんかは、歌詞には春らしいことはうたわれていないはずだけど、やっぱり春っぽいのは、ぼくが春にこのアルバムをよく聞いていたということか。
 細野晴臣は、たしか当時住んでいた狭山の自宅でこのアルバムを録音していて、その時期というのも二月から三月にかけてのことだった、というのをどこかで読んだ。
 どういうわけか自分の感覚として春とむすびついた歌というのがあって、たとえば金延幸子の『み空』なんかもそうだし、竹内まりやの最初のころのアルバムなんかは、どれも春っぽいなとおもう。「セプテンバー」なんか、セプテンバーと言ってるのに、どうも秋って感じがしないのだ。でも、このへんは四月から五月ぐらいの感じかな。
『HOSONO HOUSE』は、なん年かまえに、全曲をセルフカバーした『HOCHONO HOUSE』というアルバムがあって、発売された当時はピンとこなかったけど、最近は好きでときどき聞いている。


3月20日(水)
コンサート

 今日は水曜日。夜に上田映劇でキム・オキのコンサートがあり、OくんとSと三人で聞きにいった。
 キム・オキは韓国のサックス奏者で、まえからときどきスポティファイで聞いていたのだが、なんと上田にくるということになって、おどろいた。
 東京のWWWで公演をしたあとは、それぞれ映画館、庭園、能舞台、寺といったちょっとかわった会場で演奏するということで、その映画館が上田の映劇になったのだという。
 また上田公演はキム・オキのほかに、角銅真美の演奏もあり、ぼくは角銅真美もやっぱりときどき聞いていたので、ずっとたのしみにしていた。
 六時開演ということで、五時半ごろ会場にいくと、見知った顔がたくさんあった。劇場の入口でビールを飲みながら、Kさんが、やっぱりみんな来てますねえと言う。イラストレーターのくんは、N店のSNSでこの公演を知ってきてくれたといっていて、うれしい。先週スーパーであったときに客入りを心配していたYくんもきて、こんなに人がはいってよかったなあ、と言い、それにしても寒い、ジンソーダにしてもらったけどコーヒーにしとけばよかった、とふるえていた。Yくんはクルマがないので雪の中を自転車できたのだった。
 公演は最初に角銅真美バンドの演奏があり、つづいてキム・オキ・バンドの演奏があった。
 角銅真美とチェロ奏者の女性が最初にステージにあがって演奏がはじまった。一曲か二曲やったところでベースの男性もくわわって三人になった。MCで角銅真美が、前日まで二人でやるつもりだったのだが、ベースの男性が長野に蕎麦をたべにいきたいというので、いっしょに演奏してもらうことになりました、というようなことを言った。
 角銅真美はいくつか楽器をつかっていたが、その中にヘンなかたちの楽器があって、はじめて見る楽器だった。となりにいたOくんに、あれはなに? と聞くと、あれは電子ハープです。なんていったっけな、ララージなんかもつかってるんですけど……といって、スマホでしらべてくれて、なんとかという楽器の名前をおしえてくれた。
 Oくんは、やたらとマイナー音楽にくわしい二〇歳の予備校生で、ドローン、アンビエント、ニューエイジなんかは特にくわしく、また熱心な山下達郎ファンでもある。はじめてあったときはバシンスキーとかテリー・ライリーのはなしをしていて、話題がおじさんみたいなのですくなくとも三〇代だとおもったのだが、あとで知ったら予備校生だった。達郎のコンサートにも二回いったことがあるといい、一方で、ラ・モンテ・ヤングのブラックレコードの再発なんかもバシっと(高校生なのに)買っている。
 ぼくはもうそういうレコードを買う元気もないが、たしかに二〇歳ぐらいのころはおなじような音楽を聞いていたので、Oくんとはなしているとなつかしい気持になる。
 ぼくはわからないことがあると、Oくんにあれはなに? とか、あれはどうやってるの? とかたずねる。そうすると、だいたいちゃんとした答えがかえってくる。春から京大へいく秀才なのだ。
 角銅真美さんは左右ちがった色の靴下をはいていておしゃれだなとおもった。
 そのあとはキム・オキのバンドの演奏になった。サターン・バラッドという名前で、サックスとキーボードとベースの三人編成だった。
 まえからおもっていたことだが、キム・オキのサックスは哀愁とか激情という言葉がしっくりくる感じで、なんとなくいくつかの韓国映画をおもいだす。といっても、ぼくは韓国映画はあまり見てるわけではない。わずかに見ているホン・サンスなんかも、一見みょうにフラットな雰囲気なのに、とつぜん哀愁を感じさせるシーンがあったりする。やっぱりどこかエモーショナルなところがあるのだ。
 二曲めか三曲めに、どこかで聞いたことがある日本の曲を演奏していて、だれの曲だっけか、それにしてもディナーショウみたいな感じで、アリかナシかでいったらかぎりなくナシに近いような……なんて、おもっていたのだが、あとでSに聞いたら尾崎豊のアイ・ラブ・ユーだと教えてくれた。
 ぼくは日本の歌謡曲にはうといので尾崎豊もほとんど聞いたことがないのだが、アイ・ラブ・ユーは韓国でもポピュラーな歌だということで、なるほど……とおもった。
 オリヴィエ・アサイアスが撮ったホウ・シャオシェンのドキュメンタリー映画『HHH』には、カラオケでホウ・シャオシェン(この人も熱い男なのだ)が、長渕剛の乾杯を熱唱というか激唱するシーンがあって、コンサートがおわったあと、Sとあのアイ・ラブ・ユーはほとんどアレだよね、なんてはなしてもりあがった。
 どうもアジアのある種の国では、尾崎豊とか長渕剛といった、妙にあつくるしい激情的な表現がすっとはいっていく土壌があるようで、感情表現にとぼしい日本人にしたら濃すぎるそうした情感も、大陸にあってはすんなりうけいれられるものなのかもしれない。
 キム・オキ・バンドは六曲ぐらいやり、最後は角銅真美バンドの三人もくわわって六人での演奏になった。それで、この六人での演奏というのは、音楽がはじまって順番にソロパートみないなものをまわしていって、最後はキム・オキのサックスでおわる、そのあいだキーボードとベースはずっとチョロチョロやっているというものだったのだが、こういうのもぼくはいったいどうやったらその場でソロを演奏できるのかまったくわからない。
 しかし、ミュージシャンというのはそういうことができるらしく、となりにいたOくんに聞くと、最初にキーを決めてうんうんかんぬん、みたいなことを言っていたが、説明されてもまったくわからなかった。


3月23日(土)
小説『ハンチバック』、電子書籍について

 ところで、きのうちょっと書いた『ハンチバック』という小説だが、このタイトルは「せむし」という意味だ。いまは「せむし」という言いかたはよくないとされているが、むかしはつかわれていて『ノートルダムのせむし男』という映画もあった。いまは『ノートルダムの鐘』とか『ノートルダム・イン・パリ』というらしい。
『ハンチバック』というタイトルは主人公の女性が先天性の病気をかかえていて、背中、というか全身がまがっていることからで、じっさい、著者の市川沙央もおなじ病をわずらっている。
 そのせいもあってか、この本には、痛烈な紙の本批判があって、これがおもしろい。とてもおもしろいので、引用してしまうのもネタバレのようだが、ストーリーそのもというわけではなのでいいか。

「厚みが3、4センチはある本を両手で押さえて没頭する読書は、他のどんな行為よりも背骨に負荷をかける。私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気づかない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた。曲がっ首でかろうじて支える重い頭が頭痛を軋ませ、内臓を押し潰しながら屈曲した腰が前傾姿勢のせいで地球との綱引きに負けていく。紙の本を読むたびに私の背骨は少しずつ曲がっていくような気がする。」

「アメリカの大学ではADAに基づき、電子教科書が普及済みどころか、箱からリーダーを出して視覚障害者がすぐ使える仕様の端末でなければ配布物として採用されない。日本では社会に障害者はいないことになっているのでそんなアグレッシブな配慮はない。本に苦しむせむしの怪物の姿など日本の健常者は想像もしたことがないのだろう。こちらは紙の本を1冊読むたび少しずつ背骨が潰れていく気がするというのに、紙の匂いが好き、とかページをめくる感触が好き、などと宣い電子書籍を貶める健常者は呑気でいい。EテレのバリバラだったかハートネットTVだったか、よく出演されていたE原さんは読書バリアフリーを訴えてらしたけど、心臓を悪くして先日亡くなられてしまった。ヘルパーにページをめくってもらわないと読書できない紙の本の不便を彼女はせつせつと語っていた。紙の匂いが、ページをめくる感触が、左手の中で減っていく残ページの緊張感が、などと文化的な香りのする言い回しを燻らせていれば済む健常者は呑気でいい。出版界は健常者優位主義ですよ、と私はフォーラムに書き込んだ。軟弱を気取る文化系の皆さんが蛇蝎の如く憎むスポーツ界のほうが、よっぽどその一隅に障害者の活躍の場を用意しているじゃないですか。出版界が障害者に今までしてきたことと言えば、1975年に文芸作家の集まりが図書館の視覚障害者向けサービスに難癖を付けて潰した、「愛のテープは違法」事件ね、ああいうのばかりじゃないですか。あれでどれだけ盲人の読書環境が停滞したかわかってるんでしょうか。フランスなどではとっくにテキストデータの提供が義務付けられているのに……。」

 これらは主人公の釈華という女性の一人称で語られている。だから、べつに著者がこのように考えているかどうかはわからないが、おそらく、主人公とおなじ病をもっている著者はおなじように考えているのだろう。

 この小説の芥川賞受賞のタイミングで、版元でもある文藝春秋は文芸誌『文學界』の電子書籍出版をはじめた。いわゆる文芸五誌のなかでは『文藝』が数年まえから電子書籍出版をはじめていたが、これは誌面の画像データだけのもので、完全なテキストデータをふくむ電子書籍は『文學界』がはじめてだった。
 ぼくは、まえから文芸誌が電子書籍にならないかとおもっていたので、これはとてもよいなとおもった。
 電子書籍で本を読むようになって五年ぐらいになるが、最近は紙の本よりも電子書籍のほうが読みやすいと感じる。理由はかんたんで、文字組みを自分で設定できるからだ。
 たとえば、先の文芸誌にしても、ふつうA5判型の二段組みだが、とうぜんこれは一段組みにしてしまうとページ数が膨大になってしまうからで、ほんとうは一段組みのほうが読みやすいにきまっている。
 また、似たような理由で、あまり分厚くしたくはないが、一段組みにはどうしてもしたい、という考えから、行間が窮屈だったり、一行の文字数が多すぎて読みづらい本というのもある。(河出書房の世界文学全集の四五文字×二〇行というのはちょっと読みづらいのだ。それでも従来の二段組みよりはましだけど。)
 そういう問題も電子書籍ならまったく問題にならない。まず、なんページ(そもそもページというものがないのだが)になろうが、厚くも重くもならない。あとは、文字数や行間や余白などを端末側で設定すれば、自分のいちばん読みやすい文字組みで読むことができる。
 ぼくの場合は、端末はアマゾンキンドルで、フォントは筑紫明朝のサイズは5、余白は中、行間は狭いにしている。こうすると、文庫よりもひとまわり小さな画面一ページに、27文字の12行となり、文字サイズは見た目としては13Qぐらいになって、たいへん読みやすい。
 最近、中公文庫からでた小島信夫『私の作家評伝』は紙の本だと七〇〇ページもあるが、電子書籍版もいっしょにだしてくれたのがよかった。厚い本は持ちはこびづらいだけではなく、ページもめくりづらいので、こういうのも電子書籍がいい(わざとレンガみたいに厚くしておもしろがってる本もあるが、ぼくはきらい)。
 いまいちばん電子書籍にしてほしいのはミシェル・レリスの『幻のアフリカ』か。平凡社ライブラリー版(一〇七〇ページ)は読みづらいだけではなく、ノドが開いてしまいそうで、気が気ではない。

 ところで、はなしをもどすと『ハンチバック』にそういうことが書いてあるわけではない。ぼくは、引用か所を書き写していて、そのままのいきおいで、もう最近は紙の本よりも電子書籍のほうがいい、ということをおもいつくままに書いてしまった。しかし、この小説の主人公が感じる紙の本の不便さというのは、もっと切実なものだった。
 また、これもあたりまえだが、この小説の中で「紙の匂いが好き、とかページをめくる感触が好き、などと宣って」いる「本好き」とされている人たちも、しかし、じっさい「紙の匂いが好き」だったり「ページをめくる感触が好き」なのだから、ここでなんと言われようが、どうどうと「紙の匂いが好き」「ページをめくる感触が好き」と言っているべきだ、とぼくは考えていて、こんなのもやっぱりあたりまえのことなのだが、ここでののしられていることは健常者の想像力のことだろう。


3月24日(日)
自律神経との戦い

 ところで、きのうは朝から雪がふっていて、ひどい気持になったのだった。
 タル・ベーラ監督に『ニーチェの馬』という映画があって、たぶんハンガリーの荒野のまんなかの一軒家に住んでいる老いた農夫と娘が、冬の嵐のさなかで、どんどん衰弱していく、というようなはなしなのだが、ともかく絶望感というか虚無感しかない映画で、毎日ジャガイモを一個づつたべるというシーンはわすれられない。
 しかし、まさにきのうはそんな『ニーチェの馬』みたいな気分になり、ぼくは自分の自律神経が悲鳴をあげているのが聞こえるようだった。そして、もうやめてくれと庭にふりつもっていく雪をながめがらおもったのだった。
 今週は、月曜日から強風が吹き、晴れてはいたものの気持のわるい暖かさではじまった。それが翌日の火曜日はマイナス三度まで冷えこんで、水曜日は三月もおわりなのに雪がふった。かとおもえば、つぎの木曜日はまた晴れてちょっとあたたかく、金曜日はマイナス六度という真冬みたいな気温になり、そして、きのう土曜日は朝からまた雪。
 つまり、晴、晴、雪、晴、晴、雪、高気圧、低気圧、高気圧、低気圧。朝の気温も三度からマイナス六度までをいったりきたり。
 というわけで自律神経はかんぜんに失調して、自律神経失調症なんていう病気はない、とはいうものの、これはやっぱり病気なんじゃないか、とおもうぐらいに調子がわるい。それなのに、けさはどうしたことか、すっきり目がさめたのは、かえって体調がわるい証拠なのではないかと不安になった。
 午後はN店で仕事。そのあと夕食はかつやでカツ丼。
 しかし、まったく胃の調子はよくなく、むしろ機能性ディスペプシアの症状ははっきりあり、逆流性食道炎もおこしているかもしれないというのにカツ丼! というのは、いま日記を書いていておどろいた。自分でやったことだが、もう捨て鉢になっているとしかおもえない。
 まえに逆流性食道炎になったときは、医者からコーヒー、カレー、油ものはひかえろと言われて、ぼくはコーヒー、カレー、油ものは大好物なので、まったく無視した。なんのための健康なのかというはなしで、好きなものをたべてしあわせに生きるための健康なのに、健康のために好きなものをたべるなというのは、健康の目的が逆転している。
 だから、たとえば酒が大好きな人は健康にわるくても酒は飲んでいたらいいわけで、糖尿病のインシュリン注射を打ちながら毎晩飲んでいた田中小実昌なんかは、なんのための医療かということがよくわかっている。

 夜は読書、金井美恵子『カストロの尻』を読んでいる。
 きのうの日記とは矛盾するようだが(矛盾しないのだが)、新潮社からでているこの本の単行本は赤地に金色の文字という装丁がうつくしく、中公から文庫がでたばかりだというに、単行本で買ってしまった。単行本が二二〇〇円、文庫が一三二〇円と価格に大差がないのもあったが、文庫がでたので単行本はもう刷らないのではないかという不安があり、手元におきたくなったのだった。
 ところで、この本は奥付の前のページに使用紙銘柄の一覧が記載されているが、こういう記載はあまり見たことがない。しかし、本を一度でもつくったことがある人なら興味をひかれるんじゃないか。以下引用。

本文/オペラクリアマックス 四六Y 五七㎏
カバー/NTラシャ(濃赤)四六Y 一〇〇㎏
表紙/NTラシャ(赤)四六Y 一〇〇㎏
本扉/NTラシャ(無垢)四六Y 一〇〇㎏
見返し/NTラシャ(こうばい)四六Y 一〇〇㎏
帯/片アート 四六Y 一一〇㎏

とのこと。

3月28日(木)
白菜半分で三五〇円、あやしい探検隊

 夕方、いつものスーパーによったら白菜が半個で三五〇円もした。それも小さなしなびたような白菜で、ふだんの立派な白菜ではない。このまえの長雨で白菜が収穫できなかったんじゃないか、とぼくは考えたが、ほんとうのところはわからない。今夜は鍋にしようとおもっていたが、ばかばかしいのでやめた。
 風呂で椎名誠の『あやしい探検隊不思議島へ行く』を読む。椎名誠は去年はじめて読んで、それからときどき読んでいる。といっても読んだのはほんとうに初期のエッセイや旅行記だけで、おもしろいものもあるし、つまらないものもあったが、ともかく気軽に読めるのがいい。
 あやしい探検隊シリーズの三作目で、もうこのころになると取材旅行みたいな感じもあり、プライベートな「東ケト会」の活動を書いたまえの二作とはおもむきがちがう。しかし、これはこれでおもしろい。
 あやしい探検隊はぼくが小学生のころ、ということは九〇年前後ということになるけど、テレビシリーズもやっていて、ぼくはそのテーマソングだけはいまでもおぼえていた。
 〽︎いざゆけや仲間たち めざすはあの丘 という歌詞からはじまる曲で、しかし、ぼくはそれがあやしい探検隊のテレビシリーズの曲だとは知らずにメロディとなんとなくの歌詞だけが記憶にあった。
 それで最近になり、ユーチューブで偶然このテレビ番組の録画を見たのだが、なつかしい曲ながれてきて、あれはあやしい探検隊のテーマソングだったのか! と気づいておどろいたのだった。
 椎名誠は七七歳でコロナにかかるまで、毎日、腕立て伏せ一〇〇回とスクワット三〇〇回を日課にしていたという記事をどこかで読んだ。


篠原幸宏

1983年生まれ。長野県上田市出身。『締め切りの練習』を編集発行。旅行記『声はどこから』(2017)『ロンボク島通信』(2023)


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