記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

遠くの町から鐘の音が聞こえる

ダブリンの鐘つきカビ人間を観劇してきた。
観劇後の余韻が強い。あの奇妙な世界に放り込まれた感覚を持ったまま帰宅した。初日の夜の帰り道、有楽町駅のホームで聞いたサイレンの音がさらに心をざわつかせた。乱れた気持ちを整理したくて、noteに感想を記すことにした。

私が観劇したのは東京初日、7日ソワレ、東京楽日、の3回。
3回観ただけで記憶は確かじゃないのにあのとき覚えた感情は残り続けている。感情が日常に押し潰されて薄れていってしまう前に私が感じたことを文章で記録しておきたい。

以下、ネタバレを含みますのでご注意ください。






■カビ人間
まずカビ人間って何?という。とある町(ダブリンの森の奥に存在しているみたい)では奇病が流行り、町中の人間がへんてこな症状の「奇病」に悩まされながら暮らしていた。その奇病はあらゆる症状を引き起こすが、死に至るわけではない。かといって治るかどうかはわからないし、日常生活に大きな変化が起こってしまうものだった。その奇病の1つが体がカビに腐食されてしまい、カビ人間という生き物になってしまうというもの。体がカビだらけでも「死なない」奇病に罹った男がこの物語の主人公だ。町の人間全員からカビ人間と呼ばれている。本名は不明。どうやらカビ人間になる前の彼は美少年だったらしい。その美貌は不運にも毒となり、老若男女を騙し、人のもの(金品)を奪うという悪事を働いていたそうな。美しい容姿と醜い心を持っていた男が、ある頃から奇病に罹り世にも奇妙なカビ人間になってしまった。現在は悪事から遠ざかり慎ましく仕事に励み、カビだらけなのに生きているという矛盾した肉体と付き合いながら暮らしている。町の人々と同じような苦しみを抱えているのに、過去の悪事の影響で誰からも同情されず、見た目の汚らわしさも好まれず、町中から存在を疎まれている。とてつもなく可哀想な生き物、カビ人間。

ここまで書いてもう胸が苦しい。なぜなら私はカビ人間のことを憎めないからだ。舞台を観ていない者からすれば、悪人がカビ人間になって町でハブられているのは自業自得では?と思うかもしれない。しかし、カビ人間は容姿が醜くなってしまったことで心は美しくなった生き物なのだ。昔は容姿が美しく心が醜かったのに、容姿が醜くなったことで心の美しさを得たらしい。過去のろくでもない人間だった頃の記憶はほぼ忘れ去ってしまったようで、悪意のないカビ人間としての新しい人格が宿っている。カビ人間は孤独と不安を抱えながらも、仕事をしながらとても健気に生きているのだ。
家族や仲の良い友人のいない毎日ってどのくらい寂しいのだろう。体がカビだらけでおまけに嫌われて暮らすカビ人間の過酷さを思えば、生きることを諦めて死んでしまった方がいいのかもしれない、と嫌な考えが過ぎる。だがカビ人間は自分にしかできない仕事を持っていて、その仕事に存在意義を見出している。その仕事は町の人々にお昼を知らせるための鐘をつくこと。カビ人間がお昼の10分前に鳴らす鐘の音は毎日町に響き渡るのだった。
鐘をつきながらカビ人間は「この病気になってから手に入れたもの」について嬉しそうに歌う。世界から疎外されたカビ人間が町の内側に入る行為が、鐘をつく仕事。人の輪から外されて「外」にいる彼が人々の暮らしと同調し、中に入ることができるのは鐘をつく仕事のおかげで、それは孤独に生きるカビ人間の救済行為でもある。その姿を見たら嫌いになるなんてできない。彼の生き方を愛して、肯定したい。

主演のカビ人間を演じる七五三掛龍也さんが、カビ人間として「そのまま」存在していることで、一目見て感情移入してしまう。容姿の醜さよりも心の美しさを表現した芝居をしているのだ。可哀想なカビ人間の状況を感じさせないくらい無邪気でとびきり明るく演じていて、カビ人間の幸せを願わずにはいられなくなる。カビ人間はあの世界での唯一の光だった。観る側にとってカビ人間は善でしかなく、無罪の彼に向けられた町中の塩対応を見ていると心が苦しくなる。というか、今この文を書きながら涙が止まらない。つらい。
恵まれない環境で彼が見つけていく「喜び」と「幸せ」はかけがえのないものだ。与えられた仕事を全うすること、神の言葉を信じること、好きな人のために花を摘みプレゼントすること。カビ人間は日常の些細なことを丁寧に、前向きに受け止める。その心の美しさは本物で、どこまでも汚れがない。

七五三掛龍也が演じるカビ人間はとても無邪気な子どものようで、憎めない存在だった。心の美しさを見事に表現していた。というか、歌っている場面ではディズニープリンセスだった。カビ人間ということを忘れてしまう美しい声と弾ける笑顔。「しめちゃんにしかできないカビ人間」だった。歴代のカビ人間を観ておらず申し訳ないが、しめちゃんのカビ人間が愛され力No.1であると断言したい。あんなにかわいいカビちゃんと出会えるなんて、神様ありがとう。
初日に歌を聴いたとき、その歌声の素晴らしさに感動した。龍也の声だけれど、カビ人間が歌っている。感情の乗せ方がアイドルの時とまるっきり違っていた。上手く歌うということよりも感情を込めることに重点を置いていた。もちろん歌は上手い。ただ上手いだけじゃない。ミュージカルの歌声だった。また大きく成長して進化した七五三掛龍也さん、すごいよ。龍也の素晴らしい歌を、生で聴くことができた。これ以上の幸せってありますか?ありません。
初日は3階席後方で観劇して、セリフや音が聞き取りづらい場面がたくさんあって残念な思いもしたのだが、龍也のセリフと歌声は全部私の鼓膜に届いた。私の集中力も作用していたかもしれないが、間違いなく七五三掛龍也の発声は素晴らしいものだった。
鐘をつくカビちゃんの前向きさ、強さ、健気さ、優しさ、全部愛せる。愛してる。ねえダブリンから出て私と日本で暮らそう。日本の湿度はカビちゃんにも合うと思うよ。舞台上から連れ出したくなるほど、ひたすらカビちゃんへの愛が止まらない登場シーンだった。力強く全身で鐘をつくカビちゃんの動き、我が子が初めて歩いた時と同じ喜びが生まれる。ずっとそばで見守らせてほしい。
初日は足の引き摺り方が大袈裟というか、かなり痛々しい感じだった。7日夜に観たカビちゃんは初日に比べれば足取りは軽くて、活き活きしていた。カビ人間は生きているものに触ったら、それを腐らせて壊してしまうけれど、初日のカビちゃんはこちらが触れたらばらばらに崩れていなくなってしまうような、ギリギリで保たれている繊細さがあった。彼の笑顔が全部、これまでの孤独に蓋をした悲しみの上に作られたもののような危うさがあった。
7日は歌い方にもアレンジが加わっていたり、カビ人間がカビ人間の暮らしを楽しみつつ折り合いをつけながら仕事をしているような雰囲気に変わった。ファンからすればしめちゃんの成分がカビちゃんに含まれている!と感じる。しめちゃんの演じるカビ人間があの形で完成したのかな。
実際、「僕はこの状況を楽しむことにしたんだ」というセリフがあって、しっかりそれを体現していた。鐘をつくときの元気なカビちゃんの早口言葉(そこまで早口ではないが長いセリフ)に勢いがあって、最低の状況でも明るく生きているということを伝えてくれる。
友人のいないカビ人間はかぶっている帽子が唯一の友達という設定がある。その愛用しているハットを使った芸も披露してくれて、それが大変技術がいる技なのであるが、カビちゃんは帽子を床に落とすことなく器用にくるくると回して投げる。その姿はとても優雅で見惚れてしまった。インタビューで龍也は毎日帽子に触って1日50回くらい技を練習して会得したものだと教えてくれた。龍也…ッ!!!あなたのそういうところが何よりも尊くて大好きだよ…!七五三掛龍也のプロ意識の高さを感じられる瞬間が毎度幸せ。水木しげるは努力は裏切ると言っていたが(突然の水木しげる)、七五三掛龍也の努力は裏切りません。全て報われる。報われまくりのハッピー人生であれ。
ダークファンタジーの世界観に、見事なハット芸がスパイスとなっていた。カビちゃんがハットを回すと、その瞬間はダブリンの不穏な世界から外に連れ出してくれるような、魔法みたいだった。もし今後コンサートでハット芸を観たら、カビちゃんの面影に泣いちゃうだろうな〜なんて思うくらいに、カビちゃんの芸として定着していたのが印象的。

嫌われていることを自覚しているカビ人間だが、行動力があって誰とでも気楽に接していく姿は、愛おしかった。でもその行動力が、勇気と優しさが、カビちゃん自身の状況を追い込んでしまうことにもなって…涙が止まらねえ。最後の何があっても鐘をつこうという信念で、傷だらけで階段を這っていく姿には嗚咽。もうやめて。全部やめて、みんなで仲良く暮らしてよ。悪人はカビちゃんじゃない。こんなの絶対おかしいよ。
カビ人間の悲惨な最期は最初のシーンからは想像できない。何度観劇しても何度思い出しても納得できない。弱者を利用してマジョリティが得する世界なんて滅びてしまえ。町がカビちゃんの犠牲の上で保たれたことは、誰からも気にされず忘れられてしまうんだろう。ただ、鐘の音はずっと聞こえている。忘れたくても忘れられない、カビ人間の生きた証は残り続けた。もちろん私の耳にもダブリンの鐘の音が響き続けている。次の奇跡が起こる日まで。





■おさえちゃん
おそらく10〜20代の少女で、思ったことと反対の言葉しか話せないという奇病に罹っている。この反対の言葉しか言えない少女の言葉がカビ人間や町の人々を動かしていく。反対言葉が前半は小気味良くて笑う場面になっているのに後半はおさえの言葉が状況を悪化させ物語が残酷になっていく。おさえの苦しみを観客に共有させてくる戯曲、恐ろしかった。言葉は人を生かすし、ころすんだ。

おさえは奇病に罹っている人物の中で実は1番悩んでいるように見える。カビ人間や町の人々は奇病と上手く付き合って生きているように描かれているが、おさえだけは病気の症状にもがき苦しんでいる。彼女には父がいてフィアンセがいて生活も不自由がなさそうで幸せそうに見えているのだが、本当のことを伝えられない自分を受け入れられず、恵まれた環境にいながら孤独を感じているようだった。
おさえの孤独とカビ人間の孤独は全く違う種類のものだったかもしれない。ただ彼らを取り巻く状況の中では、2人の絆を深めるための特別な孤独だったように感じた。孤独の相性ってあるんだなあ。

カビ人間がおさえと一緒に歌う場面が何度もあるのだが、違う立場にいた2人の距離が徐々に縮まっていく。おさえから化け物を見るような視線を向けられ拒絶されていたカビ人間が、最後には受け入れられる。フィアンセはおさえの奇病に理解を示し反対言葉をなんとかしようと考えてくれたがそれは結果的に今の彼女を悩ませてしまっていた。だが、カビ人間は反対言葉を話すおさえをありのまま受け止めてくれていた。おさえの言葉を聞いて「考えるから待ってね」と伝えてから意味を読み解いていく。少しずつカビちゃんの心の美しさがおさえに伝わっていく場面は、心が温められた。この時間がずっと続けば良かった。お互いに触れられないけれども、心が通い合うって素敵なことなんだ。健気に暮らして希望を持ち始めた2人にどうして悲劇が待っているのか。

おさえの反対言葉は、最後に奇跡を罵倒して終わる。奇跡を起こすために叫んだ反対言葉が「クソ喰らえ」、言葉選びのセンスが良すぎて天才だと思った。奇跡なんてクソ喰らえ、って絶望する最悪の状況で、切実に奇跡を願い自分に刃を向けるヒロイン。悲しいにも程がある。
おさえが願った奇跡は町の平穏と、カビ人間と幸せになること。
カビ人間が何か特別な人助けをしたわけではない。ただ、真っ直ぐに生きていただけ。好きな人にプレゼントを贈るとか、困っている人には声をかけるとか、教会で献金するとか、みんなと同じ「人間らしい」普通の行動をしていただけ。カビ人間は「害」じゃない、悪人ではないと気付くことのできたおさえは、カビ人間に惹かれていく。心を開いたおさえは、カビ人間との幸せを最期に願うことになる。カビ人間と2人だけの幸せ、それは誰にも邪魔されない2人だけの世界。心を通わせた2人が手を触れ合い、抱きしめ合い、相手の目を見て歌う。不可能が可能になった、カビ人間に触れることができる世界は死後の世界。という解釈でよろしいか。誰にも何にも咎められないたった一つのその場所で、手を繋いで幸せになった2人を見届けて、カビ人間の物語は終わる。

おさえ役の伊藤六花さんのお芝居は真っ直ぐで、おさえの一生懸命さには好感が持てた。表情は戸惑っていることが多く、おさえが奇病と闘い続けていることが両手でぎゅっと握るスカートの皺から感じとることができた。とにかく必死で真面目に生きているのであろう少女おさえを、可憐に演じていた。後半のおさえは前半より苦しくて逃げ出したくなるような展開になってしまうのに、感謝や好意を強さに変換して現実に向き合う姿が勇ましかった。
歌声に迫力もあって、カビちゃんとのハーモニーが心地よくて幸せな気持ちにさせていただいた。「たったひとつだけ」と歌うあの曲は、劇中では鬼気迫る歌になっていたけれどもっと違う歌い方も聞いてみたくなった。ていうかおさえちゃんのほのぼのした日常シーンの尺がもっとあってもいい。おさえにソロ曲があってもいい。おさえのキャラソン求む。もっと長く聴きたくなる声だった。「地獄へ堕ちろ!」のタイトルで1曲欲しかった。




■聡と真奈美
森に迷い込んで、宿を探した先にあった一軒家に住む老人からカビ人間の話を聞かされる若者カップル。勝手に家に上がり込み、壁に飾ってあるものを触るというところで、2人の好奇心が窺える。カビ人間の物語にのめり込んでいく2人が、どんな状態の関係で旅行に来たのかが少しずつわかってくる。彼らを見ているともどかしくて切ない。
ずっといがみ合っていた2人は、カビ人間とおさえの対比になる部分があった。触れ合うことができるし、言葉も伝えたいことを伝えられる聡と真奈美。カビ人間とおさえの不可能を実現できる2人が、一体どんな結末を迎えるのか?最後の最後でこの2人の「生かされていた理由」が理解できたとき、奇妙で美しい戯曲をさらに好きになれる。

聡役のしーくんはお芝居の経験が少ないということを全く感じさせなかった。とても自然に聡を演じていた。歌う場面でもしっかり歌い上げていた。聡が真奈美に文句を言うセリフも本音を伝えるセリフも、しーくんらしさを感じて温かかった。
ラブミーテンダーをエルビスのコスプレ(コスプレではないのか?変身?)でしっとり歌い上げたしーくんに特別賞与を支給してもらいたい。あんな見せ場があるなんて予想してなかったよ。素敵なサプライズだったし聡も結局リアコ枠の男なんだ…と気付いてしまった。真奈美が文句を垂れながらも5年半付き合い続けてしまう理由を察した。あれは別れられない。

真奈美役の加藤梨里香さんはティザーのビジュアルと別人で、登場から衝撃的だった。空条徐倫がいる!と思い興奮してしまった。ギラギラに攻めた服装とヘアメイクで、恋人と旅行に来て勢いで森に入り迷ってしまった。それだけでも真奈美という女がどんな性格なのかを100%伝えてくれていた。そして歌も上手い。声がよく通る方で芯の強い歌声だった。ずっと強い面を見せ続けていた真奈美が、本音を聡に告白できたときは「もっと早くそれができていれば…」と思った。「素直に生きること」が未来のためにどれだけ大切か。2人の未来の幸せの可能性を思うと苦しい。




■戦士
背中に長い剣を2本背負いながら移動するのがデフォルトの若い戦士。おさえちゃんのフィアンセでもある。とてもかっこいいのに常に空回りしている人。前向きで真っ直ぐなのだが、その熱量が熱苦しい。奇跡の剣、ポーグマホーンを探して奮闘する。
おさえの反対言葉の症状を嘆き、彼女に質問や提案をする場面がある。「これは何色?」と質問されて反対の色を答えてしまうおさえに「黒を見たら白、白を見たら黒、と言う練習をすればいい」とアドバイスするのだ。彼なりの優しさが見える場面。
私はこのアドバイスをする戦士に個人的にがっかりしてしまった。マイノリティのハンデを、努力(無理を)してマジョリティに合わせろ、ってこと?という拡大解釈をしてしまったからだ。おさえに対してあれはすごく乱暴なアドバイスだと感じた。おさえの奇病への理解が足りていない気がする。健常者の無自覚な鈍さ、私はこの度勝手に傷付きました。おさえ自身は明るく「無理」と戦士に伝えていたので、私がこの件について勝手に悲しんでいるだけなんだが。戦士という地位のある男性が、フィアンセに対して「表面上」寄り添っているような、彼の愛情の薄さと浅さに辟易してしまった。その鈍さの自覚は戦士には皆無だからタチが悪い。(勝手に深読みして戦士の印象を悪くして申し訳ない。)
カビ人間がおさえに対して「向き合っていた」ことが、フィアンセである戦士の存在によってよりコントラストが強くなっていたと感じた。

戦士役の入野自由さんの活躍はある程度存じておりましたが、私の中ではトッティ(トド松)のイメージだったので実際舞台上でお芝居する姿はオモロかっこよかった。歌が上手い。いちいち歌が上手い。声優さんってすごいなあ。
森の中で歌う場面は圧巻の美声。ハァ〜!と高音で歌い上げて真奈美から「何歌ってんの」と突っ込まれる流れが毎回好きだった。
おさえを失った戦士はその後の人生をどうやって生きたんだろうと個人的に妄想が膨らむ。戦士としての情熱を失わずに生き延びられたのだろうか。守るものがいなくなった人は何と戦って生きていくのだろうか。





■神父
歌が上手いよ神父。神父にラブソングをっていうタイトルの映画?いやこれはダブリンの鐘つきカビ人間の舞台。
金にがめつい神父のようで町中に献金を勧める。教会へのその献金をネコババしている気配がある。神父という立場にいるだけで、聖人ではない中身は汚い大人。奇病に罹っていないのに「まとも」な判断はできず、自分の利益を追求している。自分の行いを罪だと認めることはなく、どことなくサイコパスの気質を感じる。高校時代の校歌を市長と歌う場面やら教会を放火する相談の場面やらで、やたら市長と仲が良い。ダブリンの最凶コンビ。

神父役のコング桑田さんは恰幅が良くて何でも受け止めて包み込んでくれそうな風貌。教会で町の人々と歌うシーンがかっこよかった。声力(こえぢから)つよつよで、迫力がすごかった。ただ、全然怖くなかったし威圧感もないし、なんだろう。母なる大地というか父なる大空というか。不思議な魅力があった。

神父はカビ人間が悪人だった頃もよく知っているらしく、おさえに「あいつはお前の父親に…」というセリフがある。カビ人間が現在、昔とは違う人格だということを認識している人間の1人ではある。だが理解者ではない。カビ人間を搾取して都合の良いように利用している側である。
神父は市長と愉快な歌を歌ったり、占い師の側面も見せる。占いで使う道具が、オモロ可愛くて良い。しかし、こいつは市長と企んでカビちゃんの冤罪を作り上げた1人だ。惨い。でも神父はほんとうの悪人ではないと信じたい。だってカビ人間に居場所を与えた事実があるから。
教会の鐘をつくよう、カビ人間に命じたのは神父のようだった。神様の言葉として、鐘つきを提案したのかもしれない。鐘をつく仕事をすれば報われると、カビちゃんに教えた人。カビ人間の過去の悪事を知っているから、彼の正体を恐れて手懐けているだけかもしれないが。金にがめついあの神父に思いやりや慈悲なんてないだろうが、カビちゃんに鐘をつく仕事を与えたことには感謝する。神父よありがとう。





■親衛隊長/馬(中村さん)
町の人々を仕切っている親衛隊長は、真面目で賢い中年男性。奇病に罹らないように手洗いうがいは勿論、手のアルコール除菌などをこまめに意識しながら生活しているようだ。コロナ禍で感染対策をしていた時期を思い出させてくれる人物。
隊長は正義感に溢れていて、顔色は悪いが清潔感があって好感が持てる。途中、おさえに恋をして彼女の好物をプレゼントするのだが、その後事故に遭ってしまったことをきっかけに奇病が発症してしまう。奇病発症後の隊長は、難しいことを早口で喋ったりしていて寧ろ元気そうに見える。ただ言っていることは支離滅裂だったり、幻覚や幻聴に悩まされている状態にも見えた。あの町の中で間違いなく彼が1番病人だった。

隊長役の小松利昌さんが緩急のあるお芝居をしてくださるので、人間の本音と建前を同時に表現すると混沌なんだ…と気持ち悪くなった。何を考えているのかわからない人って1番の恐怖だ。病気で別人のようになってしまう言動は生々しかった。隊長は結局「無敵の人」になってしまい、マイナスの方向へエネルギーが向かってしまう。最後のあの行動力が猛烈に最悪だった。
病人が武器を持って悪を制するという構図、町の人から見たらそう映っていたんだろうな。自分は「正義」だと信じて闘い、そして奇跡が起きた。町の人々の目線から見ればハッピーエンドになっていたんだ。失ったのは2人、悲しむのも2人、合わせてたったの4人。そんな少ない犠牲で済んだ、全てが解決した。そんな様子が現実的で、全く虚構じゃなかった。助からなかったわずかな命と助かった大勢の命、天秤にかけたくない。私が観ているのはフィクションのはずなのに、胸を抉られてつらかった。人々のマイノリティへの無関心が生々しくて虚しかった。

そして馬、通称中村さん。戦士の馬として、戦士と共に行動している馬の役も小松利昌さんが演じていた。初日に馬を見た時に(動物も奇病に!?)という衝撃を受けて反応できなかった。聡(ザリガニver.)との戦闘中のコミカルな動きに個性が爆発しており笑った。馬のアクスタが欲しい。





■天使
背中に羽が生えてしまう奇病に罹った青年。羽の印象から天使と呼ばれているようだが全然天使じゃないんだこいつは。天使なんかじゃない、ガチで。天ないって呼びたい。
彼は町の歌い手で、噂を広める役割を担っていた。後半でカビ人間に罪を被せようと企む市長と神父の悪事に加担している。それがまじで許せないのに、べらぼうに歌が上手い。いい声なんだ。歌声は天使。だが天使がやったことは最低最悪。

「みーたーぞーみーたーぞー」と歌い始める天使の場面は怒りと悲しみで震えながら泣いた。なぜそんなに簡単に人を陥れる行為ができるんだ。奇病に罹ると罪悪感が消滅してしまうのだろうか。人間って病気に罹ると弱っていくし、身近な当たり前のことに感謝を覚えるようになる気がするけれど、ダブリンの町の人々は奇病で狂ってしまったのかもしれない。税金もエグいみたいだし、政治が終わってる町で暮らしていると心って壊れていくのかもしれない。

天使役の竹内將人さんの歌の力があったから、燃える教会の場面がとてつもなく恐ろしかった。この場面はストレートプレイでも天使が歌うものなのか超気になる。カビ人間が火をつけたということを広めるために「歌う」のが怖い。正気じゃないよ。もう歌わないでって思うのに、歌声がもっと聴きたいとも思わせてくる。彼が天使役に選ばれた理由がわかる。あの歌声には魔力すら感じた。
天使が嘘を吐いて人々を信じ込ませてしまう罪も、嘘を信じてカビ人間を悪だと決めつけて暴走する町の人々も、どちらも愚かで人間らしかった。胡散臭い人物を崇めている人々やインターネットで気軽に誹謗中傷する人々に通ずるものを感じた。人間こわい。カビちゃんを人間たちから守ってあげられなくてごめん。




■老人/市長
まじで許せない。

声が良いところ以外、許さない。憎い。挽歌で松倉海斗が演じたキットのソロ曲(憎むを連呼するやつ)歌っちゃうくらい憎い。まあしかし彼の結末は「ざまあ!」なのが我々(カビちゃん愛護団体)への救い。
松尾貴史さんが演じる老人は、聡と真奈美が迷い込んだ場所にある1軒の家にいた。その老人がカビ人間に纏わるかつてその土地で起こった出来事を「愚かな過ち」として語っていくのだが、その声がとても良い。話し方も特徴があり不気味さが増す。ちょっと嫌な感じもする。そのとき覚えた違和感は間違いじゃなかったことを最後に思い知る。
あの部屋に飾ってあるものが伏線になっていて2度目の観劇で1つずつ見渡すと本当に恐ろしい。私にカビちゃんの帽子をください。

老人はかつてその土地の町で市長を務めていたという。人間の愚かさを煮詰めた市長は、貪欲に生きている。まず登場から感じが悪かった。めちゃくちゃ課税してる嫌な市長というアピールから始まり、市長という肩書きだけで己の欲望のためだけに生きている。突然「死の病」に罹ってしまい、どうにか生き延びたいと画策しカビ人間を利用して悪事を働く。権力を持ってはいけない人が権力を持ってしまった末路、最悪だ。次の選挙でどうにか落選してくれ。
不治の病、死ぬ病に罹ってしまった市長は、おさえの願った奇跡によって生き延び、今度は「死ねない」運命を授かる。因果応報、カビ人間よりもさらに地獄の孤独を味わわされているということが発覚し、物語が終わる。おまえだけは一生奇跡を起こせずに孤独でいればいい。奇跡から遠ざかれ。
市長として生きていた頃は自分の犯した過ちなんて全く気に留めることがなかっただろう。死ねない罰を背負ったことで己の愚かさに気付くことができたんだと思うと、長生きして良かったじゃん!と一瞬励ましたくもなるが全然同情できない。許せん。地獄に堕としたい。

死を恐れて長く生き続けることを夢見てしまう傍ら、市長の哀れな生き様を見ると、生き続けることの価値はやがて訪れる死によって変化するのだなと気付く。価値のある人生とは、死ぬまでにどれだけ幸せを見つけられたかだと思う。地位や権力や財産は追い求めずに、人生の終わりまでに楽しみや喜びをどれだけ見つけられたのかが大事なことなんじゃないか。欲を満たすだけの生き方は心が汚れていくように思う。カビちゃんの心の美しさの理由は欲望に振り回されていないところかも。
私はカビちゃんの死を美化したくない、と市長の結末を見て思った。何があってもカビちゃんの死を受け入れられないのは、市長が生きてしまったからかもしれない。だって無罪の人間が撃たれて死ぬなんて納得いかないよ。カビちゃんの死を受け入れられる方がすごいと思うよ。
カビ人間からただの微生物になってでも生き延びてほしかった。市長が生きていてカビちゃんのいない世界はどうしても解せない。どんな形でもカビちゃんが存在してくれるなら、同じ世界にいてくれたらいいのにと願ってしまう。でもこの願いも人間の愚かな部分を映し出しているのだろう。カビちゃんの幸せはカビちゃんが決めるのだから、私の願いも浅ましく愚かなのである。
松尾さんが市長を演じているから小綺麗でいけすかない中年男性だったし、語り口調の老人は不気味でずっと気味が悪くて見事だった。ナイスキャスティング。




■おさえの父ことジジイ
おさえの父、ジジイは目が不自由なうえに見た目が老化してしまう奇病に罹っているらしい。真っ白な顎髭を結ってアレンジしていてチャーミングだし、服装はややパンク寄りなのか原色と柄物で、実年齢が36歳だとしても大分若々しいコーディネート。お父さんらしくもなければ、年寄りらしくもない、見た目は奇抜なファンキージジイ。
カビ人間の悪人時代の友人だったらしく、カビちゃんのことを嫌っていない貴重な存在。カビ人間とジジイの関係は劇中で突っ込んだ描写はないので、観ている方が妄想を膨らませる一方になってしまうのだが、その余白がとても重要。その余白があるおかげで、結末の鬱レベルが最大限となってしまうのだ。ジジイへの感情移入でとんでもない虚無に襲われる。ジジイの失ったものが大きすぎて心配だ。ダブリンの世界では間違いなくジジイが1番つらい人生を送っている。

カビ人間がおさえちゃんを庇って裁かれた後、身体が傷だらけになったカビ人間とジジイが出会い2人きりで座って話す場面がある。この場面が私は大好き。カビちゃんが人と対等に話せる時間が存在しているのは、観ている側にとっても救い。無邪気にジジイに質問を投げていくカビ人間の問いに対し「嫌う理由がない」と返すジジイに1000000いいねしたい。カビちゃんを嫌う理由がない、真理。
どうして目が見えないの?というカビちゃんの疑問に対して「悪い奴に騙されて見えなくなってしまった」と答えるジジイ。「それ(悪い奴)ってぼくのこと?」と不安そうな表情で訊くカビちゃん。ジジイは「いやあ、もっともっと悪い奴だった」と否定する。ここのやりとり、めちゃくちゃつらい。
神父はおさえに「あいつはお前の父親に…」と言っていた。それって目が見えなくなった件ですか…?ねえ神父!!匂わせしないでほしかった!!!神父の言葉から推測してカビ人間がジジイの盲目の原因だったのだとしたら、ものすごくつらい。そしてほんとうのことを教えないジジイの思いやりもつらい。現在は覚えていないのに過去の自分の悪事を気にしながら生きていくカビちゃんもつらい。つらいつらいつらい。ビッグママ(福井晶一さん)助けて…。
目が見えない上に体は奇病で老化していて、大切な人を同時に2人失うなんて…。ジジイが一体何をしたというんだ。ジジイが背負うものが重すぎるよ。奇病っていうか呪いなの?呪詛師の仕業じゃない?
傷だらけのカビ人間にジジイは自分が着ていたコートを渡して、カビちゃんはそれを着て生活するようになる。泣くって。そんな優しさ見たら余計つらいんだって。ジジイよ、カビちゃんへの友情と愛情をありがとう。

ジジイ役の中村梅雀さんが目を閉じながらお芝居をしていた。見えないのに見えているようなお芝居を本当にやっておられた。教会のバンドシーンでベースを弾いている姿はまじでかっこよかった!
パンフレットを読むと、役を掘り下げるために何を考えたのか共有してくださっている。梅雀さんは「ジジイは教育者だったのではないか」という背景を想像しながら演じていたそうだ。その設定(仮)も腑に落ちる。カビちゃん、ジジイの教え子だったのかな…。何があってもカビちゃんを見放さないジジイの親心…か…。そう考えても最後のカビちゃんの体を抱き抱えて泣き喚くジジイがつらいよ…。また思い出して涙が漏れてきた。カビ人間が、物語の最後に死んでしまうことが私には悲しすぎるんだ。彼が死ぬ必要があったのか?と怒りが湧くほどの深い悲しみである。家族を失った時の喪失感と同じ悲しみに襲われている。
でもジジイが最後に悲しんでいるところを見て、カビちゃんが孤独じゃなかったんだと安心させてもらえた。この先のジジイの人生が幸多からんことを。





■町の人々
奇病にかかった町の人々は愉快なキャラクターばかり。膝を悪くした(奇病?)女性役の安田カナさん、巨大な眼が頭上から生えた(文字にするとグロテスクだが、デフォルメされて滑稽である)男性役の安福毅さん、腕が枝となり鳥たちの止まり木になってしまった女性役のEmaさん、電気が体に走っているのに感電死せず生きている男性役の工藤広夢さん、ウミガメのような甲羅が背中にくっついていて涙が流れまくってしまう女性役の半山ゆきのさん。全員歌が上手いしキャラクターの特性をとても丁寧に表現されていた。衣装も全部素敵で外国のサーカス団みたいだった。
私はウミガメちゃんがお気に入りで、みんなから遅れて動く姿が大変可愛らしかった。半山ゆきのさんのバニーちゃんを初日に見て一目惚れであった。
膝の悪い女性はおそらく奇病には罹っていないのだが、思い込みですっかり奇病仲間として暮らしていて面白かった。ああいう女性が世渡り上手なんだなあ。

天使の扇動でカビ人間を悪魔だと決めつける町の人々は、攻撃的で怖かった。悪魔っていう方が悪魔だよ、と反撃したくなる。町の人々のマジョリティな空間には人間の醜さがあった。自分の力で考えること、周りに洗脳されてしまわないこと、俯瞰して善悪を判断すること、生きていく上でこれからも気をつけていきたい。自分の感情と向き合うことは大切だけれど、負の感情を他人を傷付けるための材料にはしない。当然のことだが、改めて自戒した。





■中村大史さんの音楽
ミュージカル形式で披露されたダブリンの鐘つきカビ人間。この舞台の音楽を作り上げたのは、中村大史さん。私は中村大史さんの音楽に出会えたことを、このダブリンの舞台にものすごく感謝している。元々、無印良品の店内BGMを購入して家で聴いていた私は、ケルト音楽からしか得られない幸福について知っていた。まさか生演奏のケルト音楽に触れる機会に恵まれるとは、棚からぼたもち、冷凍庫の奥からハーゲンダッツ、みたいなラッキーだ。

ダブリンの幕開けは不穏な音楽<預言歌>から始まるので最初から不安に突き落としてくる。あの世界に連れ込まれる。何が始まるのだろう、という警戒心も芽生えるし、怖いもの見たさの好奇心も生まれる。あのこわい歌を歌いながら揺れている演者たちの揺れ方が、メトロノームのように真横に揺れるわけではなく、優雅なラジオ体操をしているかのような体で円を描く揺れ方をしていて、それがさらに気持ち悪い(褒めています)。観劇後にずっとこの預言歌が脳内再生される。この曲を聴いたらもれなく迷って出てこれない。でもずっと聴いていたい忘れたくない曲。

個人的に好みドンピシャだった曲はおそらく<悪魔を探せ!>という曲。町の人々が片脚をずっと地面に叩きつけて、カビ人間を襲撃しようと決起している場面で演奏されていた曲。ものすごく嫌な場面だがこの曲が大好きだった。ちゃんと全部聴きたい。
生演奏してくださっていた方々もダブリンの町に溶け込む衣装とメイクでキャラクター化されていて、舞台の世界観を一層楽しむことができた。中村さんは様々な楽器を演奏しながら現れて、弾きながら町の人々として存在していた。この物語に中村大史さんの音楽が馴染んでいることがとても素敵だった。

ラジオで流れた中村大史さんの声で歌われた<カビ人間のテーマ>、もっと聴きたいと思う良さだった。松尾さんの歌と雰囲気が違って別の曲かと思った。中村さんは声も素敵。
観劇後の帰り道にいつも悲しみに暮れるので、中村大史さんの音楽を聴きながら電車に乗って気持ちを支えてもらっていた。六月の花屋という曲をずっと聴いていた。枯れてしまった心に水をかけてもらえるような優しくて朗らかな音楽に出会えて、幸せである。無事に家に帰れたのは中村大史さんのおかげと言っても過言ではない。
中村大史さんの音楽があったからダブリンの背景や人物の描写が豊かになっていた。明るいけれど悲しい曲や、美しいけれど恐ろしい曲、登場人物の心情を映した曲、全部素晴らしかった。毎日聴きたい。中村大史さんの音楽をもっと聴きたいのでダブリンの鐘つきカビ人間のサントラが欲しいです。切実に。よろしくお願いします。





■ウォーリー木下さん
ダブリンの鐘つきカビ人間が、私が初めて触れたウォーリー木下さんの演出する舞台になった。実は数年前「粛々と運針」のチケットが当選してご縁があったのに諸事情で手放してしまったので、それからずっとウォーリーさんの関わる舞台が観たいという気持ちがあった。やっと観ることが叶ったことは幸せだし、しかも大好きな七五三掛龍也の主演舞台とは最高の形。私のささやかな夢を叶えてくださってありがとうございます。
ストレートプレイのダブリンを観ていないから、どのあたりにウォーリーさんの要素が濃く表れているのか全くわからない。ただ、この舞台をミュージカル化したことは大正解であったと確信している。音楽と戯曲をまとめあげてこんなに面白くて悲しくて美しい舞台をミュージカルという形で作ってくださってありがとうございます。何度でも観たくなる舞台だったし、観るたびに感動が増していく作品でした。人生で1番記憶に残るミュージカルでした。映像化も何卒よろしくお願いします…!





■七五三掛龍也の挨拶
初日と楽日には、カーテンコールで七五三掛龍也さんの言葉が聞けた。
初日には「この作品が愛されるように演じたい」という話をしていた。しめちゃんらしいポジティブな言葉が嬉しかった。それと「ダブリンのポーズを考えてきた」と発言して、ダブリンポーズを発表してくれた。会場全体を一体感で包み込むアイドル力…流石だね。
楽日には「演じる前には不安があった」という本音を少し話してくれた。
そうだよね、初めての主演舞台が「カビ人間」ってハードル高すぎるよね。自分にできるのか?というプレッシャーや今まで演じてこられた方々のように観客を満足させられるのか、という不安は当然あるものだろう。雑誌では「不安よりもワクワクが勝っている」とファンに発信してくれていたのでその龍也の言葉を信じて楽しみに舞台初日を待った。ブログで稽古についてあまり触れていなかったことで、私は勝手に(本気で真剣に向き合っている時期なんだ…)と思い込み、ドキドキしながら緊張していた。AGT前に振付を作っていたあの頃の感覚に似ていた。
まさか初日にあんなに完成度の高いカビ人間を観られるとは思っていなかった。もちろん期待に胸を膨らませていたが、期待を上回ってくれた。龍也はいつもいつもファンの期待以上のものを作り上げて素敵な作品を提供してくれるのだが、本当にそれが毎回新鮮で感動する。セリフを噛むこともなく、完璧に作品を届けようという龍也の本気と情熱は凄まじかった。物語の展開が悲しすぎて心がぺちゃんこになって観劇後は放心状態の初日ではあったが、それだけ作品に没入させてくれたのは七五三掛龍也のカビ人間が存在していたおかげだった。
私は七五三掛龍也がカビ人間を演じてくれて、カビ人間役に出会えて良かったと心底思っている。このお仕事を七五三掛龍也に繋げてくださった人、ありがとうございます。しめ担はもれなく感情が迷子になりながらも幸せを噛み締めています。
そして共演者の方も仰っていましたが、再演したいという望み、叶えてください。私も同じく再演希望者です。東京でまた再演してください!事務所の偉い人!お願いします!
セリフを全部覚えて涙が出なくなるまで観続けたい。カビちゃんにまた会いたい。ケルト音楽もいっぱい聴きたい。たくさんの人に観ていただいて愛されていく作品だと思う。是非「ダブリンの鐘つきカビ人間」再演をよろしくお願いします。


七五三掛龍也がカビ人間という役と出会えて、めいっぱい演じることができて、私はそれを観ることができて、とっても幸せです。2024年、龍也のおかげではちゃめちゃに楽しくて幸せです。
東京公演の1週間、あっという間でしたがお疲れ様でした。素晴らしいお芝居を、奇妙な世界への手招きを、ありがとう。

大阪公演もキャスト全員が舞台に立ち続け、大成功することを願っています。
どんどん愛されていくカビちゃんを思いながら、私は今日も鼻歌を歌いながら揺れている。



       るらら


    るらら 




       るー  
 
 

  るー




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?