いい話:実録「親族の死」①

【はじめに】

 二月に僕の父が亡くなり、いまなお進行形で様々な事務の処理やら対応やらに追われています。正直なところ、ごく身近な親族の死亡整理というのは僕にとって全く初めての経験なので、戸惑うことと苛立ちの連発です。
 とりあえず謎や不明が発生するたびにネットで検索して解決を図るわけですが、それらの情報もフローチャートに沿って一から十まで説明してくれているわけではありません。となると、どうしても「ネットで読んだのと違う!」みたいな状況も発生して、さらには「事前に調べていたがために余裕ぶってたら大失敗」なんてことにもなってしまいます。特に、法的な書類や申請なんてものは期日が決まってますから、「用意は完璧だから大丈夫」でギリギリまで引っ張ってミスがあったら目も当てられません。

 そういった諸々を鑑みて、「ごく近い親戚が死ぬとこうなります」という一連の流れを、順を追って書いていってみようと思い立ちました。当たり前のことですが、みなさんの親戚もいつかは亡くなります。そのときに、今回のテクストがなにかの助けとなれば幸いです。(もちろん、各々の家庭において条件は様々ですので、それこそ「島津が書いてたのと違う!」なんてことにもなるかも知れませんが……)

 最後になりますが、以下に記述された全ての出来事は僕たち家族の判断に基づいて遂行されたものです。それらは全て僕たち家族が互いの合意と自己責任の元で下した判断です。批判されたり謝罪を要求されたりしても対応は致しかねます。ご了承下さい。

【一】

 二月中旬の火曜日に入院した僕の父は、その週の土曜の未明に亡くなりました。満六十九歳。

 入院を知らされたときには「土曜日あたり見舞いに行かなきゃな」と考えていたのですが、その土曜のまだ日が昇る前に危篤の連絡があったのです。母とともに慌てて病院に行った僕たちを待っていたのは、意識不明のままベッドに横たわる父の姿でした。

 話は前後しますが、父の入院に際して「延命措置に関する確認」的な書類が渡されていました。要するに「蘇生処置・延命措置はどの程度やりますか?」という確認と承諾の書類です。それなりに細かく条件が書かれてはいたのですが、僕と母は「なにもしない」という解答を提出しました。これは、かつて祖母が危篤になったときに、延命のために山ほどチューブを差し込んで、骨をばきばきいわせて心臓マッサージをして……という痛々しいシーンを観ていた、という部分が大きいです。(この辺りの判断はとてもデリケートでセンシティブな感覚が関わってくると思いますので、飽くまで「僕たちはこうした」に過ぎません。他の誰がどういう判断を下したとしても、それはその家族の問題であり、僕たちに関しては僕たち家族の問題です)

 さて、父は意識不明のまま身体機能がどんどん低下している状況だったのですが、ここで当直医から「蘇生と延命はどうしますか?」という質問が。
 それはすでに書面で提出しましたと言ったのですが、担当医と当直医で連絡系統が違うために、その医師はなにも知らないとのこと。仕方なく「あれしません・これしません」をもう一度解答することに。現実に目の前に意識不明の父がいる状況なので、非常に辛かったです。

 そんな意識不明の状態でも、小康状態に戻る可能性があるらしく、「家族のかたは名前を呼んで下さい」と言われました。そこからひたすら僕と母とで父を呼ぶ作業です。これも辛かった。

 結局、僕たちが到着してから一時間ほどして父は息を引き取りました。肺を病んでいたからか、最期は一気に喀血したのでとても驚きました。
 医師による死亡の確認がされたあとは、一気に撤収作業です。病室に持ち込まれていた父の荷物やらなにやらを回収しなければいけません。そんなことまで思考が回っていなかったので、回収して持ち帰るためのバッグ類などあろうはずもなく、それなりに量のある荷物を幾つものコンビニ袋に詰めて持ち運ぶ羽目になりました。
 ※足掛け五日間の入院でもそれなりに大荷物だったので、もし長期入院にでもなれば家族総出で持ち帰らねばならない量になると思います。「危篤」の報を受けて病院に向かわれる際は大きめのバッグを持って行くべきです。

 それから三十分ほどかけて遺体の清拭をしてもらいました。しかるのちに僕たちは遺体とともに霊安室へ。地下の霊安室は独特の臭気で満たされていて、ぐっと気分が重くなります。
 霊安室にて遺体の引き取りに来る葬儀屋を待つわけですが、このときに「最後のお別れをして下さい」と言われます。そう言われたところで、死に顔を確認する程度のことしかすることなんてないですし、それよりむしろ、これからどうなるんだろうという緊張感で、落ち着いて「お別れ」どころじゃありません。
 時刻はといえば、明け方四時ころに呼び出されたので、このときは朝の七時くらいです。眠気で意識は朦朧としているのに、思考は緊張でバリ三。だからと言って霊安室でなにが出来ようはずもなく、手持ち無沙汰極まりない状況でした。ただただ緊張と焦りばかりが募ります。

 葬儀屋の到着はそれから一時間ほど経ってからのことでした。もちろん、ごく早い時間帯ですので、彼らにして貰えるのは遺体の引き取りのみです。そこで、昼になってから改めて葬儀屋へ赴き、葬式から火葬に至るまでの取り決めを行うという進行になりました。
 こうしてようやく僕たちは帰宅することが出来たのです。とは言え、家に戻ったところでやはり眼が冴えてしまって寝ることなんて出来ません。(時間も中途半端ですし)
 仕方なく役所の手続きなど、「これから僕は何をどうすればいいの?」という部分をネットで調べたりし始めました。ですが、寝不足で朦朧としているうえに専門用語が多すぎて全く頭に入ってきません。結局、友人たちに遊びの予定をキャンセルする連絡を入れたりして過ごしました。

 昼になり時間が来たので葬儀屋へと向かいます。
 ここですることは、死亡届の記入と葬式・火葬の取り決めです。

 そして最初のトラブル。

 死亡届に故人の本籍地を記入しなければいけないのですが、さすがに番地までは憶えていません。ですが、これは役所に提出するガチな書類なので、穴があっては駄目なものです。仕方なく家まで往復して書く羽目になりました。なぜ事前に「死亡届記入のために、故人のプロフィールが一式必要です」のアナウンスがないのだろうか。普通の人は本籍地の番地まで憶えているものなの?
 補足すると、この死亡届が受理されていないと火葬は出来ませんし、埋葬許可証も貰えません。なので、早急に書く必要があるものです。

 次に葬式ですが、お通夜も含めてこれは執り行いませんでした。我が家は極端に親類縁者が少ないとか、父もすでに仕事は引退していたとか理由は色々ありますが、僕にも母にも負担(費用と労力)が大きすぎるというのが一番の理由です。
 葬式をしないとなると、そのぶん火葬が早く行える……はずだったのですが、日曜と友引が続いているので、中二日空けないと火葬が出来ないとのこと。(標準的な火葬場は友引の日は休業)
 このとき葬儀屋の職員は「市内各所の火葬場の予約状況一覧」的なものを手元に広げていたのですが、それを覗き込むと友引の日でも空いている火葬場があるではありませんか。
「(なんで空いているのに勧めないんだ?)……予約出来るのって最短でも火曜なんですか?」
「そうなりますね」
「その予定表の、月曜日のその時間帯に○が付いてるのって空いてるんじゃないんですか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
「……」
 たぶん遺体の保管料とかドライアイス代とか色々あるのでしょう。
「じゃあ月曜のそこで予約とって下さい」

 そしてようやく父の火葬が決まったのです。

 ※今回の注意点
 危篤の報が入ったら、入院時の荷物類を持って帰るバッグを用意しておく。(最初から病室に置いておくのがいいのも)
 蘇生や延命に関しての承諾書はきちんと当直医にも伝えてもらうように頼む。
 霊安室では余裕で一時間は待つので、時間を無駄にしたくなければ何か対策を。
 葬儀屋に行くときには故人の本籍地をきっちり把握しておく。
 火葬の予約を葬儀屋任せにしない。

【続く】

 全何回になるかまるで分かりません。なんせまだ手続き関連は八割がた残っていますから……

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?