飲み会、合コン、出会い。
暇なかたは読んで下さい。
ただの飲み会のつもりで参加した合コンが、一口では説明し難いほどに面白い人間関係へと発展したという話し。個人的になかなか得難い体験が出来たので書き残すことにする。
そもそものいい出しっぺはとある編集者(A記者とする)だったそうだ。彼は『普通に生活しているとまるで異性との出会いがない。だから自力でどうにかしよう』というDIY精神のもと、自分と同じく異性との出会いを渇望する某ブロガー(ブロガー氏とする)に合コンの話しを持ちかけた。
ブロガー氏は成人向けコンテンツを紹介するブログを運営する人物である。彼ら二人はとあるヲタ系ムックの制作に関わったことをきっかけに交流が始まったそうだ。要するにちょっと年齢のいったヲタ仲間ということである。
合コンの開催にいたく心を動かされたブロガー氏はメンツ集めに奔走した。仕事柄エロ作家に知り合いが多い彼は『作家』という肩書は合コン時には多少なりともフックになると目論んだのだろう。独身のエロ作家にかたっぱしから声をかけたのだ。
『合コンするけど来ませんか?』
結果として全員に断られた。これは僕の私感だが、エロ作家には人間関係を面倒くさがる人種が相当数存在する。異性に気をつかわねばならぬ合コンなど、面倒の極みとしか感じないはずだ。ブロガー氏にもその辺りの感覚は備わっていたらしく、彼は戦法を変えた。『飲み会やるから来ませんか?』と。
それに釣り上げられて、僕はA記者主催の合コンへ参加することとなった。
開催地はお約束の秋葉原である。
交通の便がよくて、オタク寄りの人間ならばある程度以上の土地勘がある。ユーザビリティの高い土地なのだ。
山手線の線路より西側はオタク街だけれど、東側には案外多種多様な飲食店が揃っている。僕たちが入ったのはそんななかの一つ、欧風創作料理の店だった。参加者の半分は女性であるゆえ、まずまず順当な選択だろう。
飲み会――否、合コンは十七時に始まった。三時間ほど飲み食いして、カラオケにいくなりバラけて飲みに行くなりすることを見越した時間設定なのだと思う。
参加者の内わけは――
A記者(男性。四十八歳。編集者)
ブロガー氏(男性。四十六歳。成人向けブログ運営)
V氏(男性。二十九歳。Vチューバーのデザイナー)
同人嬢(女性。四十七歳。ナマモノ系同人作家)
メイト嬢(女性。四十四歳。超有名オタクショップ店員)
ウェブ嬢(女性。三十歳。Webコミックデザイナー)
ライター嬢(女性。四十歳。Webライター)
そして僕である。
このなかで僕が交流を持っていた人物はブロガー氏のみである。
ここがとても重要なのだけれど、僕はこの合コンに『島津六』としてではなく、別PNでやっているアダルトゲームのシナリオライターとして参加していた。要するに、ブロガー氏が連絡をとったのは『島津六』でなく『某シナリオライター(中身は島津六)』だった――という意味だ。
これはつまり、島津六という人物は参加者からはまったく認識されていないということである。ゆえに、僕が件の合コンでのあれこれを暴露したとしても誰からも咎められることはない。もちろん、僕の文章をヒントにして参加者がどこの誰だったのかを探り当てることも不可能である。
まずは定番の自己紹介から始まった(このときようやく僕はこの飲み会が合コンだったと気付いた)。やはりというか、女性陣の食いつきが良かったのはV氏である。彼は、そこそこ人気のあるVチューバーのアバターをデザインしているそうだ。僕はいっさい関心がないので知らないけれど、その界隈のひとならばちょくちょく目にするキャラクターであるとのことだった。
彼は「こんなのを描いてます」と、自分の作品をタブレット端末で皆に披露して参加者のイイネをかっさらっていた。V氏は今回のメンツの中では最年少で、身なりは清潔でハゲてもいなければデブでもない。つまり男性陣のなかでは唯一のアタリだったのである。
恐らく全員の自己紹介が終わるまえに女性陣のなかでは如何にV氏をゲットするかという流れになっていたはずだ。僕はそもそも合コンを意識して参加したわけではなかったので、一歩引いた視点でそんな風に場を読んでいた。しかし、発起人であるA記者は空気を読むどころではない。そもそも彼の嫁探しがこの会合の出発点であり着地点なのだ。普段のA記者がどういう装いをしているのかは知らないけれど、この夜の彼は腕にはロレックスで足元はバレンシアガだった。A記者がどれだけ気合を入れて臨んでいるのかが分かろうというものである。
当然ながら、A氏のターゲットはウェブ嬢である。
ウェブ嬢は黒のドレスシャツに黒のロンスカを合わせていて、髪は真っ黒のショートという、モードっぽくもありゴサー的でもある装いだった。顔立ちはやや地味な猫顔で、失礼を承知でいうなれば『非モテ男がこの女なら落とせそうだと勘違いしてしまうタイプ』の女性でもあったのだ。
A記者が盛んに、自分の仕事とウェブ嬢の仕事にどれほど類似点があって、自分ならばどれだけアドバイスが出来るかを語る。すると彼女はそれに対して律儀に「そうなんですか」「是非お願いします」などと返事をする。そんな振る舞いも中高年を勘違いさせてつけ上がらせそうなこと夥しい。
そして悲惨なことにブロガー氏もまたウェブ嬢にご執心だったのだ。身を乗り出してアピールをかますA記者にまったく気付いていない様子で延々と自分のことをしゃべっている。彼もまた気合は充分らしく、ジャケットはマルジェラだ。例のしつけ糸を初めてナマで見た。しかし、僕にはオッサン二人がひたすら空回りしているようにしか思えなかった。
一方、メイト嬢とライター嬢もまた二人してV氏へさかんにアピールをかましていた。当然とはいえ、あぶれている僕には目もくれない。
そうなると、必然的に僕と同人嬢のカップリングが出来上がってしまうのである。僕はわりと沈黙を怖がるタイプの人間だ。さらに、飲みの席で自分に話し相手がいないことを苦痛に感じるタイプでもある。そういった理由もあって僕は同人嬢と語らう道を選んだ。
彼女はとりたてて美人でもなければブスでもなく、デブだったり長身だったりもしない女性だった。年相応に平均的な容姿である。けれど、即売会などで人前に出ることが多いからだろうか、身なりはきちっと小奇麗にまとまっていた。語らうといっても、下手に盛り上がってしまっては後が怖いし面倒である。僕はただ間を持たせるためだけに同人嬢に話題を振ることにした。
ナマモノ系というと、昔はダウンタウンやB‘zやTMネットワークやアクセスなんかが多かったですよね――今はどういうカップリングが人気なんですか――やっぱり明星は愛読書でしたか――ファンロードとぱふ、どっちがメインでした――などと、僕がぎりぎりで話を合わせられるラインの内容でお茶を濁す。ヲタでもなければサブカル族でもない僕としてはかなり頑張ったと思う。
その甲斐もあってか、同人嬢も思い出語り的に当時のヲタトークをしてくれて、なかなか興味深い話を聞くことが出来た。彼女とて年下の非業界人にヲタ語りをする機会なんてそうそうないはずである。それなりに溜飲を下げていたはずだ。
だから、店を出て『V氏を囲んで二次会』という話になったときに、同人嬢がさっさとそちらに移ってしまったことにはいささか驚いた。正確には少しばかり唖然とした。とはいえ、自分が同人嬢の立場だったらまず間違いなく同じ行動をとっただろう。僕とV氏ではスペックもポテンシャルも違いすぎる。これは合コンなのだ。より上位の獲物を狙うのは当然のことである。
そんなわけで、僕は一次会のみで帰ることにした。ブロガー氏への義理は果たしたし、自分が求められているわけでもないのに、よく知らない若いクリエイターを囲む輪に入る意味はない。本音をいってしまえば、自分より若く将来有望なクリエイターをちやほやしてやろうなどとは毛筋ほども思わない。同業者ならともかく、こちらとはかすりもしない他業者であることだし、僕のこの狭量は許されるだろう。
新作が出たらブロガー氏には連絡するけれど、他の人たちとはもう一生縁がないに違いない。
帰りの銀座線(僕は秋葉原から末広町まで歩く種族である)に揺られながらそんなことを考えた。明日の朝になって酒が抜けたころには、恐らく彼ら彼女らの顔すら忘れているに違いない。
そう思っていたのだけれど――。
『この前の飲み会ではぜんぜん話せませんでしたね。月末のどこかでゆっくり飲みませんか』
こんなメールが届いてしまったのだ。
合コン開催から三日後の火曜日。
送り主はライター嬢である。
挨拶のおりに僕が渡したシナリオライターのほうの名刺を伝手に送られてきたのだ。
すでにおぼろげになりつつある記憶をほじくり返す。
たしか、黒髪に金のメッシュを入れたツインテールの女性だった。ずっとニットキャップをかぶっていたのを覚えている。年齢を考えるとまあまあ派手なビジュアルではあった。けれど、取材であちこちへ出入りする職種であるからして、見た目からアッパー系で攻める必要があるのだろう。
なんにしても女性からのお誘いだ。
「金土日だと助かりますが、平日でも大丈夫です」
と、即レスしそうになって、はたと気付いた。
「これって勧誘じゃねーか?」
かつての友人やクラスメイトからひさびさに連絡がきたかと思えば、商材の売り込みだったりセミナーに誘われたりネズミだったり新興宗教だったり――というあれだ。まず間違いない。しかし、警鐘を発する理性とは別に僕の感情は「会って飲むだけならいいんじゃないか」と囁いていた。とりあえずネットで検索をかける。『勧誘_断り方』『勧誘_逃げ方』。
幾つかの対策方法を入手した僕はあらためてライター嬢に返信をした。
「三月三十日以降の土日でしたらいつでもOKです!」
そして本当に、ライター嬢と会ってしまった。
待ち合わせ場所は六本木駅である。彼女の顔をすぐに思い出せるだろうかという心配があったのだが、金メッシュにツインテールという特徴はやはりインパクトが強い。ひと目でライター嬢だと分かった。この日の彼女は黒の皮ジャンに大き目のベレーを合わせていた。
挨拶を交わし、駅からほど近い場所にあるスペイン料理の店へと向かう。
事前に会話のシミュレートをしてはみたものの、彼女がヲタ界隈の人間なのかサブカル者なのか一般人なのかがそもそも分からない。A記者はヲタ向けの雑誌を作っていたらしいけれど、その繋がりなのかどうかを僕は知らないのだ。とはいえ四十歳という彼女の年齢を鑑みるに、最大公約数的にセーラームーン/スラダン/幽白/エヴァのどれかは必ず通っているはずだ。仮にそちらの話題が通じなかったとしても、読書遍歴や青春時代の音楽や映画といった話題ならば、それなりに掘り下げられはずである。さほど話題の接ぎ穂に困ることはあるまい。あとは、飲酒はごく控え目にして思考をクリアにしておけば、大きな失敗はなかろう。そんな思惑があった。
結果として、そんな思惑は烏有に帰した。実際に話題となったのはほぼ彼女の仕事の愚痴だったのだ。
曰く――。
ライターとしての仕事よりも編集やら校正の仕事のほうが多い。
どこそこのフリーライターは体験レポートと日常エッセイの区別がついていない。
誰それというイラストレーターにリテイクを出しても、まるで修正されずに戻ってくる。
新進の作家に書かせたところ誤脱の嵐で、その修正に自分が駆り出される羽目になった。
原稿料の入金忘れは当り前で、ひどい会社になると逆ギレされる。
などといった、出版業界ではよく聞く話である。
愚痴を聞かされるというのは本来かったるいものではあるけれど、リアルな裏情報だと思って聞けば、それなりに面白い。そんなわけで、まったく退屈することなく二時間ほどの会食を過ごすことができた。ずっとしゃべっていたライター嬢もそれは同じだろう。もしかすると、会話のネタを提供するためにずっとしゃべっていてくれたのかもしれない。
次の店に流れるということもなく、その夜は腹を満たして終わりだった。
「そういえば、まったく勧誘の気配はなかったな」
もしかすると、酒が入ってこちらが油断するタイミングを狙っているのかも知れない。僕は一杯しか飲まなかったので、計算が外れたとも考えられる。あまり懐疑的になるのも嫌だけれど、用心しておくに越したことはなかろう。裏を読めば、あの合コンに参加した男性全員を個別に誘っている可能性だってあるのだ。
「まあ、それならそれでいいか。いまのところ実害はないし。もし本当に勧誘系だとしたら、こっちが食いつかなければ向こうで勝手にフェードアウトするだろう」
そんな風に考えていた。事実、翌日になってお互いに『昨日はどうも』的なメールのやりとりをして以来、彼女からの連絡は途絶えた。
そして四月の半ば。例のV氏がトんだという情報をSNSで見た。VチューバーのCDアルバムのジャケットを作っている途中で、連絡がつかなくなったのだそうだ。Xのトレンドにこそならなかったものの、まとめサイトには取り上げられていた。界隈的にはちょっとした事件だったと思われる。
今後一生顔を合わせることはないだろうと思っていた人物とはいえ、顔見知りがそうした事態に嵌まるというのはなかなかどうして感慨深い。ブロガー氏にことの顛末を詳しく訊いてみようと思い、メーラーを開いた。すると――。
『このまえは楽しかったです。またどこかで食事かお酒でもいかがでしょうか』
「嘘だろおい」
ライター嬢からのメールだった。連絡がきたことにも驚いたのだけれどV氏の件もあったため、そちらのシンクロニシティにも驚いた。そして戸惑いもまた大きかった。自分のどこにライター嬢的なフックがあったのか分からない。けれど、悪くない気分だった。
『落ち着いて話せるお店にしませんか』
ライター嬢からのそんな提案のもと、二回目の会合は赤坂のバーで交わされる運びとなった。話題に関しては前回使わなかったネタをそのまま持ち越せばいい。基本的に女性とはなにを話せばいいのか分からない僕のような人間には『話題』が一番のネックなのだ。
その晩はバーの入るビルのロビーで待ち合わせた。GW直前の金曜日のことである。
時間通りに現れた彼女はコーチジャケットにバケットハットを合わせていた。ツインテールが伸びる耳元にヴィヴィアンのピアスが見える。
「それってパンク経由のご趣味ですか?」
「実は漫画の影響なんです」
「というと、NANAかアイシャ・コーダンテですね」
「当たりです。NANAです」
そんな会話をしながらバーに入った。どうやら彼女のいきつけの店であるようで、やけに魚じみた顔立ちのマスターはライター嬢にそれらしく会釈をした。客は僕たちだけだったが、こちらに気を遣うでもなく、淡々と氷を削ったりしている。そうしてくれたほうが気楽ではあるし、自分たちの会話にも集中が出来る。
僕はあるていど酒が入ると眠くなってしまう人間である。なるべく弱い酒をちびちびと飲むことにした。逆に彼女はこちらが不安になるペースでぱかぱかと杯を空けていく。そのせいで僕もいささか酒量を過ごしたきらいがある。少しずつ自分の話し声が遠くなっていく感覚があった。
しかしやはりライター嬢のほうが酒の回りは早かった。最初は均等な会話のキャッチボールが出来ていたものの、いつの間にか一方的な愚痴の話しへと変化していた。普通に考えれば苦笑いするだけなのだけれど、女性が一本独鈷でやっていくのが如何に大変なのかを痛感させられた。そのせいか、バーで男女が二人という状況でありながら、僕はまったくムーディな空気を感じなかった。そもそも、そういうノリへと突入する以前にライター嬢はぐにゃぐにゃとテーブルに突っ伏してしまったのだ。完全にツブれている。
マズいと思うよりも面倒だと感じた。
ライター嬢を置いて帰るわけにはいかない。かといって彼女の自宅を知らないのでタクシーで送り届けるのは不可能だ。なにより、僕自身それなりに酔っている。あれこれと対策を練るほど頭が回らないのだ。すると、カウンターの向こうで魚顔のマスターが小さく僕に頷いてみせた。
「え、あの、いったい……」
意味を問うよりさきに、彼は店の外へと出て行ってしまった。もしかすると酔い止めの薬だとかタクシーを捕まえにいくだとか、バーの店員ならではの解決策を持っているのかも知れない。しかたなく僕は酔夢へと旅立ったライター嬢をまえにマスターの帰還を待つことにした。携帯している文庫本を取り出す。
「……本人がこうして酔いツブれてるわけだし、本を読んでても構わないよな。失礼には当たるまい」
ところが、いざ本を開くと酒が入っているせいで活字に集中出来ない。そうこうするうちにトイレに行きたくなってしまった。店内を見回すと、出入り口とは別にそれらしき扉がある。迷わず開いた。
「なんだ。クローゼットか」
扉の内側には、適当に丸められた衣服と、なにかが詰め込まれたポリ袋が転がっていた。マスターの着替えなのだろうか。もしかするとほかに従業員がいて、彼ら彼女らのものなのかも知れない。だとしても、いささか乱暴に扱いすぎであるように見えた。スウェットだのスラックスだのジャケットだのシャツだのが、ハンガーにかけられもせず無造作に投げ出されている。それも、ぱっと見でも分かるほどに生地も仕立てもよい衣料品ばかりなのだ。ジャケットの背中に施された><の形のしつけ糸は僕でも存在を知っている。
「これ、なんていうデザイナーだったっけ。超有名なやつだ。つうか、どの服もみんなお出かけ着って感じでシャレこいてんなあ。なのにこんな雑に放置して。バチが当たるぞ」
酔っているせいで、だらだらと独り言が漏れる。なにか小さな既視感があった。けれど酩酊がそれを押し流す。
「こっちのポリ袋にもなんかオシャレアイテムが入ってんのかな」
誰かの私物が入っているであろうポリ袋である。酔っぱらいモードの僕にはそれを開陳せしむることに躊躇いなどなかった。
ぎょっとした。
靴だのベルトだのに混じってスマホやタブレットや腕時計が裸のままで突っ込まれているのだ。
「マジかよ。靴はバレンシアガだし、時計はロレックスじゃんか。バックルにぶつかって傷ついたらどうすんだろ。っていうか靴と一緒くたにすんのは汚いなあ」
再び既視感がよぎった。頭のなかで小さな火花が散った。記憶の向こうになにかがいる。それを思い出そうにも酒精が邪魔をする。漠然とした不安を抱えたまま、僕はクローゼットを閉め、席へと戻ることにした。ライター嬢はいまだにグロッキーである。さて、どうしたものか――。
ぐらりと身体が揺れた。ふらふらと動き回ったせいで酔いが回ったらしい。テーブルに手をつく。オシャレな一本脚のテーブルはがたがたと頼りなく揺れた。そこに伏すライター嬢の頭がぐらりと傾き、バケットハットが床に落ちた。
「おっと、しまった」
拾い上げてテーブルに置く。なにげなく彼女の頭髪へ視線を移した。無帽の状態を見るのは初めてかも知れない。黒髪とそこから伸びる金色の混じったツインテール。
その二房の髪束が動いていた。
「えっ」
まるで独自の生き物であるかの如く、左右のツインテールが波打っている。
僕の目の前で、左右それぞれの先端がゆっくりと持ち上がった。
蛇が鎌首をもたげる様子そのものだった。
呆気にとられる僕はそれを眺めていることしか出来ない。
すると、奇妙なことが起きた。
左右に分かれて動くツインテールに引っ張られて、彼女の頭皮がずるりと動いたのだ。髪が抜けたわけでもなければカツラだったわけでもない。ライター嬢の頭部の皮膚そのものがズレたのだ。
ツインテールの分け目に沿って頭皮がぱっくりと左右に割れている。
「おい、ちょっと、おい」
冷水を浴びせられた気分だった。
どう見てもライター嬢の後頭部が裂けている。しかし、血は一滴も流れてはいない。思わず覗き込んだ僕の身体がおこりにかかったように震えだした。
「あっ、頭にっ! 頭のなかにっ!」
小さな牙がびっしりと生えていた。
頭皮の割れ目と見えたのは、口だったのだ。
真っ二つに裂けたライター嬢の後頭部は、そのまま一つの巨大な口となっていた。牙を濡らす唾液が店内のオシャレな間接照明をぬらりと反射した。
「嘘だろ。これって、あの……」
日本人ならば誰でも知っている妖怪――ふたくち女。
震える僕を威嚇するかのように、巨大な口のなかでがちがちと牙が噛み鳴らされた。
行方不明になったV氏。オシャレな衣料品と既視感。
幾つかの事実が僕のなかで繋がった。
そのとき、僕の首にツインテールが絡みついた。まさしく蛇の如き動きだった。
「ぐぇっ」
強烈な力で咽喉が締め上げられる。血流が止まる。酸素の供給が止まる。意識が暗く沈む。
――やっぱり男みんなに声をかけてたんじゃないか。
最期にそんなことを思った。