2020年月記・皐月

 五月一日。原稿に向かう以外はひたすらSteamで「Bloodstained」に興じる。面白い。「魔塔ハンター」もそうだったけれど、操作が単純なのがいい。マップが半分埋まったところでラスボスっぽい敵と遭遇。頑張って倒したらバッドエンドになってしまった。これは恐らく「月下の夜想曲」と同じく、何らかの事前準備をして戦わないと駄目なパターンに違いない。そう言えば「月下~」は自力でマップをコンプリートしたではないか。折角なのでネットでヒントなど集めずにクリアしてみよう。

 この日は一応平日だったので楽天ブックスで本を頼む。ところが五月一日発売予定だった作品が軒並み延期になっているうえに「ジョジョ」を始めに幾つかの漫画が売り切れになっている。やはりご時勢である。みなネット通販を利用するのだ。

 家でだらだらとしているといらんことばかりが気になったり思い出されたりする。そんな中で、どうしてもタイトルの思い出せないある映画がやたらと頭の中を転がるようになった。その昔、2chで訊いても答えが出てこなかったので半ば突き止めるのを諦めていた作品である。けれど、いまの僕にはそっち方面の専門家の知り合いが何人もいるではないか。もしかすると二十年来の疑問が解けるかもしれない。
 時間はたっぷりあるので、覚えている物語の特徴を長々と書き出した。まずは旧コミック高岡の店長だったI氏にメールで送る。この方は「スタートレック」の全映像作品を観ているくらいの傑物なのだ。
 やはりと言うかすぐさま返信があった。「『スペースレイダース』ではないか」。
 確かにタイトルに記憶がある。予告編のリンクも送信してくれたので、そちらも確認する。確かにこんな映画だった気がする!
 残念ながら日本語版のwikiは存在しなかったけれど、解説サイトのあらすじを読む限り間違いなさそう。さらに驚いたことにロジャー・コーマン制作ではないか。I氏によるとジェームズ・キャメロンも関わっているらしい。なのにあまり話題に上らないのは――この映画がスターウォーズの丸パクだからだ。
 二十年来の疑問が氷解した喜び以上に、ヲタの知識ってヤベぇなあと思った。(それと、実際の映画と照らし合わせると自分が記憶していた映像がずいぶんと捏造されていたもので、そちらもショックではあった)

 五月四日。リテイクを受けた部分を修正しつつ執筆作業を進める。時間があると逆に手が動かない。フリーのクリエイターというのは皆この感覚と戦っているのだろう。同業者の中には一切ネット絶ちして作業している人もいるけれど、それくらいの覚悟が必要だ。

 楽天ブックスから本が届く。世間で言われているような遅配はない。原稿の合間に順に読み始める。
 音楽に関しては完全に感性が鈍っていて、いまでは夢中になれる作品が非常に少ない。けれど、こと活字文化に関しては僕にも未だ感性が残っているらしく、最近の作品でもしっかりと感動することが出来る。自分もまだぎりぎりセーフだと思う瞬間だ。
 ラノベも何冊か購入したのだけれど、昔と違ってかなりバクチである。なにしろ粗製乱造なのだ。校正業者の名前が入っているにも関わらず、明らかにテクストのコピペをミスったままだったり、漢字の誤用や当て方の間違えなんてミスはザラにある。
 少し前に高名なジュブナイル作家が「ライトなノベルなんていう表現は失礼」というような発言をしていた。小説に軽いも重いもないという意図である。言いたいことは分かるのだけれど、たぶんこの先生は今のラノベを読んでらっしゃらないのだろう。もしくは能力のある編集者がきっちりと仕切った、そのラノベレーベルの自信作しか読んではおるまい。
 具体的にタイトルは挙げないけれど、ラノベ界隈には本ッ当~にライトな執筆と編集作業で出版されたんだなあ――と思わざるをえない作品がごろごろあるのだ。むしろ、悪貨が良貨を駆逐しつつある状況と言ってもいい。
 別にそんなことはどうでもいいのだけれど、活字との触れ合いはラノベがきっかけでしたという人が珍しくない昨今、幼い読み手がどう育ってしまうのか――という部分が僕にとってはいささか不安だ。
 貴方の小説では方言ばかり使われるから、子供には相応しくない。
 確かそんな理由で鈴木三重吉は宮沢賢治の作品を「赤い鳥」に掲載しなかった。「子供には正しく綺麗なものだけ見せろ」という意図であれば全面的には賛成出来ない見解ではあるけれど、幼いうちにはまず正確な手本を与えなければならないという見方であれば全面的に同意出来る。
 そういう意味で、これから色々な活字文化の世界へ視野を拡げるであろう世代を相手にするには、最近のライトすぎる作りのラノベは少々いやかなり役者不足であると思うのだ。余計なお世話か。

 五月五日。明日で連休も終わりかと思うといささか憂鬱である。そのせいか原稿の進み具合がいい。一段落ついたところで「Bloodstained」をプレイ。足掛け四日も詰まっていたところがふとした思いつきで越えられた。我ながら切羽詰っていないと力の出ない人間である。

 楽天ブックスから届いた本の中に、とあるサバゲの漫画がある。「あなたへのオススメ」みたいな感じで表示されていたのでなんとなく買ったものだ。恐らくは「サバゲっぱなし」のドジョウを意図して描かれたのだろう。ということはあちらの向こうを張るくらいの作り込みはされているに違いない。
 ――と思って読み始めたら、これがなかなかツッコみどころ満載の作品だった。

・敵チームは全員エアコキのスナイパー(なのにこちらは十二連敗)
・なぜかそのスナイパー達は固まって配置されている。
・なぜかそのスナイパー達は室内戦をしかけてくる。
・スナイパーが相手なのに窓の開いた廊下を立ったまま歩いて進む。
・なぜか初心者をハンドガン一丁で前線に送る。
 なんというか、読んでいるうちにどんどんツッコむネタを探したくなるタイプの作品だった(言うなれば、上述した「ライトなノリと編集作業で出版され」てしまった漫画だ)。それにしても、もしこの漫画でサバゲに興味を持った人が実際にフィールドに行ったら、確実に「裏切られた!」となるだろう。それこそ余計なお世話だが。
(いま読み返していたら「これは現実の日本が舞台ではない」という意味の注意書きがあった。それはちょっとズルくない!?)

 五月六日。薄曇り。明け方くらいに地震で起きたので僕の意識も微妙に薄曇りのままだ。今日で連休も終わりと思うと非常に憂鬱である。そんなことを思っていたら夕方から雷雨になった。リライトしたぶんを担当者に送っておく。そういえばエロ小説ってだいたい六章仕立てだけど、あれはどうしてだろう。初めて書いたプロットも無意識のうちに全六章になってた。普通の小説だと絶対にそんなことないのに。
 でも今の流れだと六章仕立てじゃ終わらない。

 五月七日。今日からまた会社勤め再開である。九日ぶりに靴を履くと、足が妙に落ち着かない。原付にキーを挿してキックスタート――かからない。何度キックしてもエンジンはウンともスンとも言わず。大慌てで母親を連れて車に乗る。そのまま会社まで行って、母には自分の運転で帰ってもらった。久々に焦ったけれど、一人暮らしだったらどうなっていただろう。もう十年近く乗っている原付なのでそろそろ買い替えようかなどと考えながら、徒歩で帰宅する。帰ってから試しに原付のエンジンを回すと一発でかかった。朝は冷えていただけだったようだ。

 五月八日。原付の買い替えを視野に入れつつ、保険の更新もあるのでバイク屋へ行く予定でいた。しかし連休明けで会社は忙しく、バイク屋に行く時間はしばらく作れない。こうなると逆に新しいバイクが欲しくなる不思議。正直なところ今の4ストの原付にはあまり魅力を感じないのだけれど。いっそのことアドレスの125ccを買ってしまおうか。

 ツイッターのTLで「エロゲが衰退した理由」に関わる論争が流れていた。とあるシナリオライターのツイートがきっかけのようだ。
 要約すると「シナリオに長さばかりが要求されるようになって、時間の無い現代のユーザーのライフスタイルと合致しなくなった。だからエロゲは廃れた」という趣旨の発言である。
 この意見そのものは僕も正しいと思う。またそれに伴って業界の内外を問わず各人が色々と意見を発していた。興味深いのは、エロゲ業界人の中には「別に衰退してないよ」という意見の人が少なからずいる点だ。
 これはたぶん大前提として「ゼロ年代前半のエロゲバブル期が異常なだけで、いま現在の状況は市場が安定しただけ」という見方があるのだと思う。この辺りは140文字では説明しきれない部分なので、勘違いしたユーザは多いのではないだろうか。
 業界人やクリエイターのコメントには色々と思うこともあったのだけれど、僕自身最近は二ヶ月に一本程度しかエロゲは買っていない。あまり偉そうなことは言えないな。

 五月十五日。楽天ブックスだと、日付が零時になると同時にその日に発売の書籍が在庫として注文可能になる(他のサイトがどうかは知らない)。なので、いつも日付が変わった瞬間に二週間ぶんの新刊をまとめて注文している。
 この日は十冊ほど頼む予定だったのだけれど、在庫が消滅している単行本が幾つかあったので、六冊に留まった。繰り返しになるが、外出の機会が減った人々が家で本を読んでいるということなのだろう。

「Bloodstained」がいよいよ詰まる。物語そのものはラスボス手前まで進んでいるのだけれど、解除出来ていないクエストがあるのだ。これで物語を先に終わらせてしまうと、多分もう後からクエストを消化する気力は残らないだろう。なんとか自力で解きたい。基本アイテムもまだ全部発見出来ていないのだ。まだどこかに隠し部屋があるのだろうか。

 五月十七日。死蔵していたトレカの類をツイッターにうpったところ、譲ってくれという旨のDMが届いた。別に今さら執着のあるものではないので了承したのだけれど、二度三度とDMをやりとりしているうちに、相手がちょっとイタいお子様だということに気付いた。
 なにしろ、欲しがる側の立場でありながら「お願いします」「ありがとうございます」の言葉が一っつもないのだ。本人は成人していると言っていたけれど、少々怪しく思える。
 民度の低いメルカリユーザがネットに晒されることがよくあるけれど、僕とのDMでのやりとりがまさにあれと一緒なのだ。これは絶対に取引は成立しないという確信があった。同時に、もしも成立してしまったらそれはそれで面白いとも思ってしまった。
 最終的に「詳しいトレカの情報が知りたい」ということだったので「写真に撮って送る」と返信した。もちろん、「お願いします」「ありがとうございます」はない。徹頭徹尾、己の要求だけである。
 こういう子の親はどういう人間なのだろうか。

 五月十八日。会社の休憩時間に相手のことを調べてみた。ツイッタは鍵垢だったので、その線でプロフを調べることは出来ない。だが、この手の民度の低い人間は本名でSNSをやってしまうのだ。半ば以上の確信を持ってツイッターのハンドル名でググったところ、ズバリ本名だった。現在十九歳で白鴎大学のバスケ部に所属しているようだ。本当にスポーツマンにはロクなのがいない。
 もうこの時点で僕は彼とやりとりするのが嫌になっていた。どう考えても「タダでよこせ」とゴネだすに決まっている。だが、一度了承してしまった以上、僕のほうから「やっぱり取引をやめます」と言い出すことは出来ない。もしそれが許されるとしたら、相手を拒絶する正当な理由が出来たときだけだろう。
 そもそも昨日のやりとりの時点で彼は拒絶するに足る非常識ぶりを発揮していたのだけれど、今さらそれを持ち出すには時期を逸している。しかし、彼のような人間が相手ならば普通にやり取りしているだけでとんでもない言動が飛び出すのは間違いない。そうなった時点で「貴方のような非常識人とは取引は出来ない」と言い出せばいいわけだ。
 そこで僕が立てた予定はこうである。
 ひとまず彼の要求通り写真をzipにまとめてどこかのロダに上げる。そうすれば恐らく――
 ロダの使い方が分からない。
 zipの解凍の仕方が分からない。
 写真が気に入らない。

 その他、一般人には理解し難い疑問や難癖がぶつけられるに違いあるまい。そこで初めて「貴方のような非常識人とは取引は出来ない」と拒絶してやるのだ。
 仕事中にそんな企図を立てた僕は、帰宅してPCからツイッターにログインした。すると彼からDMが届いているではないか。またどうせ幼稚な質問だろうと思って開くと「写真はまだですか」との催促である。
 呆れるのと苦い笑いとで、実に複雑な気分だった。
 僕が想定していたのは、わざわざ写真をうpってくれた人間への不躾なリアクションである。そしてそれを受けて僕が「貴方とはもう取引出来ない」と宣告する。
 そんな計画は、彼自身が自発的にすっ転んだせいで呆気なく破綻してしまった。
 計画が無駄になったのは残念だが、これはこれで実にいい機会である。とりあえず「そこまで勝手な言動をするのでしたらもう取引はしません」という趣旨の返信をしておいた。
 その後、ごちゃごちゃと難癖をつけてくるかな――などと思っていたのだが、何の返信もなかった。(もし何か言ってきたら「白鴎大学に言いつけるよ」と返すつもりだったのだけれど)
 こちらが痛手を負う前に勝手に自滅してくれたので「面白い経験だった」で済みはした。だが、メルカリの例を持ち出すまでもなく、最近は老いも若きも彼のような安モンばかりなのだろう。僕からすれば異常な言動の子供だが、同年代乃至は彼の親兄弟の観点からすると、彼は至極真っ当な人間なのではないかと思う。格差社会というのは、経済的な部分に限った話しではないのだ。
 そしてこの現代は教養や品性や自尊心よりも、如何に自分の権利と要求を声高に叫ぶかが大事な時代なのだ。

 五月二十一日。友人からサバゲのお誘いがある。DLSiteとDMMの方々が中心になって開催されている「コミュサバ」という業界人のサバゲイベントだ。何回か参加しているのだけれど、皆とても銭と手間ヒマをかけてイベントを楽しんでいるという印象だ。僕自身もう半年くらいサバゲに参加していないし、そもそも三ヶ月くらいまともな外出をしていない。友人たちは「社会の状況次第では不参加」というようなノリだったので、ひとまず参加表明はしておいた。

 五月二十三日。担当者から戻しを受け取る。盛っては削り……という流れが続くと執筆が単純作業に感じられてしまうことがある。そんななかでも時々は「原稿が良くなっているな」と思う瞬間があって、やはり物作りに携わっているのだと言う実感が湧く。情熱を持って書けない作品になんの価値があるだろう。

 五月二十四日。修正は大した量ではなかったので、丸一日で仕上げることが出来た。夜になって担当者に送っておく。

 ツイッターのTLを見ていると、批判的・否定的な発言が増えているように感じられる。僕自身、いま書いているこのテクストも批判的な内容が明らかに増えている。普段ならば外部へ放出されるエネルギーが内面に向かっているのだろう……などと、至極ありきたりな想像をせざるを得ないほどに。
 そんなことを考えていたら、口内炎が二つも出来ていることを思い出した。普段ならばかなり激しく口の中を噛んでも口内炎なんて出来ないのに。多分だけれど、ストレスによるものなのではあるまいか。

 五月二十五日。給料日なので銀行へ行く。あらためて残高を確認すると、そこそこの額になっている。給料は変わらないのに……と言うことは、たった二ヶ月外出を控えただけでかなり出費が抑えられたと言うことではないか。バイクを買い換えるつもりだったので丁度いいタイミングだ。
 しかし、緊急事態宣言は解除されているのだ。すぐにでも街は動き出すだろう。そうなった時に僕は自分の健康と財布の紐を守り抜くことが出来るだろうか。

 五月二十七日。緊急事態宣言の解除に伴って各所で活動が活発になり始めた。月末のサバゲに誘われるが、さすがにお断りする。
 少し気になったので来月開催のコミュサバの参加者名簿を閲覧する。多いときには二百人くらい参加するイベントだが、今回は七十人強の参加者に止まっている。正直なところ、行かないのが正解だと思う。そもそも会場が野外フィールドなので、参加者が各所から持ち込んだ病原体が、自然界へと解放されることになりかねないからだ。

 五月三十日。「SHUFFLE!エピソード2」が発売された。予約していたので秋葉原まで取りに行かないといけない。夕方になり、ひとまず神保町まで出た。顔馴染みの東西堂書店さんに行く。売り上げの落ち込みというか、そもそも写真情報誌が作られなくなってしまったので売るもの自体が激減しているらしい。
 なぜ作られないかと言えば、三密対策の自粛要請だ。
 当たり前に考えれば、生身の人間同士が密着するアダルトビデオはもちろん撮影不可能である。
 グラビアもメイク担当やカメラマンとの接触があるから不可能。
 そういう理由でエロ雑誌やグラビア誌が作れないのだ。(もしかすると編プロはがんがん倒産してるかも知れない)

 五時半頃に秋葉原に着く。新作ゲームの出た金土日は、ソフマップのレジには大行列が出来る。三十分待ちは当たり前だ。それを見越した行動だったのだけれど、なんとレジ待ちは二人だけ……
 三月末に来た時にはここまで閑散としていなかった。今は通販も充実しているし、そっちへ移行したのだと考えたい。

 ソフマップで買物をしたあとはとらのあなで漫画を購入する。ラノベにどうも手が出ないのは先述の理由である。
「異世界転生・転移」「学校一の美少女がなぜか俺にはグイグイ来る」「下ネタ」……この系統以外のラノベがほとんど見当たらない。
「スコップ無双」のようなネタ特化型も存在するけれど、これは嗜好にハマってくれないと全く楽しめないので手が出し難い。
「三剣物語」「トレイン・トレイン」「聖エルザクルセイダーズ」みたいな、誰が読んでもそこそこ楽しめる普遍性を持ったラノベはもう存在しないのだろうか。

 夜になり秋葉原駅前の焼肉屋へ向かう。半年ぶりくらいに友人たちと夕食を共にする。やはりと言うか、みんな微妙に肥えている。僕もだが。
 焼肉屋は八時頃には満席になった。業界人くさいカップルとヲタサーと僕たち……という内容だったけれど、六人組のヲタサーにはやはり一人だけ姫が居る。
 五、六人のヲタの中に一人だけ女の子という構成を最近本当によく見る。それも大学生グループなどではなく、明らかに年齢がバラバラなヲタ集団に姫が一人のパターンが多い。一度などは、その一人の姫に男みんながプレゼントを贈っているシーンと出くわしたことがある。彼らにとっては月イチくらいで開かれるイベントなのか、それともやはり一世一代のイベントなのか気になるところだ。

 焼肉屋を出て、河岸を変えようということになったのだけれど、八時を過ぎるとパタパタと店じまいが始まっているではないか。「えぇ~!?」と思ったけれど、街から人を締め出すには一番効果的な方法だろう。

 五月三十一日。昼過ぎに起きて原稿を進める。二時頃に昼飯としてチルドの油そばを作る。いつも感じるのだけれど、チルド麺にしろカップ焼きそばにしろタレが多すぎやしないだろうか。
 三食入りパックだとするとタレは二袋で充分なのだ。こぼしたり、袋から全部出し切らないユーザー対策なのだろうか。うかつに全部入れると塩っぱいだけで全く美味しくない。茹で時間は「○分~○分」のように振れ幅をしっかり書いているのだから、タレの量もある程度の目安を書いておいてほしいものだ。

 ツイッターでも散見したのだけれど、各方面でオリジナルのマスクを販売するようになった。手芸店を始めとして新日本プロレスやJリーグのチームまでもが販売を始めている。
 音楽関連ではhide、ムック、D、AA=、BALZAC、ロットングラフティー、DOOM、BABYMETAL、CAFFEINE BOMBあたりはオリジナルデザインのマスク販売を始めている。それ以外にはh.naoto、モダンパイレーツ、HYPER COREなどのブランドもマスクを取り扱っている。モダンパイレーツは比較的安価で商品も豊富なので幾つか通販で頼むことにした。

 夜になって原稿を担当者に送る。嫌になるほど進捗が悪いけれど、そのぶん練られた内容になると信じたい。

 以下は例によって今月読んだ小説、漫画で面白かったもの。図書館に行かなくなったので新刊が多い。 

「スズメの事ム所」……作者の朱川湊人には「三丁目の夕日」のダークサイドみたいな作品を書く人という印象があった。ただ、この手の作家は時おり手のひらを返したように明るい小説を書くことがあって、この作品もそんな内容だった。かなりアッパーかつ明るいノリで進行するのでストレスなく読める。「ネジ子さん」という中年ヒロインもいいし、登場する下町のオババたちのイキがいいのもいい。投げっぱなしともとれる終わり方をしたけれど、続きは書かれるのだろうか。

「愚者の星」……いまのところ非常に面白い。本当は強キャラなのに、敵が強すぎて「俺TUEEEE」が発揮出来ない主人公のもどかしさのバランスがいい。オジサンの描く厨二病ともという感じのノリも分かり易くていい。恋愛要素としての明確なヒロインが未だ存在しないけれど、どの女性キャラと発展しても面白そうである。作者の遠藤浩輝には「女性キャラは汚してナンボ」みたいな思想の持ち主だという印象がずっと付きまとっていたのだけれど、「オールラウンダー廻」の後期くらいから、ぐっと商業的な「萌え」が匂うようになった。それが作家本来の持ち味を殺すことになるのかも知れないけれど、僕は今の路線のほうが好きである。もしかすると「~廻」のマキちゃんみたくブッ込んだヒロインが新たに登場するのかも。それはそれですごく楽しみである。ただ、世界設定を考えるとどう考えても沈鬱で陰惨な物語にしかならないようにも思うのだ。そういえばある時期からあのもの凄い長文の後書きが無くなったね。結構好きだったんだけど。

「人形の国」……相変わらずギャグなのかシリアスなのか判断に迷うところが多くて、そこが引き込まれる部分なのだと思う。「シドニアの騎士」はそこそこ大衆性のある作品だったけれど。この作品にはそういう要素がほとんどない。強いて挙げるならば女性キャラがほどほどに分かり易いところだろうか。各キャラクタの精神性を掘り下げるような描写を取り入れ始めたのも面白い。それでも圧倒的に説明が少ない漫画で、その辺りを勝手に想像する楽しみが弐瓶漫画の最大の魅力なのかも。女性キャラがぷにっとしたデッサンになり始めたのは、たぶん作者の私生活でなんかあったんだろーなーと思う。

「亜人」……いよいよクライマックスなのだろう。アクションシーンと心理戦の組み合わせが実に上手い。落ち着いて読むとケレン味重視のあまり突飛にも唐突にも感じられる演出が少なくはない。しかしそれ以上に、些細な瑕疵をねじ伏せる物語の面白さがあるのだ。このままテンションを維持して幕を閉じて欲しくもあるのだけれど、終わって欲しくない気持ちもある。ファンというのは勝手なものだ。

「シネマこんぷれっくす!」……前巻の文化祭編が驚くほどのハイクオリティで終わったので、もしかしてもう完結するのかと思ったが、まだ続くらしい。良かった。ヒロインみんな可愛いし、映画のネタも面白いので絶対に終わって欲しくはない漫画である。ただ、いつでもキリよく終われる漫画だとも思っている。恐らく「夢」「卒業」「スタンド・バイ・ミー」あたりがオチのネタとして引っ張られるんじゃないだろうか、などと考えている。というか新刊も一冊まるまる青春恋愛学園部活モノとして大傑作である。なんでもっと話題にならないんだろう。

(一部敬称略とさせて頂きました。ご了承下さい)

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