2020年月記・如月

 二月一日。ゲーム業界のアニキたちとともに新小岩にある「コメトステーキ」というステーキ店に行く。一ポンドのステーキとライスのセットが千六百円で提供されていて、ラーメン二郎のように客側で料理をカスタム出来るのが話題になっている店である。一ポンドのステーキ肉など初めての経験だったので、夢中で平らげてしまった。男には無心で肉を貪ることが必要になる時があるのだ。(女性客も数名いたけれど)
 しかし、皿で提供されると肉もライスもあっと言う間に冷めてしまう。普通のステーキハウスでどうして鉄板に乗せられて肉が提供されるのかが身体で理解出来た。
 食事が終わってから新小岩駅前のルノアールでコーヒーを飲む。カレーやハンバーグまで提供されているインディ志向全開の店舗だったのだけれど、店の内装もかなり独特だった。
 いなたいのだ。
 八十年代からそのまま使われているかのようなインテリアに、レジ前に並べられた新聞と漫画雑誌……総てがいなたい。僕たちの隣の席ではカッコいいギャルママが子供にメロンソーダを頼んでいたのだが、店内とのギャップがすさまじかった。
 その後は有楽町に移動して「映像研には手を出すな」の展示会を鑑賞。映像でさらっと流してしまったような背景のガジェット類の資料などもあって、よくよく作り込まれた作品だと感心しきり。アニメ制作をしているサイエンスSARUの映像も流れていたけれど、昔ながらのオタク的風貌のスタッフに紛れてポール・ギルバートみたいな風貌の白人スタッフが複数人いることに驚いた。まさしく多様化の時代だ。そしてやはりと言うか、美人さんもいるのだ。実に羨ましい。

 翌二日からはひたすら執筆作業。(出れば)まる二年ぶりくらいの作品だし、そろそろ出版社にも恩返しをしたい。そんなこんなで魂を削るうちに日付の感覚は徐々に消えていく。あっと言う間に木曜日になってしまい、慌てて映画「犬鳴村」のチケットを取りに行く。
 金曜はレイトショーで「犬鳴村」を鑑賞。三十人以上の客入り。
 怪奇現象の原因と、ホラー映画的な理不尽な展開に理由をつけるためのキャラ設定とがしっかりしていて、ホラー初心者向けの作品に仕上がっていたと思う。同時に、監督である清水崇自身がこれまでの作品で用いていた恐怖演出がセルフオマージュ的に散りばめられていて、マニアックな楽しみかたの出来る作品でもあるのはさすが。
 昨今のホラー映画でモキュメンタリー的な臨場感のある怖さを演出するには「ユーチューバー」という人種は最適なのかも知れない。かつてのスプラッタ映画に登場する「馬鹿なカップル」や「怖いもの知らずであることを誇りたいだけの脳筋」に代わる恐怖体験の代行者として「無鉄砲なユーチューバー」がとても増えた。「恐怖映像を撮影に来た映画スタッフ」よりも観客にとってはリアリティがあるのだろう。
 それにしてもここ十年くらいのホラー映画に共通して感じるのは「あの映画は音でビビらせてるだけw」という映画ファンの声に完全に負けている――という部分。「ビビらせにくるだけの作品」よりも「コワオモシロイ作品」が圧倒的に増えた。
「邦キチ! 映子さん」の作中で「『来る!』はホラー映画かというとちょっと微妙」と語られていたあれである。
 怖さの特徴でいうと「設定が怖い」「クリーチャーのビジュアルが怖い」「風景やセットが怖い」「出演俳優の立ち姿がすでに怖い」というふうに怖さのエッセンスで勝負する作品がすごく多くなったように思う。映画ファンが嘲弄する「音でビビらせる演出」を捨てるかわりに、「誰もが共感出来る怖い要素」をふんだんに散りばめることで恐怖感を生み出しているのだ。
 確かに一つの物語であり映像作品たろうとするのならば、小手先のビビらせ演出には頼らないほうがいいのだろう。ただ、それこそ初期「呪怨」や「ライトオフ」のような音楽・効果音による演出でバーンとビビらせる作品が好きな人間としては「コワオモシロイ作品」よりも「ビビらせにくるだけの作品」を待っているのだけれど……

 二月八日はメリーのライブを観に神田明神ホールへ行ってきた。メンバーの脱退発表を受けての初ライブである。そんなバイアスがあったせいか四曲目の「ジャパニーズモダニスト」ですでに込み上げるものがあったのだけれど、五曲目の「林檎と嘘」で完全に涙腺が崩壊してしまった。まさかメリーのライブで泣かされるとは思ってもいなかったので、かなり困惑した。しかし、いっさいMCなどないままに進んでいくステージは、観ていて冷や冷やするほどに張り詰めていて、こちらの感情もまた針の如く鋭敏に研ぎ澄まされていく。そこかしこから聞こえたすすり泣きの声は、僕だけがおかしいわけではないことのなによりの証拠だった。
 メンバーの脱退劇があると、それに流されるようにして崩壊してしまうバンドは少なくない。今後のメリーがどんな進路を取るか分からないけれど、可能な限り応援していきたいと思う。そう思わせるに足る素晴らしいステージだった。

 九日日曜日。上がった第一章に手直しを入れつつ担当編集に送る。友人からサバイバルゲームのお誘いが来たものの「原稿があるからしばらく無理」とお断りした。遊びがないと執筆中のストレスは溜まっていくだけなのだけれど、今月はどれだけ息抜きが出来るだろうか。
 執筆の合間に宮部みゆき「ソロモンの偽証」を読み終える。この作品をミステリにカテゴリーするのはちょっと違うような気もするけれど、日本の娯楽小説史に残る大傑作であることは間違いない。どれだけ緻密綿密緊密にプロットを組み立てたのか、作者の努力と校正者の眼力を考えると空恐ろしくすら思える。それにしても、「すげぇ!」という部分と「物足らねぇ!」という部分の塩梅が絶妙である。そこから生じる飢餓感に後押しされてページをめくる手が止まらなかった。馳星周が「日本でベストセラー作家と言えるのは宮部みゆきだけ」と書いていたのは真実である。

 このころオスカーの発表があって、会社の先輩に「今年はどこがオスカー獲るの?」と尋ねられた。この先輩は元々太秦で映画を撮っていた人で、最近の娯楽映画を除けば映画全般に非常に精通している。僕が「『パラサイト』じゃないっすか」と答えたところ「『イングリッシュ・ペイシェント』が金をバラ撒くようになってから何も変わってないな」と吐き捨てるように言っていた。(あんたパラサイト観てねえだろw)と思ったが黙っておく。僕はこの手の偏屈オヤジが大好きなのだ。
 火曜日は建国記念の日だったので、昼間から原稿作業。時間に余裕があるときほど進捗が悪いのはもはやなにかの呪いではないだろうか。とりあえずこの週は土曜日が丸々ツブれることが確定していたので、なるべく仕事を進めたいのだが……

 十五日土曜日。夕方から官能作家の飲み会があるので、昼過ぎに家を出る。神保町の東西堂書店に寄って、献本用に自分の本を買った。少し恥ずかしい気もするけれど手持ちの在庫がないのだから仕方がない。店長と少し話をして手土産をお渡しする。帰りしなにコミック高岡の跡地へ寄った。もはや建物が存在しているだけで、それ以外の痕跡は一切ない。また書店が入るという話も聞くのだけれど、果たして成人向け書籍は扱ってくれるのだろうか。
 神保町から新宿線で岩本町へ向かう。着いた岩本町駅から十分ほど歩けばアニメイト秋葉原店である。異様に暑い店内をうろうろして漫画を数冊購入した。それから飲み会の待ち合わせ場所まで向かう。さきに到着していたさるベテラン作家の先生と合流して「最近はまったく人の名前が覚えられない。○○県から来るあの人は誰だっけ」「A先生です」「□□県から来てる人いたよな」「B先生です」みたいなやりとりをする。間違いなく僕の名前も覚えてはおるまい。
 他のジャンルの作家による飲み会がどんなものかは知らないけれど、官能作家の場合は「業界(と編集者)の噂」「ヲタ話」がほとんどである。僕は「ヲタ話」以外はいっさい出来ない人間なので、席次第ではひたすら聞き手になってしまう。
 今回、ある先生がさる大手出版社の編集長から送られたなかなかのパワハラメールをみんなに公開していて、話題の中心になっていた。原文を見せて頂いたのだが、ナマの数字をあげつらって理責めにかかる嫌らしさを備えつつも、全体の文章がひどく散漫で、それでいて粘着質……という、端的に言って糖質っぽいテクストが非常に気持ち悪かった。
 以前、ゲーム業界のさる有名人に「レイヤーさんとか新人声優とかとチョメチョメする機会がいっぱいあるんじゃないっすか?」と失礼極まる質問をしたことがある。答えは「仮にあったとしても、いざそんなことになったら『○○と□□がヤったらしい』って情報が業界中に拡散する。だから絶対にヤんない」というものだった。油断して一歩踏み間違えると、自分の知らないところでその情報はミーム化して拡散するということである。
 この編集長がどういう意図でパワハラメールを送ったのかは本人にしか分からないし、もしかするとなにか作家との間で蓄積したものがあった上での行動なのかも知れない。だが、観測者である僕たちには与えられた情報だけが真実なのだ。本来の意図との齟齬の有無に関わらず情報は拡散・浸透していく。だから僕たちのなかで○○の編集長はヤベー人と認識されている。本人の与り知らぬうちにデジタルタトゥーの如く。
 そんな黒っぽい話もしつつ五時間近く過ごした。半年に一度開催される飲み会なのだけれど、少なくとも僕にとっては貴重な交流の場である。主催者の星悠輝先生に感謝を。
 明けて日曜からは会社→原稿のルーチンである。三連休の間に行ってみたいイベントがあったので、少しでも原稿を進めておきたかったのだ。しかしその実、原稿は大幅に遅れ、三連休は遊びどころではなかった。起きて食事を摂って原稿……をただ繰り返す日々である。金曜日のうちに買っておいた豚バラで角煮を作ったのが精一杯のストレス発散だった。僕はいつも甘味付けで腰が引けてしまって、砂糖をドバドバ入れることが出来ない。そこで思い切った行動が取れないところが、僕の心の弱さなのだろうか。

 執筆作業の気晴らしに漫画を読み倒す。
「2.5次元の誘惑」……なんのストレスもなく読める理想的エロコメである。クラスの男たちがヒロインの着替えを覗いてイヤ~ン、みたいな展開が全く無いためだ。あの手の八十年代的なおおらかさのあるお色気展開は僕にはストレスにしかならない。「俺のヒロインを汚すな!」と言いたくなる。
「裏の家の魔女先生」……つい去年「まかない君」の連載を終えられた西川魯介の新作だが、内容はそれとほぼ一緒なので、この作品もやはりストレスなく読める。ただ、明確にクトゥルフ要素が含まれているので、今後どんなブッ飛びかたをするかが楽しみなところ。
「九龍ジェネリックロマンス」……そもそも第一巻が壮大なプロローグなので、今後どう展開するか全く読めない。けれど、僕の読書経験からするとどう転んでもストレスフルな恋愛作品になるとしか思えない。それが怖い。されど先行きが楽しみで仕方がない。異常にモヤる作品である。これで瑕疵のないハッピーエンドを描けたら大傑作だと思う。
「映像研には手を出すな!」……第五集まで一気読みした。アニメとはまるで印象の異なる作風には、どこか九十年代後期のアフタヌーン臭さを感じる。「菫画報」や「イハーブの生活」といった、サブカルをガチオタ文化に押し込めたようなテイストが非常に強いのだ。コマの隅々にまで文字ネタを仕込むあたりもアフタヌーンっぽい。いろいろ書きたい作品だけれど確実に長くなるので、これらに関してはまた別途書こうと思う。

 原稿と漫画の三連休が終わると社会が動き出し、コロナウイルス絡みで幾つかの発表があった。僕にとって最大の発表は、Valentine D.C.のライブが中止になったことである。二十九日の公演が中止になり、振替か払戻しかの発表を待つ状況となった。正直なところ、原稿が遅れているのでこの中止はありがたかった……

 二十八日は今月最後のイベントごとである米粒写経のライブである。これもまたコロナ絡みなのだろうが、普段ならきっちり埋まっているはずの客席にちらほらと空白が見えた。とは言え、ライブそのものに影響それが影響するわけでもなく、普段通りの濃いネタが披露された。
 僕は米粒のライブに行き始めて足掛け三年程度の新参だけれど、以前に比べると圧倒的に「砂の器ネタ」と「金田一ネタ」が増えた。昔はもっと戦争ネタやマイナー芸人ネタが多かったはずだ。これが定番ネタの先鋭化となるのか、はたまた安定のマンネリとなるのかは分からないけれど、現状は面白くてしっかり笑えるのでまだ慌てるところじゃない……という感じだろうか。
 ゲスト(郵便学者の内藤陽介)によるマニアック鼎談は「チェ・ゲバラ」の話。「水曜日のダウンタウン」に、街中でゲバラTを着ている人にゲバラのことを訊いたら、一人だけしか理解していなかった。という企画があったけれど、僕もやはりゲバラのことはよく知らない。Rage Against the Machineに関連して仕方なくWikiを流し読みした程度の経験しかない。もしかしてレイジの話題も出るかな、などと思っていたら、予想外にThin Lizzyの話が出た。「無限の住人」のファンにも有名なあのバンドだ。なんでもThin Lizzyの「脱獄」のジャケットアートを担当しているJim Fitzpatrickが、あの有名なゲバラがちょっと上を向いている赤いポスターを描いた人だそうな。この人はSinead O‘Connor(やはりアイルランド系)のアートワークも担当しているので、多分に思想的なアーティストなのだろう。
 ライブ後に地元駅に着いたのが午前〇時半。バイクの調子が悪いので、そのままバイク屋へ持って行って、そこから歩いて帰宅した。深夜一時過ぎだというのにカラスがうるさい。バイクが直るのは早くて火曜日。それまでは徒歩生活だ。

 金曜はまったく原稿に手がつけられなかったので、土日は外出せずに引き篭もって作業にするしかなさそうである。

 続きはまた来月末に……

(文中の敬称は略させて頂きました。ご了承下さい)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?