2020年月記・長月

 九月一日。毎月一日はwebコミック「パペラキュウ」の更新日である。だが、まるまる九年続いた作品もついにこの日で最終回となった。 前半のバイオレンス&ゴア描写からの後半の回想エピソードを経てサスペンスドラマに至る作劇の変遷。そしてなによりも、終盤になってメインキャラの韜晦や因果応に関わる精神性の描写が大きくなった部分は報賛否あると思う。
 個人的には最後には血みどろの暴力描写をもってきて欲しかったけれど、そもそも「バクネヤング」のころだってこんな作風だったのだ。起承転結をしっかり守って、余韻は長く緩やかに……というスタイルであることは織り込み済みなのである。そういう意味では納得出来る締めかただったと思う。しかしそれでも、もっとエンタメに振ってほしかったとも思う。
 でも、あの長尺のカルマの物語を描ききった松永先生の執念には感服しかない。どうもありがとうございました。

 九月四日。映画「事故物件」を鑑賞。メタフィクションっぽいのだろうな、という思い込みがあったのだけれど、案外普通のドラマだった。特に怖くもなく――というか、むしろ遊園地のお化け屋敷的なコミカルさすら感じられた。エレベータが勝手に動く演出とか、「あの女の顔を見たらヤバい」みたいな演出とか、ホラー的にグっとくるシークェンスはあったものの、基本的にはドタバタお化け映画だったのだ。残念。特にクライマックスに五匹くらいまとめて出現する幽霊は「コントに出てくる戯画化されたゾンビ」としか言いようがなく、観ていて力ない笑いがこぼれるのを抑え切れなかった。残念。
 とはいえ、一部の切れのある演出や公園での長回しのショットやラストのショッキングな映像など、見所が沢山あったのも事実。素人の勝手な想像だけれど、ちゃんとホラーにしたかった監督と、一般向けにソフティケイトされた映画を撮らせたかった制作委員会との間で色々あったのではなかろうか。

 九月九日。有給をとって都内へ出る。午前中は「MANGA都市TOKYO」展を観に乃木坂へ。これは要するに、漫画・アニメ・ゲームなどでヲタクカルチャーで描かれている「東京」を外国人にざっくり紹介しようという趣旨の展覧会である。パリで一昨年に公開されたものの凱旋公演(?)でもあるらしい。
 そんな趣旨のためか、現代の東京と同じくらいの割合で「江戸」に関しても展示スペースが割かれていた。紹介されているのは杉浦日向子の漫画や「佐武と市捕物控」などの時代モノだ。そういえば「無限の住人」や「明楽と孫蔵」なんかは展示がなかった。江戸時代じゃない「るろうに剣心」はあったのに。
 そして、東京といえばやはり「東京タワー」なので、CLAMP作品もちゃんとワンスパンで展示されていた。外国ではどのタイトルが人口に膾炙しているのだろうか。
 のんびりと観ていたらあっと言う間に九十分が過ぎていた。美術館を出て、乃木坂から後楽園へと移動する。東京ドームシティ内のアートスペースで「特撮のDNA」展が開かれているのだ。
 平日だというのに場内はかなりの混雑ぶりだった。ヲタ七割サブカル三割といった具合。この展示会はいつも撮影フリーなのだけれど、カメラを忘れてしまった。痛恨のミスである。
 展示物は総てウルトラマン関連のもの。もちろん、アンドロメロスやグリッドマンも対象である。プロップやら撮影用モックやらの実物に加え、当時の宣材写真などが展示されていた。場内に流れるのは初代マンの戦闘曲を中心に昭和シリーズの曲である。胸熱。「ワンダバダ」が流れていなくて残念だったのだけれど、時間帯によっては聴けたのだろうか?

 「特撮のDNA」展を鑑賞したあとは東京ドームシティを出て南下する。水道橋駅を経て神保町へ向かうのだ。途中、水道橋駅前の「ぽっぽっ屋」で油そばを食す。たぶん十年ぶりくらい。高水準の二郎系である。
 馴染みの東西堂書店に寄って、普段は読まないレーベルの小説を買う。僕もいつかは営業をかけるときが来るかも知れないので、予習である。帰りがけにちらりと高岡書店の跡地を覗く。スイーツの店が入っているのだけれど、店内は暗い。そもそも今までも客が入っているのを見たことがない店である。恐らくツブれたのだろう。

 九月十一日。担当者から連絡。次回作の挿画担当のかたが決定した。昔から活動を存じ上げているベテランのかたである。めちゃめちゃそわそわする。仲良くなれたらいいのだけれど、仕事の付き合いから個人的な交流に発展させるのはNGだな。

 九月十二日。挿画用のキャラ設定をまとめる(それ用のテンプレがあるのだ)。大ベテランの先生に読んで頂くことを考えると非常に緊張感がある。書き終わったときにはもう夜十時近かった。
 以前買った「つぐみ」のビデオを観る。そもそも夏の終わり(=青春の終わり)を描いた作品である。現実の季節感と完璧にシンクロして、ものすごい郷愁に襲われた。主演の牧瀬里穂の中性的な魅力もさることながら、中嶋朋子の美しさよ。

 九月十三日。担当者にキャラ設定を提出。ビッグネームにも挨拶のメールを送る。他の作家がどうかは知らないけれど、僕は挿画担当のかたには毎回挨拶を送っている。
 ここで少し困るのが、連絡先を幾つも持っているかただ。
 例えば、ご本人のブログ・ツイッター・渋・顔本で、それぞれ記載されている連絡先が違うなんてことがあるのだ。一番頻繁に更新されているSNSの連絡先を使えばいいのだけれど、中にはそれすらはっきりしないかたもいる。そうなると、どのメアドに送ればいいのかは最早バクチである。稼働中のメアドなのか、まるで使っていないメアドなのか分からないからだ。当然、ハズレのメアドに送った場合、返事は無い。読まれないから。しかし、送ったこちらからは「読んでいないから返事がない」のか「読まれているけど返事がない」のかは分からない。わざわざ確認のメールを送るわけにはいかないし、記載されている全てのメアドに挨拶を送るのもキモチ悪い。
 つまり、ハズレのメアドに送った場合、送られたメールは絵描きさんに読まれることなく、「あの作家、挨拶もなんもねえなあー」などと思われてしまうのだ。絵描きさん――というかある程度の人気クリエイター――は自分のメアドを全部チェックしたりはしないのである。
 なので、挨拶メールを送るときはいつも少し不安なのだ。(実際、ハズレのメールに送ったと思しき絵師さんもいる)

 九月十四日。挿画の先生からメールのお返事が頂けた。一安心。

 九月十六日。脚本家のLEGIOん先生からお食事のお誘い。ついでに「シェフ」という映画を観るよう下知されたので動画レンタルで探しておく。

 九月十七日。レンタルサイトで見つけた「シェフ」を視聴。映画そのものはかなり単純なストーリーだけれど、構成が上手なので見ごたえがある。崩壊しかけた家族の再生というテーマもウソ寒くならない程度にあっさりと描写されていた。これが日本の制作委員会の下で作られた映画だったなら、恐らくダダ甘でダダ滑りの家族ドラマになったことだろう。(男の子がプチ家出したりな)
 料理映画でもあるので、様々な食材や料理が出てくるのだけれど、どの食材がなんの料理に使われるのかいまいち分からず、それだけがストレスだった。お前が手に取ったその見たことのない種類の芋はいったい何に使うんだ!?

 蛇足だが、Gyaoで視聴したところ延々とウエイト画面が続き。一時間かけてもソニーピクチャーのロゴしか見ることが出来なかった。サポートからも一切返答なし。勘弁してくれ。

 九月十九日。午前中に高田馬場に向かう。駅前の芳林堂書店で買物。書泉系列らしいけれど、本家以上にサイン本が多い印象。人気のありそうな本でも売れ残っているのは、やはりもうすでに高田馬場がヲタの街でもサブカルの街でもなくなってしまったからなのだろうか。
 その後、待ち合わせ時間が来たので駅の南側へ移動する。ゲーム業界のアニキたちと合流し「バインミー☆サンドイッチ」というベトナム風サンドイッチの店へ向かう。ベトナムの大衆食であるとか。
 テイクアウト専門店なので、買ったあとは店から少し離れた場所でガードレールに腰掛けて食べる。オッサンたちが並んでデカいサンドイッチを頬ばる姿はさぞや壮観だったに相違ない。
 肝心のバインミーはしっかりとしたフランスパンの中で、レバーパテのねっとり感となますのシャキシャキ感がいい具合に競り合っている。僕にはまったく想像のつかない調味料が、大盛り野菜の青臭さを消している。恐らくは試行錯誤のうえで様々な淘汰・改変が加えられてこういう形になったのだろう。庶民の食事ほど凝られているのものなのだ。
 その後、東西線で中野まで移動する。僕がよく足を運んでいたころと比べると、やはり随分様変わりしている。ただそれでもサブカルの香りの強い町であることは確かだ。なんとなくブロードウェイに入り、ぶらぶらと散策する。
 流れでブロードウェイ二階の喫茶店に入ると、どうやらF1をフィーチュアしたお店らしい。同行者の一人はF1にハマっていた時期があるとのこと。いろいろと話を伺うことが出来た。
 その昔、自分の部屋にTVがあったころは深夜になんとなくF1のレースを見ることがあった。ただ、一瞬でカメラの前を走り去る車の映像のなにが面白いのか僕にはさっぱり分からなかった。それもそのはずで、F1というのは幾つものコースを回りポイントを競う駆け引きの世界であるそうな。つまり、漫然と車の映像を見ているだけでは各選手や各チームの思惑など分からないのだ。「なぜこんな走りをして、なぜこのタイミングでクラッシュするのか?」というタクティカルな部分が重要であるのに、それを理解せぬまま観ていては楽しめものも楽しめないだろう。もっとも今さらそれを知ったところで、もうF1を見ることなんてないと思うけれど。
 一時間ほど駄弁ったあとは、中野から徒歩で新井薬師へ向かう。寺の参道からほど近い場所にあるキューバンサンドの店「SUNSETBEER FC」が目的地だ。上のほうで書いた映画「シェフ」の最重要アイテムでもあるキューバンサンドの、恐らくは日本初の専門店だとか。
 一本千五百円という価格はかなり高く感じるけれど、そもそも日本で一般人が手に入れることが不可能(たぶん)なキューバンブレッドが使われている上に、主役である肉もぎっしりと詰まっている。それに、最後までサンドの形態を崩さずに食べきることが出来た(ということはそれなりの調理技術が使われている)。これくらいの価格帯はむしろ妥当だろう。
 店の横のベンチでキューバンサンドを食べたあとは新井薬師駅前をぶらぶらし、喫茶店に入る。地下フロアがほぼ貸切状態だったので、延々と三時間以上デカい声で遠慮なしにヲタ話をする。何故か同行者二人は「美味しんぼ」を共通言語としており、僕はまるでついていくことが出来なかった。いまから「美味しんぼ」を……読むかなぁ~?

 九月二十一日。埼玉のフィールドにてサバゲー。巨大な野外迷路といった感じのフィールドだ。
 事前にちょっと調べたところ「フィールドと常連との馴れ合いが過ぎる」というようなレビューがあった。少し不安に思いつついざゲームを始めてみれば、まさにそんな感じだった。
 他のフィールドだったら注意されるような行為が、なんとなくスルーされてしまっている。そして、そんなルーズなゲーマーほどフィールドスタッフとにこやかに談笑している。普段なあなあで付き合っている相手には急に態度を変えて注意することが出来ない――という会社でもよくある現象だ。
 僕はこれをあまりいいこととは思わない。なにが悪いのかというと、初心者に対して間違った情報を与えてしまうという点。
 フィールド側が「気心の知れたベテランサバゲーマーだから構わないだろう」と、本来なら違反(ないしは黒っぽいグレー)になる行為を許容してしまうとする。それを見た初心者は「あの行為はやっても構わないんだ」と判断してしまう。例えば空撃ちやノーゴーグルでのレンジ使用などだ(これらはだいたいどのフィールドでも禁止されている)。しかし、常連の違反行為をスルーしているのに、その隣で同じことをする初心者だけを責めるということはさすがに出来ない。するとこの初心者は別のフィールドでも同じことをしてしまうかも知れない。こうして徐々にサバゲーマーの質は下がっていくだろう。これはやがてどこかの誰かの大怪我や、近隣住民による排斥行為に繋がる可能性があるのだ。
 ただ、レジャー要素の強いサバゲーで常連を(甘やかして)がっちり掴むというのは、フィールドにとって重要なことであることは理解出来る。平日なんて客は十人くるかどうか。それでもゲームを運営させるためには最低三人はスタッフが必要だ。つまり四万円程度の売り上げに対して二万円~三万円の人件費がかかる。そんな世界では、週一で来場する地元の常連を特別扱いするのは当然といえば当然なのだ。太い客がいなければ、どこのフィールドだってあっという間に日干しになってしまう。かといって、日本においてはフィールドなくしてサバゲーはありえない。そうなると「常連との馴れ合い」でもなんでも、フィールドが息を繋いでくれないとなあ……となってしまうのだ。
 フィールドそのものは迷路チックな構造で、緊迫感のあるいいゲーム運びが出来たんだけど。

 九月二十二日。人から勧められて読み始めた「シャンタラム」を読了。エンタメ性が高く、哲学性と文学性も備えているという総合力の怪物のような小説。アマゾンのレビューを見ても、読んで内容を理解出来ている人はみな☆5をつけている。なるほどパワーのある作品だ。
 ただ、やはりというかなんというか、自己啓発性と衒学性に富んだこの手の海外文学というのは僕のフィールド外なのだ。僕の求める読書体験とはまったく異なる内容なのである。罪と向き合い、許し許される人間関係――誰かがなにかの行動を起こすに至る真なる理念とはいったいなんなのか――そんな半哲学的な会話が全体の四割くらいあって、あとの二割は「貴方の求める生き方は?」「貴女の目指す未来は?」みたいな大人の男女の駆け引きである。靴の裏よりどうでもいい。
 如何にインドの庶民たちの生活がリアルに面白おかしく描かれようと、戦地での悲惨な日々が精緻に描写されようと、半分以上のパートが読んでいて辛いとなると、やはり楽しみも半減してしまう。なにしろ二千ページもあるのだ……
 もちろん、様々な種類の書物を読むのは大切なので、たまには専門外の作品にも目を通さなければならないのは絶対だ。そういう意味では、よい体験ではあったのだけれど。

 九月二十五日。会社が終わってから映画館へダッシュし「映像研には手を出すな!」を鑑賞。予想外の残業が出来したために、冒頭の二十分ほどを見逃す。予約なんてしなきゃよかった。
 TVドラマ版は未見なれど、僕の周りからは総じて悪い感想が聞こえている。まあ、実写版の宿命だ。
 TVドラマ版と劇場版がどうつながっているのか知らないけれど、劇場版は案外面白かった。メインキャストであるアイドルの女の子たちの演技は「お察し」だし、セットや小道具も「頑張って作りました!」感プンプンだったのだけれど、それをさしおいてもビシっとまとまった作品だったと思う。
 アニメ製作にかける時間が短すぎるとか、キャラ(特に金森氏)が原作と乖離しすぎ、そもそもアニメを作る過程がかなり割愛されてる……とかひっかかる部分はかなりあった。けれど、これは劇場版ならではの「個性」なのだ。
 原作には原作の「個性」があるし、アニメ版にはアニメ版の「個性」が存在する。しかしてそれは瑕疵や矛盾ではなく「長所」であり「チャーミングさ」に繋がるものだと僕は思う。であるからこそ、その個性を受け容れられない人もいれば、熱狂する人もいるのだ。そして劇場版の個性を僕は受け容れることが出来たというだけの話である。
 劇場版の映像研においては、その個性と「ロボ研の依頼でアニメを作り文化祭で発表する」という単純なシナリオが上手くマッチしていたと思う―ー僕の感覚では。ついでに言えばオチ用の小道具でしかなかった映画オリキャラも、僕にとっては面白い個性に感じられた。なんだあの片言のゲバラはw

 九月二十六日。秋葉原でサバゲー。運営側の仕切りがカッチリしているフィールドなので、ほどほどに緊張感があって面白い。「いつものお得意さん」と運営側とのなあなあで成立しているフィールドとはやはり一味も二味もゲームのコク(阿佐田哲也的表現)に差が出ている。
 室内フィールドなので交戦距離がとても近く、弾丸が命中すると非常に痛い。怖いのでほとんど匍匐状態でゲームに参加していた。
 サバゲー後に駅前の居酒屋で飲食。普段は会場も遠いので、ゲーム後の飲食はあまりしない。秋葉原だと時間にも余裕があるので食事をする余裕がある。二時間飲んでも十九時ちょっと。そのままカラオケに雪崩こんだ。僕はたぶん二年ぶりくらいのカラオケだ。メンツがそもそもヲタばかりだったので、ラインナップは特撮・アニメ・ゲームの歌曲ばかりとなる。KOTOKOの曲なんて十年ぶりに歌った気がする。

 九月三十日。なにげなく開いたyoutubeのおすすめ動画にshujiのドラムプレイがアップされていた。Janne Da Arcの十枚目のシングル「シルビア」のセルフカヴァー動画だ。
 僕はもうそろそろ十年近くジャンヌの曲を聴いていない。あまりに辛くて悲しくて、聴く勇気が出ないのだ。
 だから、shujiのカヴァー動画を開くのもかなりの躊躇いがあった。クリックする勇気が出ない。けれど、これを逃したらもう二度とジャンヌの曲を聴くことが出来ない気がして、思い切って再生ボタンをクリックした。
 信じられないくらい音が悪い。アングルもいまいち。なによりもshujiがすっかり老けている。メイクも衣装も素のままなので、本当にただの四十半ばのオッサンである。
 それでも僕の耳に届いたのはあのころのジャンヌだった。そうだそうだ、こんな音だった。大サビ前のドラムに合わせて拳――などと一気に記憶が逆流する。そんな感慨に身を委ねているうちに、何年ぶりかに聴いたジャンヌの曲は終わってしまった。
 思ったよりフラットな気分で聴けた。そんな安堵を覚えつつ、少し時間を空けてもう一度同じ動画を開いた。今度はshujiのプレイをきちんと追おうと思ったのだ。けれど、イントロが終わりyasuのヴォーカルが聴こえてきた瞬間、僕の涙腺が決壊した。なぜか二度目に聴いたときのほうが泣けてしまったのだ。自分でも理解できない不思議な感情の揺らぎ。やはりジャンヌをまともに聴くにはいましばらく時間が必要のようだ。

 今月読んで面白かった作品(必ずしも新刊本ではありません)

「秋山さんのとりライフ」……ホビー沼への誘い系コミック。ヒロインが社会人なので、しょっぱなから課金プレイヤーなのがいい。あまりに初心者すぎてモタつくと、読む側はまどろっこしく感じてしまうのだ。鷹のことを「一頭」と数えるのはこの漫画で知った。エロスに無自覚なヒロインというのも萌え的アクセントとして良い。

「夏目アラタの結婚」……第一巻が出たタイミングで買いそびれていたものが、未だ三巻までしか発売していないようので一気買いした。第一巻の段階では、陽性のヒューマンドラマに転ぶのか、はたまた陰性のサイコサスペンスに転ぶのか分からなかったけれど、たぶん三巻まで読んだ感じだと後者になりそう。真珠がヒロインになるのか敵になるのか分からないのが面白い。そういう意味で方向性が不透明な部分は「幽麗塔」にも通じているかも。

 小説はことごとくハズレ。ジャケ買い・あらすじ買いのセンスのないこと夥しい。

 来月に続きます。
 文中敬称略とさせていただきました。ご了承ください。

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