いい話:地下謎⑦

 ◆夕間暮れの電話

 マークシティに入ったところで、「真っ直ぐ歩き、その途中で視界に入るオブジェクトからキーワードを導く」ようにとの指示が下される。
 つまり、複数存在するオブジェクトをゲーム側の指定する順番で発見せよというわけだ。電車のディスプレイほどシビアなタイミングではないものの、これもある意味ではアクティブタイムなクエストである。なにしろ渋谷を歩く人の数は半端ではない。立ち止まってもたもたと探索などしてはいられないのだ。
 さすがに僕たちは四人連れなので、オブジェクトを探すセンサーの数に余裕がある。用意されたオブジェクトはあっさりと発見出来た。そこから得られたキーワードによると、キットの入ったバッグに仕込まれたギミックを動かす必要があるらしい。
「もしかしてここに合わせるのか?」
 プラ製のバッグは一部が透明になっており、その窓の裏にガイドブックを宛がうことで、絵合わせパズルのように使えるのだ。さらに、ガイドブックを動かすと、窓から見える絵柄も変化する。

 いまもまだ存在しているのか知らないけれど、僕が幼かったころにはこんな感じのギミック絵本が流行っていた。開いたページのここが開きあそこが動き……といった感じで、窓の外にお化けがいたり、箱のなかに果物が入っていたりといった細工のされた絵本である。今回の絵合わせのギミックにも、そんな昔懐かしい匂いが感じられた。たぶん恐らく、この製作者もそうした幼児期を過ごしたのではないだろうか。
 僕たちがそのギミックから得たヒントは「4510」という数字だった。5150だったらヴァン・ヘイレンなのに……
 どうやら、この数字を指定された電話に入力することで、さらにヒントが得られるようだ。ほうぼうで話題にされていた、「渋谷駅に出現した謎のピンク電話」である。
「ここであの電話の出番なのか……」
 電話の存在こそ知ってはいたが、ネタバレを避けるために詳細な位置情報は拒絶していた。その電話とようやくのご対面なのだ。
 僕たちはその時点で、長細い形状をしたマークシティのフロア中央あたりにいたはずだ。そのまま駅と反対の方向へ進むと、あの電話があるのだという。
(そんなスペースがこの建物にあるのか?)
 やがて進行方向右側に、なにやら人だかりが見えてきた。混雑するマークシティの中でもさらに人口密度の高い一角があるのだ。
「わ、なんか凄い行列がある!」
「いや、あれだけじゃないよ」
「外待ちが出来てる!」
 電話機の前に二十人くらいの列、そしてマークシティの外に三十人くらいの列が形成されていたのだ。まるで開店時間直前のラーメン二郎である。
 全員で並ぶ必要はないだろうということで、僕と浅見氏が列に入り、LEGIOん氏と剣技マナ氏はトイレへと向かった。チームプレイである。

「いっぱい並んでるけど、案外早そうですね」
 如何に長蛇の列とはいえ、別にラーメンを食べるわけではない。それなりの速度で行列は消化されていく。
「電話って、向こうから声が聞こえるわけですよね」
「案内のアナウンス的なのが流れるんじゃない?」
「それって誰がしゃべってくれるんですかね。野川さくらさんかなあ」
「僕だったら小桜エっちゃんだな!」
 などと前向きな会話をしているうちに、あっという間に僕らの番である。プッシュホンに4510を入力する。コール音のあとに受話器の向こうから声が聞こえてきた。機械じみて無個性なアナウンスである。野さくでもエっちゃんでもなく、ましてやほっちゃんでも北都南さんでもなかった。

 ――この受話器をガイドブックに当ててスイッチを押せ。
(受話器を当てる? スイッチってなんだ?)
 簡潔すぎていささか距離のある指示だ。とりあえず言われるままにガイドブックを電話機の置かれた台に広げてみる。そして、指示されたページに受話器を当てた。
「あ、スイッチあるじゃん!」
 ページに宛がった受話器の握りの部分に、確かにスイッチが付いている。驚きとともにそのスイッチを押すと……
「光ったァ!」
 ブラックライトが点灯したのだ!
 受話器に仕込まれたブラックライトが、広げたページの一点を照らし出す!
 青白い光の中に「出口7a」の文字が浮かび上がったではないか。まるでバットマンを呼び出すが如きギミックである。
「うわ、カッコいい……」
 しかし、たかがこれだけの演出のために専用の電話機を準備して、整列係まで配備したのか……
 あらためて運営サイドのガチっぷりを見せ付けられた気分である。

 「出口7a」というのは、考えるまでもなく地下鉄渋谷駅の出口の番号である。そこに設置された自販機がどうやら渋谷駅での最終目的地となるらしい。とは言うものの、現在地点から如何に進めば出口7aに辿りつけるのか。一応、ガイドブックに道順は書かれているものの、渋谷駅というダンジョンは文章だけの道案内でどうにかなるほどヤワではなかった。

「……これ、こっちで合ってるんですかね」
「このままだと東急の食品売り場に入っちゃうな」
「行くだけ行ってみます?」
「いや、こっちの階段を下りるのかも」
 案の定というか運悪くというか、途中で道に迷う。だが、さすがに渋谷駅である。案内板がいたるところに掲示されているのだ。
「出口7はあっちみたい」
 壁に貼られた構内地図には「出口7」がちゃんと存在した。
「じゃ、とりあえず出口7を目指しましょう。そこまで行けば7aもあるかも知れないし」
 ひとまずの目的地を「出口7」に定める。あとは現場近くまで行けばどうにかなるだろう。それに、僕たちと同じプレイヤーの姿もあるに違いない。

 そして到着したのは、渋谷駅の北側――ちょうど109メンや甘栗屋の地下のあたりである。
「あっ、あれじゃね?」
「また、人がすごいなぁ」
 時間も四時を回ったあたりで、一般の通行人はさらに増えている。繰り返すが、日曜の渋谷はなにもなくても大混雑なのだ。そんな中でキットを手にしたプレイヤーたちが、一つの自販機に群がっているのだ。芋を洗うような混雑とでも言おうか、かなりエッヂの立った状況である。

「このジュースが問題なわけね」
 クエスト的には自販機に並んだ商品見本が重要らしい。
「とりあえず写真を撮って、あとは腰を落ち着けて考えよう」
 というわけで、例の如く喫茶店へと向かう……のだが、最寄のタリーズは大混雑で、仕方なく同じ109の七階にあるフルーツパーラーへと入ることとなった。

「カウンターに横並びでもいいですか?」
 さすがに日曜午後は混雑している。僕たちはテーブル席ではなく、窓を向いて並ぶカウンター席に案内された。
「うわ、下の景色すげえ!」
「ムスカだこれ! ムスカ!」
 七階の窓際席は、眼下に渋谷駅前のスクランブル交差点を見下ろせるベストポジションだった。眼下には夕暮れの渋谷を行き交う有象無象の姿がケシ粒のように蠢いている。ムスカならば迷いなくインドラの矢をブチ落としたことだろう。なんとも眼福であった。あとで調べたところによると、僕らの座った窓際席は実際にこの店の売りの一つでもあるそうな。
(これはある意味で貴重な経験だぞ)
 今後、こんな甘々とした店に入る機会などそうあるものではないだろう。そんなことを考えながら手元のメニューを開く。
(生クリームがガッツリ乗っかってるデザートばっかりだ……食いたいけど、たまにお腹を壊すんだよな……)
 脂っけに弱いのかも知れないが、僕は吉村家と神神二郎、それに生クリームがどっさり系のデザートではたいがい腹に来るたちである。せっかくなので如何にもフルーツパーラー的なメニューにチャレンジしたくもあるのだが……
「……僕はホットコーヒーで」
 イモを引いてしまった。
「じゃあ、いちごのマスカルポーネクリームパフェ下さい」
「!?」
 隣に座る浅見氏はあっさりとそんなヘヴィなオーダーをしてのけた。僕の脇腹を生ぬるい脂汗がじわりと濡らす。
 僕は浅見氏の決断力に負けたのではない。
 自分自身に負けたのだ。

「じゃあ、そろそろ問題のほうを……」
 負けてばかりもいられない僕は、このあたりでそろそろ頭のキレをアピールしたいところである。果たして、今回の設問を手際よく解くことが出来るだろうか。
「俺もう解けたわ」
「!?」
 なんと、いざ問題に取り掛かろうとした矢先に、剣技マナ氏による終了宣言である。
(なん……だと……!?)
 さくっと解答していいところを見せようとしていた僕の思惑は完全に外れた。
 黄色く歪む視界の中で、マナ氏の姿もまた陽炎の如く揺れ滲んでいる。

 絶望と敗北に打ちひしがれる僕の背を冷たい汗が伝い落ちた。

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