いい話:地下謎⑨

 ◆肉と飯

 それらしさ全開の雑居ビル二階。
 ガラスの引き戸の向こうには衝立のようなものがあって、店内の様子はさっぱり分からない。
 事前情報がなければかなり入りにくい店だっただろう。

「先ほど電話で予約した……」
「いらっしゃいませ、こちらです~」
 しかし、LEGIOん氏が予約を入れて下さったおかげで入店はスムーズだった。すぐにテーブル席へと案内される。
(うわ、ぎっちぎちの店だ)
 店内は二十畳程度の広さだろうか。奥に小上がり、四人がけのテーブル席、そしてカウンターいったレイアウトで、公式では四十人入るらしい。だが、実質的には雑居ビルの一室である。やはり狭い。
(でも、雰囲気はばりばり来てるな)
 店内の醸し出す「詰め込まれ感」のようなものに、とんでもないポテンシャルを秘めているように感じさせられてしまう。失礼な表現になるが、焼肉屋はちょっとゴミゴミしてるほうが美味しそうなのである。

「上着とお荷物はそちらにお願いします」
 店員に促されて椅子の下を覗いて見れば、果たしてポリ袋が置かれている。荷物の類を詰め込んで店の奥に預けておくシステムである。壁に下げて、誰か通るたびに引っ掛けて落とされるよりはずっといいではないか。
 とりあえず、手荷物の中から「地下謎」に関わるものだけ出す。それ以外の荷物が入ったポリ袋を店員さんに渡した。
 ようやく食事を楽しむ準備が整ったというわけだ。

「ぱりぱりピーマンあるじゃん!」
 メニューを見て嬉しそうな剣技マナ氏である。
「略してパリピですね」と言いたくなるのをぐっと堪えて、メニューに目を通す。やはりモツの店なので内蔵系のメニューがずらりと並んでいる。見聞きした覚えも食べた覚えもあるが、どんな部位かは思い出せない。
(……よく分からないからみんなにお任せしよう)
 メニューをめくっていくと、パリピに限らず肉類以外も充実しているようである。野菜類、スープ類、ナムルに冷麺とおよそ焼肉屋にありそうなものは揃っているようだ。
 その中に「レバーペーストとマーマレード」というメニューがあった。なんだそれは。
「レバーペーストはね~。マーマレードと合うんですよ~」
 浅見氏の発言である。ならば食わずばなるまい。

 ひとまず店員さんにドリンクを頼む。みな「飲みのマナー」的なものは恐らくあまり気にしない。好き勝手にドリンクを注文する。僕はいきなり焼酎を頼んだし、LEGIOん氏はフルーツサワー。あとの二人はソフトドリンクだった。飲みたいのものを飲み、食いたいものを食えばいいのだ。

 まずはお通しのセンマイ刺しである。味付けは酢味噌だったが、酸味には角がなく、甘みが引き立っている。酢味噌が肉の持つコクを引き出しているのだ。そしてなにより弾力がありながらも肉質が柔らかい。
「あ、これ旨ぇぞ」
 最初に反応したのは剣技マナ氏だった。ほかの三人はたぶん、ちょっと戸惑っていたのだ。「あれ、これまで食ったセンマイと違う……」という具合に。
 正直なところ、このセンマイで充分ご飯のアテになるだろう。

 そしていよいよ例のレバーペーストの登場である。マーマレードとともに、ガーリックトーストで食べるのだ。標準的なバゲット一切れに対して大匙一杯程度のレバーペーストが割り当てられるようになっている。
「すげえ、なんだこれは!」
 口腔内温度で容易く溶けるレバーペーストもさることながら、マーマレードがレバーの臭みを完全に消しているのだ。さりとて風味を損なうことなく肝臓の脂っぽさをこってりと舌に残してくれる。そしてなにより、レバーペーストの滑らかさに対するガーリックトーストの持つカリっとクランチーな食感である。
「マリアージュだ……」
 マリアージュなのだ。しかも三重婚。

 次なる皿は「ぱりぱりピーマン」である。
(おお、パリピだ……)
 提供された皿に視線が吸い寄せられる。そこに乗せられていた一品は僕たちの知るピーマンではなかったのだ。
 だいたいピーマンというと、縦長の中央がかすかにくびれた感じの、台形を逆さにしたようなシルエットを想像するだろう。しかし、好ちゃんのピーマンはむしろ中央が膨らんでいる。そして、ピーマンの緑色がツヤッツヤなのだ。亜硝酸Naでも使ったかのような見事な発色なのだ。
 ピッカピカの緑で、ぶくっと丸く膨れたシルエット……そう、カナブンみたいなピーマンだったのだ! そしてなによりデカい。喩えるならゴライアスオオツノハナムグリをそのままカナブンにしたようなルックスである。
「うわ、このピーマンすっげえ旨い!」
 テーブルの配置のせいで、提供されたメニューは最初に剣技マナ氏が食する順番だったのだが、いきなりのネタバレである。旨いのか。
 僕は獅子唐は好きなのだが、ピーマンはそれほど好んではいない。
(苦みがキツいからな)と思いつつ、手のひらくらいあるピーマンをかじってみる。
 僕の前歯で、ピーマンの皮がパキっと音を立てた。まるで皮目の張ったウインナーソーセージである。これまでのピーマン感を覆す食感でだ。
(なんだこりゃ! なんだこりゃ!? なんだこの歯応え!)
 ナタデココどころの騒ぎではない。
 僕が一噛みするごとに、ピーマンはパキパキと解れていく。野菜的な青臭いエグ味は一切ない。こんなに咀嚼の容易い食品だっただろうか。完全にスナック感覚である。
 結局、パリピーは一匙の清涼感を残して、あっという間に僕の食道を降りていってしまった。マナ氏のコメントそのまんまである。ただただ旨いピーマンだった。

 そして焼き物。
 ハツはほとんどレバーに近いようなトロトロのレア感を帯びている。もったいないので、ほぼ焼かずに食べてしまった。コプチャンは脂とともにあっという間に舌で消えてしまう。ざっと振られた塩胡椒で充分なのだ。ハラミにはサシがいやというほど入っており、火を通すのが惜しいほどである。これもやはり半焼き程度で食べてしまった。
「いや、すごいっすね……激ウマ」
「ここ何年かで一番だなあ、この店」
「そう言えばタンをまだ頼んでなかった」
 慌ててタンを注文する。いざ登場したタンはただのスライスではなかった。恐らくタン先からタン中を選って提供されているのだ。そのため、シコシコとした食感のタン先からねっとりとしたタン中の食感まで、歯応えのグラデーションを一通り楽しめるのである。
(こんな提供方法は初めてだ!)
 感動している僕の隣で、浅見氏が嬉しそうにこう仰った。
「これは完全にディープキスの感触だね」
 なるほど、こういう感触なのか。だからタン塩にはレモンを絞るのだな。キッスはレモンの味か。

 普通の焼肉屋というのは、だいたいにおいて箸休めとしてキャベツが提供される。
 だが好ちゃんでは――
「春菊!?」
 そうなのだ。更に山盛りの春菊が登場したのだ。
「他のバンドは演るが、MANOWARは殺るのだ」と言わんばかりである。
 この春菊もまた、大きく肉厚の葉がピンと張っている。普通の春菊は、細かく伸びた葉が、ペタっと貼りつき合っているような印象だと思う。そして、スーパーに並んでいるような春菊はだいたい葉の端がつぶれて半液状になっている。だが、好ちゃんの春菊は葉振りも見事にもっさもっさと皿の上で激しく自己主張をしているではないか。
「こんな春菊初めて見ましたよ」
 そう言いつつ春菊を口に含む。香味野菜のエグ味は皆無である。ただ青々とした春菊の香りがすっと口腔内を通り抜けていく。そして、大振りの葉はざくざくと頼もしい食感をもたらしてくれるのだ。
 剣技マナ氏は香味野菜全般がNG(マナ氏の香味野菜に関するあれこれは遺伝的なものに由来するらしい)だそうで箸をつけなかったが、僕たち三人はわしわしと春菊を消化したので、箸休めの皿は一瞬で空になってしまった。むしろ僕はこの春菊をアテにご飯を食べていたくらいである。

 それなりの量は食べたものの、感動のままに来た端から口にしたので、食事はあっという間に終わってしまった。
「そしたらデザートいきますか」
 幾つか種類はあったのだが、四人まとめてコーヒーゼリーを注文した。恐らく自家製なのだろう。大きめにクラッシュされたゼリーがカップに山盛りにされて登場する。さらに、とどめとばかりにバニラアイスが乗っかっているではないか。
(おお、弾力があるなあ)
 最近のツルツルと軟弱なゼリーとは異なる、作り手の根性を感じさせる一品である。そのまま食べてよし、アイスクリームと絡めてもよし。
(これは深い……!)
 それにしても、グズっと粗く崩されたコーヒーゼリーの黒にフレッシュの白が絡んでいるビジュアルというのは、なぜああも食欲をそそるのだろうか。

「堪能したなあ……」
「また来ようここ」
「まだ頼んでないメニューもあるし」
「そしたら問題いきますか」
 ようやく食事への昂奮も鎮まり、いよいよ最後の解答である。
 ここで得られたキーワードはさらにWEB上で処理することで、最後の問題へと進むことが出来るのだ。
「あ、最後はすごい簡単だ」
「だね。ただ順番に文字を当てはめるだけだ」
 恐らく、プレイヤーの疲労度合を考えたのだろう。
 最後の設問は非常に容易なものだった。そして、得られたキーワードに従って、キットに残された最後のギミックを作動させる。
「ああっ、こうなるのか!」
 最後のギミックがどんなものなのかは書かずにおく。だが、「好ちゃん」の脂の飛んだテーブルにガイドブックを広げた僕たちは、少なからぬ感動を得た。
「……クリアしたんだなあ」

 僕たちはそれぞれの感慨を噛み締めつつ「好ちゃん」を出た。肉によって温められた身体は、夜風によって少しずつ熱を奪われていく。
「じゃあ、僕はあっちなので」
「お疲れ~」
「またなんかのイベントで~」
 飯田橋の駅で、僕はパーティを離脱した。LEGIOん氏たち三人は有楽町線を池袋方面へ、僕は有楽町方面へと向かうのだ。みなの乗った地下鉄がトンネルの奥に消えるのを見送る。満腹感とともに、不思議な郷愁感が僕の胸を通り抜けていった。

 永田町で乗り換えるときに、「地下謎」のキットを持ったアベックとホームですれ違った。
 方向から察するに、二人はこれから飯田橋へ向かうのだろう。
 時刻は九時半。

 あと一息だ。

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